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Henri-Claude Cousseau、現パリ国立美術学校(ボザール)のディレクターが、6年前の2000年に、当時ディレクターを務めていたcapcボルドー現代美術館で行った「Presumes Innocents:l'art contemporain etl'enfance (推定無罪:現代美術と子供たち)という展覧会に関して、告訴をされ取調べを受けたようです。
展覧会での作品に衝撃を受けたある父親による訴えで、ある児童保護団体が告訴を掲げたところから始まり、2000年の10月23日から捜査が行われていました。
まずひとつめの罪(!)は、未成年者を利用したポルノグラフィーを使用したこと。最高3年の禁固刑と45000ユーロの罰金。
もうひとつの罪(!え?しつこい?)は、暴力的でポルノグラフィックなメッセージを伝播したこと。最高3年の禁固刑と75000ユーロの罰金。
調書によると、担当の刑事は、「物的証拠になりうるような材料をかき集めるのは不可能であった。」ということですが、現実に、展覧会終了後に指摘されたので、刑事はウィーンのアーティスト、Elke Krystufekのヴィデオを見ることしかできなかったようです。
原告側によると、このアーティストはきゅうりでマスターベーションを行い、そして性器を縫い合わせたヴィデオ作品を展示していたらしいですが、これはCousseau氏によると、「まったくのファンタズム(潜在的欲望を満たす幻想)でしかない。」ということで、そのような作品が展示されていたわけではないらしい、、、。
しかしどちらにしても、担当の刑事たちは、「これらの作品を、展覧会に来た未成年者が見たかどうかを知るのは不可能である。」と言及しています。また捜査官たちは、「耐え難いイメージを持つ可能性のある作品を、未成年者が見ることがないように、特別措置が取られていた。」とも明言しています。実際にクラス単位で展覧会を訪れた49人の教師たちのうち、2人だけがこの展覧会を問題視していました。
Cousseau氏と共に、この展覧会のキュレーションを行った、現在はルーブル美術館の学芸員であるMarie-Laure Bernadecと、美術批評家であるStephanie Moisdon-Tremblayも出頭が命じられています。またこの展覧会に作品を提供した80名のアーティストのうち、クリスチャン・ボルタンスキ、アネット・メッサジェー、ナン・ゴールディン、シンディー・シャーマンなどを筆頭に25名が告訴の対象となっています。
被告側の弁護士は、「この告訴は何らかの法的論理にのっとるものではなく、カタログ以外では誰一人としてこの展覧会のあとをたどれる人はいません。実際に私たちは未だに予審に関する資料を受け取っていません。共助の依頼は4年も続きましたが、その間、司法警察が行っていたことは展覧会に参加したアーティストたちに連絡を取ることでした。例えば、Robert Mapplethrope。1989年に死去しているアーティストです。かわいそうなことに国際刑事警察機構から質問を受けたのは何の関係もない同名の人物だったのです!」
他にも、アーティストであるPaul-Armand Getteは「展覧会では展示されなかったが、カタログに掲載されていた作品」に関して告訴を受けたようです。それもパンツが吊り下げられたクリスマスツリーの作品で。
今回の訴えを受けて、アーティスト、美術史家、教授、ギャラリスト、学芸員、研究者たちなどが請願書を作成中。この請願書は「我らの自由と権利」という題名がつけられ、「思想、創造、表現の自由が侵されようとしている」ことを嘆いています。11月18日から始められたこの請願書(署名集め)には、「メディアや広告媒体が商業的理由から暴力的な映像を大量に垂れ流している現在、何世紀にもわたって私たちの文化が培ってきた、芸術作品およびそれらを創作する者、またそれらの発表の場を与える者の地位が否定されることに憤慨している。」と記載されています。
サインはもう既に1500人分集まっているようで、フランス文化大臣のRenaud Donnedieu de Vabresもクーソー氏の擁護に当たっています。「アーティストは、一般の人間と比べて、より多くの自由を得ることに喜びを感じる。なぜなら彼らの役割は、崩壊の前兆や世の中の激昂を表現することにあるからである。」
こういう考え方はだいっきらいです。
別にアーティストだからって何も人よりえらいわけでもないし。
ばかげてる。と思ったけれど、続けてみます。
美術史家のPaul Ardenneも「伝統的にアートという分野が受ける自由放任は問題であり、アートという名のもとに許容されるいくつかの行為には、もしもそれらが日常生活の世俗的なシーンにおいて実現されるならば、すぐにそれらにたずさわったアーティストたちが罰されるだろう。だからといって、今回のようにまるで美の保護者であるかのように演ずる疑わしい原告を信用することは許されない。しかし問題になっている作品たちは、1960年代、70年代に発表されたパフォーマンスなどと比較すると、非常に「おとなしい」ものである」と発言しています。
「最も危険なのはこのHenri-Claude Cousseauへの刑によって、法律によって裁かれることを恐れ、自己規制の波が起こることであろう。私たちはそれに負けてはいけない。」
自己規制といえばこの間このブログに書きましたね。
http://kanaparis.blog59.fc2.com/blog-entry-99.html#comment_top
この展覧会のカタログつくりに参加した、作家であり美術批評家であるJean-Charlesは「今回の出来事は思想の自由の禁止を合法化してしまうことであり、許されることではない。しかしこれは、このような問題に対するフランスの法律の恐るべき無能力を示す機会でもある。」と受け止めています。
う〜ん、この展覧会を見てないからなんとも言えませんけれど、実際展覧会で性的、または暴力的な表現のある作品って、展示のされかたもちょっと隔離されたようになっているし、注意書きのパネルもある。この展覧会もそうだったんやと想像します。それにそういうものを避けるためにも、社会見学とかで美術館に行くときは先生が行くんじゃないの?そういうために親はいるんじゃないのん?と思いました。
アー長い記事だった。
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いつからの芸術をコンテンポラリーアートのカテゴリーに含むことができるのかが議論されるときに、その起源の作品としてよく挙げられる、マルセル・デュシャンの『泉』。
デュシャンが1917年にそのへんのお店で買ってきて「R.Mutt」とサインしたこの男子用便器。存在し始めたその瞬間から今日まで、常に美術史的議論の渦中にあるこの作品ですが、2006年のアート界の幕開けにも、また話題が提供されました。
マルセル・デュシャンについてはWikipediaでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
2005年10月5日から2006年1月9日までポンピドゥー・センターで開催された「Dada」展にて、センター所有の『泉』が展示されていました。
私が目にしたのは、日本にお正月休暇のために帰る前に行っておこうと思った12月の終わり頃。
1月終わりころに再びフランスに帰ってきたときには、その様相は変わったものになっていたのです。
気になる?
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2002年カンヌ国際映画祭で特別招待作品に選ばれたニコラ フィリベール監督の「Etre et avoir(日本語題 ぼくの好きな先生)」に関するすこし残念なお話。
この作品はフランス中部オーベルニュ地方にある、3歳から11歳までの10人ほどの子供たちしか通ってこない小学校での、子供たちと一人の先生の美しく厳しい自然を背景にした心にほわわん、ぐぐっとくるドキュメンタリー映画です。フランスでは200万人もの観客動員数を記録しました。
映画のポスター。
この映画を初めて見たときに、「なんていい先生なんや〜。」と感動していたら、当時付き合っていた彼氏が、
「でもこの先生、映画がえらく成功したもんやから、映画会社に対してお金請求する裁判起こしたんやで。」
とのこと。
が〜ん。
人間ってわからへんもんやなあ。
その裁判の結果の記事を目にしたので、今回はその話題。
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