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Annie Cohen-Solal 「Leo and His Circle: The Life of Leo Castelli」
「読み散らしたら書き散らすブログ」から。




これはアート市場とかアートブームとか作品がどうやって商品になってくか、ってことに興味がある人にはおもしろい本。サルトル専門家として有名な Annie Cohen-Solalは、若い頃在米フランス大使館の文化部門を牛耳ってたらしく、そのときにレオ カステリと親交を深めたそう。

「「ギャラリスト」という職業を創った男」と呼ばれるレオ カステリは、50歳を過ぎてから本格的に自分のギャラリーをニューヨークに持って、当時アメリカ中を支配していたポロックやロスコーに代表される抽象表現主義のあとに来るポップ アートの立役者の一人。というかポップアートを商業的に成功させたのはこの人と言えるんではないでしょうか。

ちょうど去年の今頃フランス語版が発売されたときに手に入れて、それからちょこちょこと読んだり、だだーっと読んだり、挫折して読むのをやめたりした本。なぜ一度挫折したかというと、結構長いこの本の前半部分はずっとレオの少年時代、というか彼が育ったイタリアのトリエステの歴史的ポジションやら、レオの両親のことなんか、「うーん、微妙に興味ないかも」ということが多くてやめてしまった。私が働いているギャラリーのボスに「カナ、レオの本読んだ?」と聞かれて「いやー、それが最初のとこで挫折してしまってー」と正直に言ったら、「あーそうかも。私たちの年代のヨーロッパ人には興味深い部分でも、カナにとっては違うかも。ニューヨークのとこから読んだら?」と言われ、ニューヨークのところからもう一度始めてみた。というかほんの少しさかのぼって、パリのヴァンドーム広場でレオが友人とギャラリーを始めたところから読み始めた。

私は前に一度、クロード ベリがレオ カステリをインタビューしたドキュメンタリー映画の会話が文章にしてある本を読んだことがあったのと、もちろん現代アートの世界に端っこのほうながらも関わっていく上でレオ カステリの存在はすごく強くて、彼が成したこと、彼の性格なんかを聞いたことがあった。でもやっぱりきっちりと伝記を読むのは全然違う。もちろんどの伝記でもそうなんだろうけれど、レオ自身の人生だけではなく、その時代背景や社会の反応などもすごくわかりやすく盛り込まれていて、とてもおもしろかった。それこそラウシェンバーグとジャスパー ジョーンズの日常だったり、彼らとレオの最初の出会い、ポロックが大酒飲みだったこと、アルフレッド バー Jrがどんな風にMOMAを創ったか、ニューヨークがどのようにして芸術の首都にのしあがったのか、ベネチアビエンナーレでの賞レースなどなど。作品を見て、美術史を勉強して、そういうことはもちろんアートに興味のある人ならしていると思うけれど、その背景を知るともっと面白い。そしてそれが現代アートに関していうならば、「自分はそのときまだ何歳だったなあ。」なんて同時代の話なので非常に実感が湧くし、写真なんかのアーカイブや証言の量がずっと豊富でおもしろい。

私は数年前に生まれて初めてニューヨークに行った。そのときは私の働くギャラリーからの出張で、もちろんボスもいたし、他のギャラリストなんかも一緒で、「ニューヨークが初めてのカナを案内するアートツアー!」みたいな感じになっていた。有名なギャラリーの歴史や、誰と誰がいつごろつき合ってたなんていうゴシップネタまで満載で、おもしろい話がたくさん聞けたわけやけど、そのなかでもやっぱりレオ カステリの存在は大きかった。「ここがレオがSOHOに開いたギャラリーね。ほんで○○階にソナバンドが入ってて、、、」「レオがSOHOに行く前はここでやってたのよ、ギャラリー」だとか、「彼女は昔レオとつき合っててね」とか。そうね。私にとってはもう大昔の偉人のように感じるけれど、彼と一緒に仕事をした人なんてまだまだ五万といるくらい、彼は私の同時代人なんだ。と実感した。レオ カステリがいなくてもニューヨークのアート界は存在するけれど、レオ カステリがいたからこそあるニューヨークのアート界っていうものも確実に存在する。


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09/16 20:43 | 本 カタログ | CM:1 | TB:0
My Name is Charles Saatchi and I Am an Artoholic
私の読書ブログ「読み散らしたら書き散らすブログ」を久しぶりに更新して、それがアート関連の本だったので、こっちにも載せときます。

これはトイレもしくはメトロに最適の本。



サーチさんをご存知だろうか。若くてサーチ エンド サーチという広告会社を立ち上げてそれがあたりにあたって億万長者になったイギリス人。アート好きが億万長者になったので現代アートを買いまくり。そのうえ自分のコレクションを見せるためのギャラリーまで運営しているという。ギャラリーとは言え、その建物の規模は地方の美術館並み。そのうえ無料ときたもんだ。
サーチギャラリーのサイトでは、世界中の自称他称アーティストが自分の作品画像を載せることができるので、若手アーティストたち目録みたいになっているけれど、もちろん「誰でもが」載せられるのでそのレベルは様々。2010年のいまとなってはよくあるサイトのように感じるかも 2006年に彼が始めたときは「おお!」と思ったのを覚えてる。
最近ではリアリティーショーのアーティストバージョンをBBCと組んで作るらしいが、そういう「なんでもこい!」なスタンスが、私は結構好き。

saatchi.jpg

でもこの人、アート界泣かせでもある。まあ、コレクターなんだから自分が所有している作品は好きにしてもいいという自由が彼には絶対的にあって、そして彼の持ってるお金なんだから、どの作品に自分のお金をどれだけつぎ込むのかという自由も彼に絶対的にある。
でも買い過ぎでお金持って過ぎなのと、そのやりかたが派手なので、もちろん反感も買うし影響力も良い方にも悪い方にも強い。
例えばオークションでそんなに高値でないアーティストの作品をどこまでもどこまでもつり上げて競り落としたり(もちろん競る相手がいての結果なわけですが)、ある若手アーティストの作品を買い漁ってすぐに、同アーティストの作品を全てアート市場に流して相場価格を崩壊させたり。若手アーティストたちにとっては「サーチに作品を購入される」ということは、ひとつの素晴らしいステイタスであり相場価格が数倍にはねあがる瞬間であると同時に、彼の気持ち一つで自分のアーティストキャリアがぐちゃぐちゃに破壊されるかもしれないという恐怖が伴う瞬間でもある、と言える。

ま、一言で言ってしまえば、「下品」なんですね。でもまあこの世界で誰が下品でない?私は現代アート界でやってきたいと思っている人間ですが、上品でエレガントなことしかやってない人は皆無ですね。ま、多分どの世界も一緒だと思うけど。

さてさて本題。そんなサーチさんはマスコミが大騒ぎして書きたてるようなことばーーっかりしてるけど、マスコミには全然顔を出さない。そんな態度が余計みんなの心を逆なでする億万長者のおっさんが、「どんな質問にも答えましょう」という本。インタビュー本ではないので、話がつながってるわけでもなんでもなくて、本当にしょうもない短い質問が大半。
まあでもサーチさんが世の中のどんなことを面倒くさいと思ってるのかとか、どういう視点を持ってるのかとか、なーんとなく垣間みれるような気がして、最後まで楽しく読めた。

そのなかでもいくつか私の頭に残ったものがこちら。別に興味深くてという意味ではなく、思わずにやっと笑ってしまった感じのフレーズ。

-Does it matter that many pieces are now made by assistants rather than the artists themselves?

Like what Rembrandt and Rubens done, you mean?

-Which art dealers do you like?

Lao Castelli のことに触れたあと、
I adore Larry Gagosian, but I always hear the theme music from Jaws playing in my head as he approaches.

あともうひとつあったんだけれど、どこに書いてあったか見つからない。私の記憶では、
「あなたのような売買をして、現代アート市場を動かしているつもりですか」的な質問に、
「市場というのは、アートでも掃除機でもモノが売買される場所に存在する。ただそれだけだ。」みたいなことを答えていて、日本では「アート市場がない」などと嘆く声が多いけれど、日本のアート市場はいまそこで売買されている状況がそのままマーケットなわけで、別に「ない」わけでは決してないな、と思ったのでした。


ちなみにサーチさんに聞きたいことがある人は、質問募集中ということなので、下記のアドレスに質問を送れば、もしかしたらこの本の続編やら第二弾やら、なんらかの企画で答えてもらえるかもしれませんねー。
pkapublishing@googlemail.com


こっちもフランスでは既に手に入るけれど、私にはふたつの違いが全くわからん。
多分どっちか読めばそれで十分と思う。別にどっちも読まなくてもいいかも。

07/06 02:02 | 本 カタログ | CM:0 | TB:0
Andy Warhol 「POPism The Warhol Sixties」 /アンディー ウォーホル 「ポッピズム ウォーホルの60年代」
数週間前にすーーーっごく面白い本に出会った。
それから「ポップに生きろ!」というのが夫と私のスローガン。

 


よく考えたらアンディー ウォーホルほど回顧展がしょっちゅう開催されるアーティストっていないと思う。私がフランスに来てから見たもので、今思いつくのだけでも5つもある。それにプライベートギャラリーで行われるウォーホルのコラージュ展、写真展、ドローイング展などをあわせたら、私が見たものだけでも両手で足りないほど。プラス見に行ってないもの、それこそ開催されたことも知らない展覧会なども世界中にあるんだから、いまでもピカソに匹敵するくらいのアート界のスターであると言えるわけだ。

ウォーホルのことは知ってるようで知らない。それを思い知らされたのは、年末年始に行ったロンドンで開催されていた「Other Voices, Other Rooms」展だった。評判が良かったこの展覧会。どうしても行きたくて会期終わり頃に滑り込み。ウォーホルが60年代後半から80年代に至るまでに製作した映画やテレビ番組を中心に、ポラロイド写真、インタビューテープなどのアーカイブ盛りだくさんの本当に興味深い展覧会だった。ここで「もっとウォーホルを取り巻いていた環境について知りたいな。」と思った。
そして一ヶ月ほど前にグランパレで見た「Le Grand Monde d'Andy Warhol」というウォーホルの手がけたポートレートを中心にした展覧会で、そのポートレートの主題となる人物たちに興味が出てきて、この展覧会のキュレーターであるアラン キュエフが書いた本を読もうと図書館で探したけれど見つからず、結局彼が序文を寄せている、このアンディー ウォーホルが60年代を語る自伝「ポッピズム」を手に取ったというわけ。

アンディー ウォーホルのことをよく知らなくても、ポップアートのことを詳しく知らなくても、この本は本当に面白い。60年代のアメリカ、ニューヨーク、音楽、ファッション、ドラッグ、ヒッピー、アンダーグラウンド映画などなど、当時のカルチャーシーンに少しでも興味のある人には読んでほしい、心からおすすめの本。

もちろん当時最前線のコンテンポラリーアートシーンにいたジャクソン ポロック、フランク ステラ、ジム ダイン、エルウォース ケリー、クラウス オルデンバーグ、ロイ リキテンシュタイン、ロバート ラウシェンバーグ、ジャスパー ジョーンズなどのアーティストたちから、レオ カステリ ギャラリーのディレクターだったイヴァン カルプやウォーホルの大親友でメトロポリタン美術館のキュレーターになるヘンリー・ゲルツァーラー、アンディーのミューズであったイーディ、ニコ、それから60年代のニューヨークにその若さを彩るボブ ディラン、ヴェルヴェット アンダーグラウンド、ミック ジャガー、はたまたジュディー ガーランド、デニス ホッパーなどなど、ファクトリーの住人以外にも、同時の有名人やポップカルチャーやコンテンポラリーアートを創ってきた人物たちがたくさん登場する。私が今パッと思いだせる人たちだけでもこんなに。ジョナス メカスも登場しまくり。

それ以外にも、60年代というものがあらゆる思想や反抗精神、社会批判や主張の誕生するときであったことに、いままで知っていたはずなのに、改めて驚かされるというか感心させられる。ウォーホルがファクトリーで生きた60年代。ケネディー暗殺やヒッピー ムーブメントなどが、彼自身の視線で語られる。

私は序文を順番に読まずに、いつも本文を読み終わったあとにあとがきのように読む習慣がある。本文を読んでいるあいだに、ウォーホルが自分の恋人たちについて一切触れていない点や、まるで彼がいくつかの有名すぎるほど有名なスクリーンプリントとアンダーグランド映画しか製作していない(だってウォーホルほどドローイングやコラージュを数限りなく製作したアーティストもまた少ないと思うから。)かのように書かれている部分には疑問を持っていた。序文をあとから読むとアラン キュエフはそこにも言及していたし、またもうひとつ、ウォーホルはこの本でまるで1960年からアーティスト活動しかしていないように語っているけれど、本当は1950年くらいまでは広告デザイナーとしての仕事も続け、それでファクトリーにいついている何人もの若者を養っていたらしい。やっぱり序文を最後に読んでよかったーーー!そういうのを最初から知ってるとあんまり面白くないしね。と言いながらネタバレさせてるけど。

そういうことからもわかるように、これはアンディー ウォーホルがアーティスト活動を本格的に始める1960年からファクトリーを訪問した女性に撃たれる1969年までを語った自伝ではあるけれど、彼自身についての叙述は少ない。ウォーホルがファクトリーの住人たちと過ごした毎日、一緒に行った展覧会、映画上映会、ナイトクラブ、彼が「スーパースター」と呼ぶ取り巻きの人物像や性格、日常が、冷静にかつ冷酷なくらいに客観的に語られている。


実際に生きた(もちろんいまも生きている人たちもたくさんいます)人たちの話となると、それぞれの名前に顔をくっつけたくなるというのが人間というもの。そんなわけで、この本と一緒に楽しむといいサイトと本を紹介。

ファクトリーに出入りしていたSuperstarたちや製作された映画を網羅したサイトはこちらから。ウォーホルの視点で書かれた本と、そこで語られたことが「アーカイブ」や「情報」として載っているこのサイト。私は一緒に楽しみました。

そしてもう一つ一緒に楽しめておすすめなのは、上に書いた、私がロンドンで見たアンディー ウォーホルの「Other Voices, Other Roomes」展のカタログ。この展覧会はいままでスクリーンプリントの作品ばかりが評価されてきたウォーホルが製作した映画やテレビ番組に焦点をあてたもの。めちゃくちゃおもしろかったので珍しくカタログを買っていたんやけど、なんかほったらかしにしていて、「ポッピズム」を読みながら、同時にぐんぐん読めた。写真も満載!




そんなわけでここ数週間、私と夫は毎日ウォーホルのこと、ポップアートのこと、60年代のこと、ヒッピーのこと、イーディのこと、ニコのこと、ボブ ディランのこと、ヴェルヴェットアンダーグランドのこと、レオ カステリのこと、その他数えきれないほどのファクトリーの住人の話で持ち切り。

一人でこの本を読むのもいいけど、誰かと同時期に読んでおしゃべりするのもすごく楽しい、「ポッピズム」です!


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このインタビューがおもしろい。アンディー馬鹿にし過ぎ!!



イーディとジェラルドのダンス最高!!
07/21 02:09 | 本 カタログ | CM:0 | TB:0
La vie possible de Christian Boltanski / クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生
私はすぐに目移りがしてしまうタイプの人間な上に、本の大きさといったら多種多様なもんだから、一時に一冊だけの本を読んでいるということができないんです。
だから大小様々な本を3、4冊ほど平行して読むことが多い。
家でゆっくりしてるときに読むでっかい本。旅行なんかの長い移動時間中に読む中くらいの本。夜寝る前に読む一章ごとが短い本。メトロなんかの短い移動時間中やフランスでは避けて通れない列を作ってる間に読む文庫本。などなど。あと、以前に読んだ本を急にまた読みたくなってドワーーッと読み返すこともしばしば。最近ではカトリーヌ ミエの「L'Art contemporain : Histoire et géographie」や、ダニエル アラスの「On n'y voit rien : Descriptions」と「Histoires de peintures」を学生の頃に戻ったように読み返していました。ここ2ヶ月ほどばりばりの現代アートの展覧会だけじゃなくて、近現代絵画の展覧会をいくつか見に行ったということが大きな理由だと思います。前と違って「カトリーヌ ミエの書いてることってこんなんやったっけ?」と少しえらそうに思ったり、はたまた「やっぱりダニエル アラスはえーなー。何回読んでも新しい発見があるわ。」と感心したり。芸術作品と同じで、自分の知識や経験と相まって、読むときによって自分の思いが変化するのも楽しいところ。
アラスのはどちらも日本語バージョンが出ていました。
なにも見ていない―名画をめぐる六つの冒険
モナリザの秘密―絵画をめぐる25章

こんなことを言っても最近本腰入れて読んでいたのは、カトリーヌ グルニエがクリスチャン ボルタンスキーに週に一回会いに行ってはインタビューして一冊にまとめた、「La vie possible de Christian Boltanski」。まあ、口語で書かれたインタビュー本なので、本腰入れなくても、読み物として楽しんで読めます。題名は日本語に訳すと「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」。

日本語での翻訳がでてないのが残念なところ。去年には日本で講演会を行ったようだし、越後妻有トリエンナーレにも出たことがあるようだし、直島の横の家島プロジェクトも手がけているんだから、訳が出ればある程度売れるんじゃないかなー、と思うけれど、現実はそんな簡単なもんじゃないか。

と書いていたけれど、日本語版が出たようなので、こちらから。
そのうえグランパレでの写真になってる。



さてさて、内容はというと、もちろんボルタンスキーの幼少時代から現在に至るまでのトークでございます。私は最近ボルタンスキーの作品への興味がふつふつ湧いてくるのを感じたのですが、今まで昔の作品を美術館の常設展なんかで見ても、いまいち理解できないというか、美術館の解説だけではなんだか物足りない気持ちが残ったので、この本を手に取ったわけです。最初から最後まで中だるみすることなく面白く読めました。

幼少時代からのキリスト教とユダヤ教に対するボルタンスキー一家のスタンスだとか、パートナーであるアネット メサジェとの私生活での関係と、お互い売れっ子現代アーティストとしての関係だとか、あのシリーズはこんな風にできた的トーク盛りだくさん。
ベルトラン ラヴィエとは今でも大親友で週に一回は一緒に食事をしてて、彼のことは本当にすごいと思ってるけど、自分にはああいうのできない、とか、パリとニューヨークにあったソナべンド ギャラリー(ニューヨークには今でもある)での展覧会や、ダニエル タンプロン ギャラリーがまだサン ジェルマン デ プレの地下にあったときの展示のことなんかも。毎回「あんときも全然作品が売れなくてねー。」って言うのもケチで有名なボルタンスキーっぽい。服はザラで買ってるとか言ったり。小さい頃はお風呂に入ったりシャワーを浴びる習慣がなかったから、いつも汚くて、学校でしょっちゅういじめられたのでずっと学校行ってなかっただとか。アネット メサジェとの初デートではモンパルナスのブラッスリーにがんばって行ったんだけど、それまで父親に「食事のあとは手の指を髪の毛でふけ。髪の健康に良いからな。」って言われていたから、彼女の前でその通りにしたら驚かれた話とか。でも結局僕はすっかりはげてしまったから、あれは父親の嘘だったって言ったり。親戚のパーティーに言ったら、それまで会ったことのない親族のひとりに「あなたがそんなに丸々と太って幸せそなのでうれしいよ!作品を見ている限りでは「どんなに不幸な人なんだろう。」と思っていたからね!」って言われたりとか。
あと何があったかねー。結構前に読み終わったわりにはよく覚えてて書ききれない。
自分の作品についてはもちろんものすごく詳しくシリーズごとに話しているし、同世代の他のアーティストの作品についてとか、最近の若い人たちの作品についてとかも話してたかな。やっぱり彼のアートに強く関わってくる「宗教とボルタンスキー」の関係はすごく面白かったです。

他のインタビュー本に比べてこれが特に面白いと思う理由は、「こういう企画があって、誰々とかが参加してて、僕はこうしてああしてうまくいったよ。」みたいな「あんたの人生いっつもトントン拍子やな!」と読者が思わず卑屈になってしまうような文章ばっかりが並んでいるんではなくて、どちらかというとその真逆。「こう言われたけど僕こうしたら全然やっぱりあかんくてねー。」みたいな会話が多い。まあもちろん現在の彼の名声を考えればちゃんとそれなりに成功していたわけだし、「成功!」と一般的に言われるような結果を収めていなくても、常になんやすんごい歴史に残る展覧会に参加してたり、でかい美術館での個展のオファーがどんどんあったりするわけですから、それだけではないのはわかってます。でもなんか親近感持てるんです。インタビュー記事とかって「世の中そういう単純なことばっかりの積み重ねなんかね。結局は。」って勘違いしてしまう(もちろんみんなものすごい努力をしてるやろうし、才能のある人がインタビューをされるわけですから)ことが、私には多々ありますが、この本はボルタンスキーのちょっとアウトサイダーな感じのひねくれてるっぽい性格とかが出て、もう少し心の複雑な動きが見えるように感じます。あと「あのときのあの作品がほんまにいけてなかったねー。」とか「僕あの人とあのとき喧嘩してそれっきりだよ。」とか「あれは好き」「これは嫌い」っていうのがはっきり書かれてるのが気持ちがいい。「あ、このインタビューに答えてる人は人間だ!」って感じです。人ってそうよね。曖昧なものをいーーっぱい抱えて生きてるもんね。と思いました。

まあなんだか褒めまくりな私も微妙ですが、筆者のカトリーヌ グルニエ(ポンピドゥーセンターの学芸員)は「この本を出版するにあたって私は何もしてません。」って書いてるけど、必要最低限の言葉による、彼女の話の引き出し方とかもうまいと思うし、日本のインタビュー記事とかによくみられるわけのわからない「(笑)」みたいなのも皆無で、本当にボルタンスキーがべちゃくちゃべちゃくちゃと最初から最後まで淡々と話しているっていうのがそのまま出てる本です。カトリーヌ グルニエ曰く、ボルタンスキーはこの本を彼女が書き終えたときも出版するときも、結局一度も読まなかったらしいです。これが序章部分だかに確か書かれていて、本を読み進めている間、今までなんというか噂話や彼に関する記事なんかを読んでいてみんなの頭にできあがっている本当か嘘かわからないぎりぎりのところにある「ボルタンスキー伝説」みたいなものの真実がこれか!と思っていたんやけれども、最後のほうでボルタンスキーが「まあ、こうやって話しているけれども、こういうのは本当にあったことかわからないよね。だって人の記憶ってその場その瞬間にできあがる場合もあるけれども、何年もたったあとで写真を見返して「あーあのときはこうやった。」ってそのときの自分が勝手に妄想で作り出してる場合もあるわけだからね。」というようなことを言っていて、また振り出しに戻っちゃったような、でも不快なものではなくて、逆に「そうよなー。」なんて爽快に納得させられたり。あとそうそう、ボルタンスキーが「「現代アートの展覧会」とわかっていく展覧会ってなんか萎えてしまう。そんなの何も知らなくて、たまたまその場所に入ったらアートがあった。みたいな展覧会してみたいねー。」的なことを言ってたのも強く印象に残っています。

ちなみに今更ですが、ここに書いたことはこの本を読んだ私という読者の記憶の断片であり、今この記事を書くにあたって思い出したことを私の言葉でだだだーっと書いただけなので、まさにこのまま書いてあったというわけではないと思います。
きっとみなさんがこの本を読めば、「そんなん書いてなかったけど?そういう風には書いてなかったけど?」なんてことが出てくるかと思いますが、そのへんは勘弁してください。

っていうか、Shiftに寄稿した記事もそうだけど、私すんごいボルタンスキーファンみたいかな。別に違いますけど。

ちなみに「この本ぜんぜん面白くないな。」って言ってる人いっぱいいます。私が「好きだったよー。なぜなら、、、、、」って話しだすと「あの本面白かったって言った人ni初めて会った!」とか言われたりもしたくらい。


アニエス ヴァルダの最新映画「les plages d'Agnes」もそうだし、今家で読んでるクロード ベリが伝説的ギャラリストであるレオ カステリをインタビューした「Claude Berri rencontre Léo Castelli」もそうですが、同時代に生きている(または生きた)けど、自分よりは少し以前の世代の、才能のある著名人たちのが語ってることって、面白いし興味津々です。だって彼らは歴史を作っているわけだからね。


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日本語での彼に関する本はこれだけかな。


ここで紹介した本は、ボルタンスキー初の個展「La vie impossible de Christian Boltanski/クリスチャン ボルタンスキーのあり得ない人生」を文字ったもの。そのときのカタログがこちら。


ファイドンから出版のボルタンスキー カタログ。


01/30 01:48 | 本 カタログ | CM:10 | TB:0
Malaise dans les musees : Jean Clair
私自身のための備忘録というかメモとして、これからちゃんと読んだ本やじっくり見て読んだカタログについて、このブログに書き留めていきたいと思います。アートに関するブログなので、もちろんアートに関する本やカタログ限定です。ただのつぶやきみたいなもんなので、ここに書かなくてもいいんですが、ここでつぶやくことによって、いろんな人と何かを分け合えたらいいなあと思います。
実は誰も気づいてないと思いますが、このブログのメニューみたいなとこ(右ね)に、「いま読んでる本」という項目を先週くらいから追加しました。如何せん私はフランスに住んでいるので残念ながら日本の本はなかなか手に入らなく、ここに表示されていく本はフランス語であったり、英語であったりすることが多いと思います。でもこの時代、インターネットで世界中の本が買えますから、どんどん活用したいと思います。

さてさて記念すべき第一冊目は、先週末のパリーストラスブール往復の電車の中で読んだ一冊。

Jean Clair/ジャン クレールの「Malaise dans les musees/美術館での不快感」


ジャン クレール
は有名な学芸員で、ピカソ美術館の館長も務めていました。
彼が企画した展覧会で有名なのは「M�lancolie, G�nie et folie en Occident/メランコリー、西洋における才能と狂気」展です。

フランス語で学芸員は「conservateur」。この単語は「保守的な」という形容詞でもあります。ジャン クレールはまさにダブルでconsevateur consetvateur (保守的な学芸員)。
実際に彼は非常に優秀な美術史家であるし学芸員でもあるのですが、最近では、現代美術とフランスの昔の芸術を混ぜ合わせた展覧会がある度に、反対派のリーダーとしてメディアに引っ張りだこです。そのうえまたこういう展覧会がフランスではどうも流行みたいで、大忙しだろうと思います。だってジェフ クーンズがヴェルサイユ宮殿で個展をしているのも許せないヤン ファーブルがルーブルで個展をするのも許せないんですから。もちろんヤン ファーブルだけではなく、ルーブル美術館オルセー美術館で近年では定期的に企画される現代アーティストの展覧会も許せないだろうし、フォンテーヌブロー城でパレ ド トーキョーが企画した展覧会も許せないんでしょう。

そんなジャン クレールが、ルーブル美術館アブ ダビ計画に反対するに際して書いたこの本。
attachment.jpg

ルーブル アブ ダビに関してはもちろん、ルーブル アブ ダビと同じリゾート埋め立て地に建築予定のグッゲンハイム美術館の世界を股にかけたチェーン店化、はたまた2年ほど前にパリにできたケ ブランリー美術館のオブジェを従来の存在理由から切り離した「芸術作品」としての展示方法、「ダヴィンチコード」の映画撮影を多額のお金と引き換えに許可したルーブル美術館、そんな低文化のハリウッド映画の宣伝に多大に加担し、映画上映中は美術館内の至るところに「ダヴィンチコードの謎を解く!」なんてフィクションの馬鹿げた小説ブームに低俗に便乗した我らがルーブル、なんかとにかくそういうことに対して嘆く、文句を言う、「我らがフランスはそんな低レベルの国ではなかったのに!」という叫び満載の本です。

私はルーブル アブ ダビ計画に対して反対というわけではないですが、良い感情を持っていません。でも反対派のジャン クレールの主張には納得が全くできないし、私とは正反対の観点で物事を見ている人なので、逆に彼の本を読むのが好きなのです。
そして彼はなんといっても、「でっったーーーーーーー!差別主義者!」とページをめくるたびに叫んでしまうほどのレイシスト。あまりにもあからさまで、いっつもげらげら笑ってしまいます。著名な美術史家に、こんなことを底辺の私が言うのは非常に釣り合ってないんですが、彼の論点はあまりにも理想主義すぎるというか、時代遅れというか、まあいわゆる「おまえら、俺みたいなエリートじゃないんやから、絵なんか見るな。どうせわからんやろ。」ということを遠回しに、でも結構はっきりと言っちゃう、そういう点ではかなりレベルの低い人だと思います。いや、彼は素晴らしい美術史家だと私も思いますけど、ほら、「この人すごいなー。頭いーなー。」と認めてはいるんやけど、思想についての話になると「あんたまだそんなこと言ってんの!?」って会話にならへんみたいな人って普通にいるでしょ。そんな感じ。(読み返して自分のえらそうっぷりにたじたじしてしまった。でもいいか、ブログだし。)

電車の中で読んでいて、あまりにも私が本を読みながら一人でぶつぶつ言ってるので、配偶者がたまに「いま差別レベルどれくらい?どれくらいあがってきた?」なんて冗談で聞いてきて、いくつか「これは!」というところを読み聞かせて、二人で「でたーーーー!レイシスト!っていうかいまからレイシスト多めの地方(ストラスブール)行くからちょうど良いな!」としっかり楽しめました。

例えばね、
ルーブルやフランスの地方ボザール美術館にある作品は、世界一大きく古いコレクションを誇り、それはフランスの王制から生まれ、フランスの歴史の中で豊かにされ、革命の間も保管され、芸術品破壊の蛮行からも守られ、国民皆に開かれ、フランス共和制の努力によって維持拡大されてきた。

まあそういうことなんで、アラブ首長国連邦のアブダビの人になんか、俺らの芸術はわからないんだよー。という主張なわけです。

あっれーーーー?でもフランスが外国で略奪してきた芸術品もルーブルのコレクションの、重要作品の大多数ですけど、それには触れないんすかーー??えらいうまいこときれいにまとめたけど、なんかめっちゃ抜けてる部分あることない?あなたのフランス美術史?みたいな。

ほんでそのうち、フランスが外国で略奪してきたのは外国に芸術品を置いとくとちゃんと管理するかわからへんから、亡命させてきたのであって、フランスにあるおかげでこれらの外国の芸術品は安全だ、みたいなことになっていく。

はあ?

あと彼は美術館に来る観光客が嫌いです。っていうか多分観光客じゃなくても、美術館に来る人みんな嫌いなんやと思う。自分以外の人が来るとどうもむかつくみたい。マドリードのソフィア美術館とかロンドンのテートモダンとかも嫌らしい。

私は「ルーブル」がアブダビに建つことにどちらかといえば賛成でしたが、この本を読んでジャン クレールの主張とは全くかけ離れた点で、反対意見になりました。彼は「フランスの栄光」を守るために反対なわけですけど、私はアブダビの文化レベルを本当の意味であげるために反対です。この埋め立て地はリゾート地です。砂漠の真ん中に、もういくつかわからんくらいの星付きのホテルが何十件も建って、ゴルフ場があって、ビーチがいくつもあって、高級ブティックだらけのショッピングセンターがあって、そして「ルーブル」があって、グッゲンハイムがある。グッゲンハイムはそれでいいのかもしれません。だってセンセーショナルな建築物を建てて、そこで展覧会をするのが、もういまではグッゲンハイムマークだから。でもルーブルは二つあっていいもんじゃないと思います。それはフランスのためではありません。アラブ首長国連邦の文化のため。彼らの国にある世界に誇れる美術館が、自分たちの文化とはかけはなれたフランスの美術館であることに、恥ずかしいと思わないんでしょうか。日本一の美術館がたとえば「オルセー美術館トーキョー」なんかうれしくない。何の意味もない。そしてそれらのレンタルしてくる芸術品は、フランスで製造された戦闘機を買うということと引き換えです。そのうえなぜ「ルーブル」という名前まで売り渡すんでしょうか。日本でよく見る○○美術館コレクション展というものではなく、その建物は「ルーブル」という名前なのです。

それでいいの?お金があるからなんでも買えるし、石油持ってるからどの国も言いなりやけど、この計画によって国の本当のレベルがわかってしまうと思う。世界有数の金持ちだけのために建設される人工の埋め立てリゾートで、泳げてスキーもゴルフもできて、キンキラキンのホテルで寝泊まりして、「ルーブル」見て、グッゲンハイム アブ ダビ店見て、それで「アブダビは世界の文化の中心だ!」って誰が思うでしょう。

ケ ブランリー美術館の在り方に関しては、私も同じことを思っていたので「うんうん。」とうなずく点もありましたが、やっぱりなんか差別してる感がぬぐえず、「それ言い過ぎ。」とか「それはちょっとおなしな展開やろ。」とつっこんでしまったことも否めません。

あと8月の日本一時帰国のあと、日本には美しい美術館という名の外見にだけお金のかかった空っぽの箱がいっぱいできている、と書きましたが、その空っぽ度はフランスのほうが全然マシとは言え、フランスにも同じような空に近い美しい箱がたくさんできています。そのことについても少し言及(といっても、彼のことなので容赦なく文句)してあって楽しめました。

ためになるならないの話ではなく、こんな意見の人もいるんやのー、というゆるい感じで読めます。自分の意見が流されるようなことは、書いてあることがあまりにも極端すぎるので皆無です。そのへんの心配は要りません。というか、外国人の私からしたら「どんだけえらいねん、フランス人!引き算できひんくせに。」という目線で読んでしまいます。

でもそんなジャン クレールの本、私結構好きなんです。だって、頑固で時代遅れやけどめちゃくちゃインテリでエリートでいろんなことしてきたすごいオヤジの書いてることやから。


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伝説的!メランコリー展のカタログ。
 

以前から読みたいと思っていたけど、まだ読めてないジャン クレールの本。


2年前のマドリード旅行のお供だったピカソに関するジャン クレールの本。マドリードにはゲルニカ目当てに行ったということもあって、ピカソに浸りたかったのです。そのわりにはあんまりこの本に関する記憶がない。読み直さないとなー。


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