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Documenta 12: Neue Galerie


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いまだにドクメンタのことを書いてみます。

生まれて初めてのドクメンタで私が感動したひとつの理由として、Neue Galerieで観た数々の静かに眠る真珠のような小作品の存在がある。
こんなにも世界から、特に世界中の眼の肥えたアート界の人々から期待されてる国際展で、こんなにも多くの小作品に出会えたことがとてもうれしかった。もちろん他の展示場ではそれなりに巨大な作品もあったけれど、私が思い描いていたような、とにかく展覧会の力と資金力を誇示するだけ、観客を驚かせることだけに傾倒して、美しさなんかそっちのけにしている作品ばかりを集めたありがちな商業的な国際展ではなかったから。

Gerwald Rockenschaub 1991
言ってしまえば、何枚もの大きさの異なる絨毯を重ねただけなのに、どうしてこんなに美しいでしょう。



今年のヴェネチアビエンナーレで、40歳以下のアーティスト部門の金獅子賞に輝いたNedko Solakov。私はドクメンタの作品のほうが好きでした。
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でたー!やっぱりAgnes Martin(アニエス マーティン)の美しさは格別ですな。
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これ誰やったっけ?
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私の中で、今回のドクメンタでの一番素晴らしい出会いは、Nasreen Mohamediの作品たち。
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これも誰やったっけ?
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バマコで20世紀後半に使用されていた結婚式のための織物。こんな世界のどこかに住んでいる人たちが使っているモノが、例えば視覚的に似たようなモチーフを持つNasreen Mohamediのドローイング作品の横に展示されていました。そういうのがもう私的にはたまらなかった。
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Annie Pootoogook。やたらoの多い名前のアーティスト。ピーカーブーみたい。イヌイット人らしいです。面白いドローイング。
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やっぱりルイーズ ローラーなんかの作品は、もう見飽きた気がしていても、私たちをばたっと立ち止まらせる力がありますねー。
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これも誰やったっけー?
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もう気づかれたかと思いますが、今回のドクメンタではフリデリツィアヌム美術館でも、ノイエ ギャラリーでも、展示室によって壁の色が異なっていました。どの壁の色もそれぞれの照明の色と調和し、作品たちの特徴がうまく引き出され、それらの暖かみのある雰囲気作りは、冷たく殺伐としたホワイトキューブでの展示に慣れてしまっている私たちにも、作品との間の親密性を増すような効果を発揮していました。
サーモンピンクの壁に非常にうまく合っていたAlina Szapocznikowの写真作品。
チューインガムを石の上に置いたり、棚から垂らしたりしたものを白黒写真におさめています。
このチューインガムという日常的にくちゃくちゃ噛んでは捨てているものを、別の見せ方をするだけで、なんというか重量感や伸縮性やメランコリーなんかまでも感じてしまうことに、とても感動した私でした。大げさか?
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以上、ノイエ ギャラリーで気になった作品たちでした。
まだドクメンタ12レポートは続くのでしょうか?それは誰にもわかりません。


    

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11/15 02:57 | Documenta 12 | CM:0 | TB:0
Documenta 12 : フリデリツィアヌム美術館/Museum Fridericianum


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ドクメンタ12のことを書くのをすっかりほったらかしにしていました。

さてさて今回はドクメンタ12の中でも毎回メイン会場として使用されているフリデリツィアヌム美術館(Museum Fridericianum)での展示のなかで、私が好きだったものを紹介。

まず会場のエントランス部分にあるJohn McCracken。エントランスなので、みんな素通りしがちだけれど、右と左両面に鏡があって、中心には鏡の張られた長方体。鏡にはエントランスの同じイメージがどこまでも続いていて、まるでラビリンスのよう。それがこの会場からドクメンタ12体験を開始した私の高揚感と緊張感をからかっているようでした。でも「おーし!いくでえー!」とやる気を奮い立たせていざ出陣!

ポール クレーの描いた天使のデッサンコピーに待ち受けられながらも、まずは一つ目の展示室。Lole de Freitasのインスタレーションに包み込まれます。
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なんとこの重量感のある素材でできていながら、ふわりと舞っているような透明感のあるインスタレーション、実は会場の外側にも続いています。あれみたい。あのプールとかにある、長いぐるんぐるんの筒状の滑り台がプールの外まで出てることがありますよね。あれみたいじゃない?
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その横にはZheng Guoguのろうそくでできた戦闘車。
Zhen Guogu



前回の記事で、やけにフューチャイングされていたと書いたPeter Friedlの作品の中で、私が好きだったものはこちら。
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メスのライオンじゃなくてトラが、多分まだ子供だと思うんですが、へびのぬいぐるみで遊んでいるという映像作品。最初見たときは、ライオンじゃなくてトラが蛇をもてあそびまくって食べるという映像だと思いこんでいたんですが、よく見てみると、蛇はぬいぐるみで、ライオンじゃなくてトラはただ子猫のように遊んでいるだけ。でもラライオンじゃなくてトラ=凶暴という私たちの頭に叩き込まれた知識と、きっとうれしくて楽しくて子猫のように気が狂ったように遊んでいるだけなのに、無残に弄んでるんだわ。と思ってしまう偏見が一気に覆された瞬間、「うわ、こわいわー。」という思いが「かわいいなあ。私の猫は今頃どうしてるやろ。」という思いに、切り替わった自分自身に驚きました。


思わずニヤニヤしてしまったのがこちらのパフォーマンスヴィデオ作品。Lin Yilinの「Safety Manoeuvering Across Lin He Road」。アーティスト本人が48個のコンクリートブロックをLin He Roadという大通りの横断歩道の上を左から右へ一ブロックずつ移動させていくというもの。はっきりいってしまえばそれだけのパフォーマンスなんですが、妙に「こういう感覚ってやっぱり大陸の人しか持てないよなー。」って納得してしまいました。なぜかというと、びゅんびゅんトラックや車やバイクの走る大通りを信号が青であろうと赤であろうと関係なく、一定の速度で、それもけだるそーにブロックを動かす。そのブロック移動のけだるさと、その周辺のいらだった喧噪。まったく異なる二つの世界が成り立っている。このコントラストが素晴らしく、なんだか大げさな話になりますが、そこにこそ中国の長い長い歴史を感じるように思ったんです。
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こちら展示場の非常に暗い照明をうまく調和して、とても繊細な美しさを見せてくれた、Lili Dujourieの「Gyrus」 「Cecilia」 「Dolores」。一見まるでデッサンのように見えるこの作品は、針金でできたポートレートで、壁に設置されていながら平面と立体の間を行ったり来たりするような体験を私たちに与えてくれます。この記事の一番最初に紹介しているIole de Freitasの作品のように、硬く無機質な材料を利用して、動きのある軽い印象を与える作品作り。しかしその、羽ばたいていくような自由を感じる軽さとは裏腹に、もうそこから逃れられないかのように、針金はきっちり壁に縛り付けられているのです。
liu diugurg



フリデリツィアヌム美術館の前の広場を、ドクメンタ12の開催中、ポピーの真っ赤な花畑で敷き詰めたSanja Ivekovic。フリデリツィアヌム美術館内でも、地味だけれど、私の関心を引いた作品がこちら。「Triangle」。

これらの4枚の写真は1979年5月10日に、アーティストの住む街ザグレブに、大統領がやってきた日のパフォーマンスを残したもので、その日、彼女がアパートのバルコニーにいながらにして行った、3人の人物のコミュニケートの模様。まず一人目は通りをはさんで向こう側の建物の屋根から見物している人(一番上の写真)。二人目は自分のアパートのバルコニーにいる作家自身(真ん中の写真)。そして3人目は彼女のアパートの前の通りを監視している警察官。
このとき、唯一彼女のバルコニーでの行動を見ることができる人物がいたとすれば、それは向かいの建物の屋根にいる人物。ちなみに彼は監視員ででもあるのか、双眼鏡と無線電話を持っていた。また道路にいる警察官も無線電話を持っていた。そのような状況で、アーティストはバルコニーで椅子に座り、ウィスキーをちびちび飲みながら、本を読み、スカートをおろしてマスターベーションをしているような動きをしてみた。すこししたあと、警察官が彼女のアパートのベルを鳴らし、「バルコニーにいる人物と物を移動すること。」と命令した。

このパフォーマンスとその流れを文章と共にたった4枚の写真だけで、まるで目の前に映像が流れているように想像できるんです。素晴らしい構成力。
maria



ここまで記事を書いて、いまふと思ったんですが、ドクメンタ12のテーマだなんだと難しいことは関係なく、フリデリツィアヌム美術館の展示で私の眼を惹いた作品は全て、両極端の二つの感覚を持ちながら、そのふたつが調和してお互いをつぶし合うことなく共生している作品ですね。
素材の硬さと作品の印象が持つ柔らかさ。
逆に素材の持つ可変性と重苦しい主題。
また主題の持つ荘厳さや真面目さと、それを「真剣に」からかう真面目さとそこに見えるリディキュール。
私たち観客のア プリオリと実際に目の前にしているイメージとの差異。
そして自分という存在とそれを取り巻く世界という存在。



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Documenta 12/ドクメンタ12 II


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さてさてドクメンタ12。
カッセルの街のあちらこちらに現代アートの作品が点在しているのですが、私は5つのメイン会場に集中して、ドクメンタ巡りをすることにしました。

まずドクメンタ初体験で感じたことはいうと、世界的規模の現代美術展や、特にここ数年のパリでありがちな「大規模な企画です。だからお金もあるんです。だからとりあえず巨大な作品を世界中から持ってきたらいいんじゃない?」というような風潮を感じなかったことです。
これは最近、そういった、まるでアミューズメントパークのような「ここはディズニーランドかいな、おい。」と思わずつっこみたくなるような、見る気も萎える展覧会に飽き飽きしていた私にとってはとても幸せな驚きでした。まあこんなことで驚く必要は全くないわけで、こういう展覧会(という括りでいいのかはまた別問題として)が当たり前といえば当たり前のことなんですが、そういう(悪い意味で)「ドでかい」展覧会をしがちなパレ ド トーキョーの前ディレクターであるNicola BourriaudとJerome Sansの企画がフランス中を怒巻していたここ数年で、感覚がおかしくなっていたのかもしれないと思い返しました。

また、私が行ったことのあるビエンナーレなどの国際展と言うと、ベネチアやベルリン、リヨンなどですが、そういう国際展で感じる隠れた商業的な部分、VIPな部分、国際展だけれど結局は「この新作は誰が買った。」なんていう話で持ち切りだったりする部分、があまり見られなかったのも、妙な安心感を受けた理由かもしれません。それは今回のドクメンタが現在活躍中、またこれから期待のアーティストたちの最新作のオンパレードではなく、14世紀から2007年までに制作された作品たちのもつ関連性、社会性など、作品自体ではなく、作品が私たちに見せてくれる「今日」というものをまず最初に感じるものであったからだと思います。

ドクメンタ12のテーマは三点。
「Is modernity our antiquity? / 我々にとって近代美術は過去の文化か?」
「What is bare life? / むきだしの生とは何か?」
「Education, what is to be done? / 美の教育、何をすべきか?」
こちらに詳しく書いてあります。
http://www.documenta12.de/leitmotive.html?&L=1


テーマも、批評も何も読まずにあえて挑んだドクメンタ12でしたが、上記のテーマの内容を読んでいくと、文章を追うごとに、「あー、そういえばあの作品、、、。私は好きではなかったけれど、あの作品はそういうことやったんか、、、。ふむふむ。」と様々な作品が頭を駆け巡りました。

このテーマのもと、集められた作品たちは、「社会的政治的過ぎる。」というのが一般的な批評のようです。

私個人の意見としては、テーマに即した展示であったと思うし、「今日の現代美術」というよりも「今日の世界、社会の一面」がキュレーターにより切り出されたという点で、例えて言うと討論をしていて、相手の「社会観」が少し見えてくるような、興味深いものでありました。

アーティストでいうと、Juan Davila,Peter Friedl,Zofia Kulik, Kerry James Marshall, John McCracken,Charlotte Poseneneke,Martha Rosler,などがやけにフューチャリングされていて、私は彼らのどの作品もものすごーく好きというわけではなかったので、どの会場に行っても彼らの作品に出くわし、「またかい!」と少しうざい気分になりました。
特にJuan Davilaがだいっきらいでした。

そんななかでも同じようにかなり登場回数の多かったアーティストとして、1936年生まれのアメリカ人女性Trisha Brown(トリッシャ ブラウン)というコンテンポラリーダンスの振付師が挙げられます。
彼女のダンスカンパニーのサイトはこちら。http://www.trishabrowncompany.org/index.html

ドクメンタ12での展示作品群は三点。

一つ目は、Floor of the Forestというインスタレーション&パフォーマンス作品。
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床と平行に網状にめぐらされた棒の間に色とりどりのズボン、Tシャツ、セーターなどの衣服がくくりつけられていて、3人のダンサーがその衣服に体を滑らせて、何分か停止します。そしてまたふとわれに返ったように、別の服を体を滑り込ませるために探し出すというもの。

普段は舞台上でしなやかな動きをみせてくれるはずのダンサーたちの身体が、私たちが毎日身に着けている衣服によって、がんじがらめになり、身体を衣服と棒によって規制されるがままにしているという状況が作り上げられます。光と影の使い方も非常に美しいものでした。


もう二点はドローイング。私はひとつのドローイングしか写真を撮らなかったので、ひとつだけ紹介。床にとても美しかった。
P1000427.jpg P1000428.jpg



まだまだ続きますよー、ドクメンタ12レポート!
ちなみにミュンスターも忘れてません!
ゆっくり待っていてくださいね。


Trisha Brownの本とDVD。そしてドクメンタ12本。
  


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09/12 04:29 | Documenta 12 | CM:2 | TB:0
Documenta 12/ドクメンタ12


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人生初のDocumenta/ドクメンタ体験から帰ってきました。
こちらめっちゃ見にくい公式サイト。http://www.documenta12.de/

ドクメンタという5年に一度の現代アートの祭典に関しては、Wikipediaからどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドクメンタ

いやあ、生まれて初めてヴェネチアビエンナーレに行ったときもそうだし、アートバーゼルに行ったときもそうだったけど、申し訳ないですけど、「良かった」「悪かった」なんて言えません。
もっと何回も数を重ねておばちゃんになったころにやっと、「今回のは○○年のときと比較するとあーだこーだ。」なんて少し言えるようになるのかしらん。

まあそれに、ここまでの国際展になると、賛否両論なのが当たり前。
ヴェネチアも毎回賛否両論。ドクメンタも。何もかも。みんなが絶賛するような国際展なんて存在しないんじゃないでしょうか。重箱の隅をつつくような批評も多いしね。それはあなたの好みの問題でしょっていう批評も多いしね。国籍も性別も立場も社会的歴史的背景も違う世界中のアートファンに、みんなにみんな気に入ってもらおうっていうほうが無理な話です。

どちらにしても、私なりにいろいろ紹介していこうと思うんですが、それもいつも通り小出しで。
だって今朝帰ってきたところだし、今日の夜は予定が入っているのです。

だからゆっくり待っていてくださいねー。

もちろん買うでしょ!一作品群一ページ、説明文と写真で、14世紀から2007年まで年代順に紹介されています。


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09/10 22:09 | Documenta 12 | CM:0 | TB:0
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