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Richard Siegal + R&Sie(n) 「Civic Mimic」
Richard SiegalとR&Sie(n)!ポンッと思わず膝を打つ組み合わせ。それよりも「なんで私今まで思いつかなかったんやろ~!?」って、悔しくなった。私が思いついたからと言って何かが変わったわけでもなんでもないけど。

Richard Siegalはフォーサイスカンパニーで踊ってたダンサー。いまは独立してコレグラファー/ダンサーとして活躍している。私が見た初めての作品は「Stranger/ Stranger Report」。もう5年ほど前に見たんだけど、今でもすごくよく覚えている。リチャード シーガル本人が、テレビ画面やケーブルなどが散らかる薄暗い舞台の上で、なんだかなめくじのような動きをして踊っている。その詳細が様々な角度で舐めるような近距離からビデオ撮影したものが、舞台上のテレビ画面に映っているというものだった。

R&Sie(n)は日本でも有名な建築事務所なのでご存知の方も多いはず。
うまく説明できるかわからないけど、R&Sie(n)は建築を状況や周囲のものによって相互作用する、動きのある有機体として捉えているので、例えばある空間の中に人間がいるとすると、人間が空間内で動くだけではなく、人間の動きによって空気や熱の流れが変化するように、空間自体もアメーバのように動く、と考えて研究を行っている事務所です。(私はそう理解しているけど、間違ってるかも、、、、)

そんな二組(R&Sie(n)のほうは建築事務所なので)がコラボレーションしたパフォーマンスを、2012年12月15日から17日まで19時からシャイヨー劇場で見ることができるというので行ってきた。そのうえ無料。この期間、ウィリアム フォーサイスの新作公演がシャイヨー劇場でやっていたので、それと合わせての企画ともいえるんだろうけど、多分フォーサイスのより見る価値あるんじゃないかしら、と私は思った。

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パフォーマンスはどこであるのかな~とうろちょろしていると、エッフェル塔の見えるレストランの横の広場ではなくて、その下のstudioのほうへとつながる階段のところに人が集まってきた。

パッと見て、「あ、素人さんや」ってわかるダンサーさん達。シャイヨー宮のサイトで見ると、今回のパフォーマンスのために250人の素人ダンサーが募集されたらしい。
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階段の踊り場にぴったりとはまる人数のダンサーたち。踊り場という空間に合わせて人数を決めてるのは当然わかってるんだけど、まるでダンサーの人数に合わせて踊り場の広さが決まったように見えるくらい。
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階段を一度登っただけで、ダンサー達は同じ姿勢のまま。これがずっと続くのかな?サイトの写真と違うな、って思ってたら、やっぱりこれはイントロだったようで、レストラン横の広間からギュイ~ン ウイ~ンってすごい電子音が聞こえてきたので、そちらに移動。

ここからはもうぐんぐんスピードに乗って、どんどん増えていく観客をぐいぐい魅了していった。
波状の二台の長くのびる台の上と床で、5名の女性ダンサーと1名の男性ダンサーが踊る踊る!
その台は途中から横のレストランエリアで食事をしている最中のお客さんたちのテーブルになっていた。
舞台と観客席と隔たりのない空間でのパフォーマンスなので、もちろん食事中のお客さんの横でも踊るし、テーブルの上でも踊る。テーブルになっていないダンス専用の台は、プラスチック?のような素材に見える固定されていないL路型の無数の脚と太めの針金のようなものにささえられていて、台の上でダンサーが踊ると、その脚部分がぐわんぐわんしなって、事故にならないか、なんだか怖くなったときもあった。台の白い部分は毛の長いじゅうたんを石膏でかためたような作りで、かなり固い。
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下段の右の写真なんかは、観客の目が別のところを向いているときに、リチャード シーガルが男性ダンサーに公演中耳打ちしているところ。こんなふうに、シーガル自身がそこらじゅうをうろちょろしながら、各ダンサーに支持を出したり、空間を見直したりしているのを目の当たりにできるのもすごく興味深かったし、ダンサーたちが私たち観客のものすごく近くで踊るから、即興性の高いこういったコンテンポラリーダンスの場合、どんな風にダンサーたちがアイコンタクトを取り合い、周囲のダンサーの動きと自分の動きと調和、反響させるのか、タイミングのとりかた等々、ダンサーの汗がかかって息が聞こえる場所にいるからわかるのがおもしろかった。
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そうこうしている間も、階段のとこ観に行ったらまだみんなそこにいた。あそこのシーンもこうやってまだ続いている。

フォーサイスの公演時間が近づいてくるにつれ、観客の数が増えてきた。
観客が増えて「踊る場所」の広さが減るにつれて、ダンサーたちはどんどん私たち側の領域に当たり前のようにして入ってくる。ダンサーが踊ろうとする場所に誰かがいれば、その人たちを体で押しのけて踊る。またはそのまま観客にはりついたまま踊る。
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そんな動きを見ていて、ああ、これは本当にRichard Siegal と R&Sie(n)のコラボなんだ、と実感した。
私たち観客はさっき階段の踊り場で、踊り場の空間を作っていた人たちと同じなんだ、と。
ダンサーの身体と動きが、私たちが無意識に作りあげている空間を切り裂き、穴をあける。
でもそれだけではなかった。ダンサーの腕がにゅうっと私の右耳の横から伸びてきたとき、ダンサーの動くスピードの速さで私の身体が仰け反るとき、彼らのハアハアという呼吸と熱い息を聞き、肌に感じるとき、ダンサーも私も他の観客も食事中の人たちも偶然そこを通りかかったフォーサイスを見に来た人たちも、すべてがここの熱と空気の流れを作っていて、すべての瞬間にこの空間というものは変化し続けていて、一瞬として同じ状態ではあることはない。私がすべてを見たいとどんなに動きまわっても、それは龍安寺の石庭のように不可能で、また得てしてそういうものでなければならないものなのだと思う。あそこに柱があるから見えないんじゃない、と。あの柱とその向こう側にちらちら見える身体の動き、そしてそれを取り巻く空気、すべてがこの空間であり、この作品の姿なんだと思う。

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ものすごくスピードがあって音響の大きい禅問答のようだった。

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20時を告げるエッフェル塔のライトの点滅と共に、照明が落とされ、踊り場にいたダンサーたちがただでさえ狭くなってきている広間に流れ込んできた。彼らの動きは本当に曲線的でオーガニックな流れを感じさせるもので、だんだん満員電車の中のようになってきて、周りがダンサーだらけになってみんな踊っているので、踊っていない自分のほうが変なのか?という感覚に襲われる。

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この公演がいつ終わったのかわからない。フォーサイスの公演の開始のベルが鳴り、踊り場にダンサー達が再び集まり始めたけれど、まだまだ踊っている人は広間にいる。結構待ったけど、照明が落とされることもなければ、幕が閉まることもなく、音楽が止むこともないまま、私は会場から出てきてしまった。「ブラヴォー!」と叫ぶのも、多大な拍手を贈るのも、スタンディングオベーションも、舞台という枠のなかでのこと。いつ始まったいつ終わったのかわからない、その部分もこの作品が最後の最後まで突き詰めて制作されているからだ、と満足だった。私の異様な胸の高まりを伝えるほど拍手ができたわけでもなく少しフラストレーションは感じながらも、この作品はこうであるべきだ、とも強く思った。それが本当に成功だと思う。

Richard Siegalのインタラクティブ作品If/Then installedが、現在ポンピドゥーセンターで開催中の展覧会「Danser sa vie」でも展示されているようなので、是非そちらも見に行きたいと思います。

しかしまあ、シャイヨー宮、空間は良いけれど、観客が悪いといつも思う。観客のコンテンポラリーダンスを観るレベル(?なんじゃそりゃ。でも言いたいことわかってもらえるかなあ。)が低い!まあだから、今年度はシャイヨー宮には足を踏み入れないわ!と思ってたんだけど、この夢のコラボの魅力に負けてしまった。
でも負けて良かった。いいもん観れたし。
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12/17 23:52 | コンテンポラリーダンス | CM:0 | TB:0
Herman Diephuis 「Paul est mort ?」
土曜日にHerman Diephuisのダンス公演を見に行った。彼の作品を見るのは、「D'apres J.-C」「Julie entre autre」に次いで三つ目。2、3年前に初めて見た「D'apres J.-C」がかなり衝撃的で「Julie entre autre」も面白く、そして今回の「Paul est mort ?」で、私はこのコレグラファーが好きだと思った。

今回の作品は、「イエス キリストより有名」とまで言われるビートルズというイコンをテーマにしたもの。「D'apres J.-C」ではルネッサンス芸術に見られるキリスト像、そして「Julie entre autre」では映画「サウンド オブ ミュージック」の主人公を演じたジュリー アンドリュースという、イコンをモチーフにした作品だった。

ビートルズが演奏中、音楽が聞こえなくなるほど泣き叫び失神するファンたちを模写したダンスから始まり、ビートルズが様々なメディアに残し私たちの記憶、いや現代史の一部にもなっているビートルズのメンバーたちの笑顔やポージングを再構成したダンスに続く。それらは徐々に破壊され疲れを露にしながらも、途中で立ち止まることをゆるされなかったビートルズのように、繰り返される。しかしその身体的精神的バランスが崩れていくのが目に見えていても、音楽はダンサーを煽ぎ続ける。公演の最初にポール以外のもうこの世を去ったメンバーを表しているのであろう(リンゴはまだ生きてるか。忘れてた。)ダンサー三名が自ら舞台中央に組み立てたドラムセットは、同じリズムを刻みながらも、ひとつずつひとつずつ解体され、最後にはドラムを叩く動きだけがダンスのコンビネーションのように残る。それはまるですこしずつはがれていく仮面のようでもあり、時代と社会とメディアとファンと、そんないろんなものが壊してしまったビートルズという天上のアイドルの亡がらのようでもあった。

「D'apres J.-C」「Julie entre autre」そして「Paul est mort ?」と、Herman Diephuisは私たちが簡単に知覚することのできるイコンを用いて、プロパガンダで利用される視覚に訴える反復性とその強さ、またその物哀しさを見せてくれる。しかしそれはただ単にコンセプトやメッセージ性の強い舞台公演というだけに留まらず、ダンスに求められる身体の美しさや技術も充分に発揮され、また笑ってしまうところもある、素晴らしい作品に仕上げられている。

来週ポンピドゥーセンターでのHerman Diephuisの「Ciao Bella」が仕事の都合上見に行けないのが残念。

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01/19 08:39 | コンテンポラリーダンス | CM:0 | TB:0
2009年2月7日 パリ市立劇場でのMaguy Marinの「Turba」公演
長いことブログを書いてなかったから、そろそろ何か書かないといけません。
でも書きたいと思うことがない、ないないない。そりゃ大して何も見に行ってないから書きたいこともないわけだ。

ということで思い出したように、2月7日のパリ市立劇場で私が体験したというか、見たことについて書きます。
その日はマギー マランの新作を配偶者と一緒に見に行ったのです。

私にとっての最初のマギー マランの作品は何年か前に見た「シンデレラ」でした。その頃の私はたしかまだひとつかふたつくらいしかコンテンポラリーダンスの公演を見に行ったことがなくて、そんな初心者のとき。ぜんぜんその作品を好きになれなくて、どこをどう見ていいかわからなくて、ただただリヨンオペラ座の最後列の席で、まるでドガの描く絵のような自分の真下に舞台があるという位置から、????を頭の中いっぱいに巡らせて食い入るように見ていたのを思い出します。

いまこれを書いて思い出した、そうだった、あのときもそうだった。
私の隣に二十歳くらいの女の子とその母親がいた。私は何がなんだかわからないし、マギーマランのその作品が良いとも思えないし、どないしましょ、と思いながらも何をどう理解するべきか、ということを必死で考えていた。今から考えれば、彼女たちも、私ときっと同じくらいどうしたらいいかわかってなかっただけだと思うけれど、そこはフランス人、結構な数の人たちが自分たちが理解できないものに出会うとそれについて考えたり理解しようとしたり、受け入れたり、視点を変えたり、そういった努力を一切せずに「あれは似非インテリ茶番だ。」という枠にいれてしまう、ただ、「なぜだ、なぜ私は何も感じないんだ。何が言いたいんだー、ぬぉーーーー!知りたい!」という欲求よりも先に「考えて理解できなかったときにださいし、そうなったら怖いから考える前に投げてしまえ!」となるんですね。だから、ものすごく大きくため息をついたり、「しょうもない。」とつぶやいたり、その母子も二人でこそこそその作品が最低だということを話し始めました
一応ここで言っておきますが、私はものすごい注意魔です。それが知らない人であろうが知ってる人であろうが、どんな年齢のひとであろうが「それはちょっとおかしいんじゃないか。」と思うとすぐ注意してしまう。だまってられない。だからそのときも「静かにしてください。舞台の感想は終わってから話してください。ため息をつくくらいなら、出て行けばいいでしょう。今は見るときですから。」と言ったんでした。「いや、でもしょうもないもんをしょうもないという権利はある。」みたいなことを言い返されて、「その権利を振りかざすのは今じゃなくて公演の後です。今したいなら、外でどうぞ。」と言ったんでした。そうそう。そんなことがあった。もちろんこしょこしょ話をしてるみたいに小さい声でしたが、まあ、注意してる私も他の人からしたらうるさい存在なのかもしれません。


そしてそれからマギーマラン食わず嫌い状態になっていて、結局2008年コンテンポラリーダンス マイベストのなかにはいった、「Umwelt」が、私にとってのマギーマラン二度目の体験でした。もしかしたら他にも見ているかもしれませんが、はっきり覚えているのはこの二つです。
このブログにも書いたように、この作品を見た後は、椅子から立てない、、、、と思うほど、なんなんやろ、あれは。感動ではない。うーん、衝撃?でもない。恐怖に近い何か、と言えるかな?が頭とか全身をぐるぐる駆け回っていたのを思い出します。
あのときは公演中ずっと、轟音を発する強風が舞台を吹き抜けていて周りの人たちからどんどん席を立って出て行く音も気にならなかったんでした。でも公演のあとふと我に返ったら、たくさんの席が空いていて、席にまだついているひとたちでも半分がブーイング、その残りの半分がブラボーと拍手を繰り返していて、公演中に舞台で見せつけられたカオスがそのまんま観客席まで移動してきたかのような錯覚に襲われ、なんか宙に自分一人だけ浮いてしまって、いろんなことをハタからぼんやり見ているような感じでした。


そして今回。どんな公演だったかは、フランス語ではたくさん書かれてるんですが、日本語ではこちらを参照してください。すばらしい。私にはこんなこと逆立ちしても書けません。

私がここで書きたいのはこの作品が良かったとか、そういうことではないんです。
いや、実際すごく良かったんですよ。小道具や衣装の持つ色彩やマチエールの組み合わせ、そして照明の使い方が素晴らしくて、暗闇から浮き上がってくる舞台の一部一部が非常に美しいし、音楽というか音響というかも素晴らしかった。
私は去年の「Umwelt」のときのように、最初から既に座席にはりつけられたようになって、心臓がどくどくどくどく舞台上の熱狂とともどんどん高まるのを感じていたけれど、本当は怖くて怖くてなんだかどうしたらいいかわからなくて叫びたくてしょうがなかった。
でもひとつ、「Umwelt」のときと違って、私の舞台上への集中が途切れたりすることが何度かあった。それは今回の作品では、音響が普通の大きさというか、「Umwelt」のときのような轟音ではなかったので、観客たちによる騒音が気になってしょうがなかった。私には理解できないことだけれど、まあ彼らはわざとやっているのだから、私やその他の観客たちに気になってもらわないとそれらをやってる意味がないのかもしれない。どちらにしても頭の悪い何の教養もない人間たちだと思う。
途中で席を立って出て行く人たち、いや、出て行くだけなら勝手に出て行けばいいし、私も気に入らない舞台なら出て行くことがよくあるけれど、わざと大きな音を立てて椅子から立ち上がったり、会場からでるときにわざとドアをバタン!!と閉めたり。
わざと大きく咳をしたり、大きくため息をついたり、全く関係のないところで皮肉に大声で笑ったり拍手をしたり。
それをして何になる?
それをすることによって、実際はまったく論拠立てて説明することもできないしょうもない批判をしてるつもりなんでしょうか?
そのうえそれで最も大きい被害を被るのは、彼らの隣に座って、静かに作品と必死に対峙している他の観客たちだということが一切わかってない。

私は日本とフランスにしか住んだことがないので、それがお国柄なのか、とかはよくわかりませんが、フランスで暴力的なシーンが多い映画を見ると、そういったシーンでげらげら笑う観客がすごく多いことにいつも驚きます。別にホラー映画ではなくて、うーん、「ヒストリー オブ ヴァイオレンス」とか「ノーカントリー フォー オールドマン」とかそういう系の映画ね。あれはいつもなんでなんやろうと思っていて、あそこでいつも笑っちゃう人は、たかだか画面に映っているだけの映像で現実ではないのに、そのとき目の前で起こっていることが怖くて怖くて仕方ないから、それから逃げるために笑うんだと勝手に思っています。普通に見てられないんでしょう、きっと。で、今回の公演でも「あ!あれと同じ!」と思いました。マギーマランの作品の持つ恐怖感というか、「もうお願い、やめてー!」と叫びだしたくなる緊張感とか、そういうものから逃げたくなったから、みんな笑ったりしてごまかしてるのかなーって。

そんなダンス公演を見るべき正しい環境からかけ離れた状態で、なんとか集中して舞台をみつめていたときでした。

そんなとき、、、、、、観客席から一人の男性が舞台の上に上がって、「僕も公演の一部でーす!」とヒラヒラ踊り始めました。
私は「あ、、、れ?」と思いながらも「ハプニング?これも公演の一部でしょ。」なんて、そんな、だってねえ、考えられますか?現実に観客が舞台によじ上って踊りだすとか、あんたそんなサッカーの試合でもないしねえ。多分大半の観客が私と同じように普通にその光景を「あ、れ?」と思いながら眺めていたと思いますが、「いや、ちょっと待て、これはやっぱりなんかおかしい。」と思ったのは、その乱入男めがけて、怒り狂った男性ダンサー2、3人が「いいかげんにしろーーー!!!」と本気で殴り掛かり、その男が床にばたーーんと倒されたときでした。さすがに舞台の一部でもここまで本気で殴らんやろ、と。一人のダンサーのパンチが気持ちがいいくらいにその乱入男の顔にはいったんですもん。

と、そしたら後ろで「こんな状態じゃ公演は続けられないわ!!!」と叫んでる女性がいて、振り返ったら、おいおい、マギーマラン本人じゃないですか!

「もうーーありえない!!」と叫びながら、彼女が舞台まで降りてきて、会場の照明がぱーーーっとつけられました。

そこで、やっと「これはおかしい。」と確信した私、横にいた配偶者に「これって舞台の一部じゃないよね。」。配偶者は呆然。「いつからフランスはこんな表現の自由が侵害される国になったんだ、、、。」ってアンタ、一言目がそれかい!と思いながらも、私はひたすら「えーー!ありえへーーん。ありえるん?え、ありえるんか。」とそればっかり一人で繰り返していました。

舞台に上がってマイクもなしに会場に話すマギー マラン。「こんな状態では舞台は続けられません。この公演がどうしても耐えられないという方、全く問題ありません。他の観客野方たちのために、そしてあなたたちのために、出て行っていただく権利はあります。」そんな感じのこと言ってました。そこでもちろんかなりの人が出て行きましたが、面白いのは私の周りで出て行った人たちというのは、舞台を妨害するように笑ったり、わけのわからん拍手をしたり、うるさかった人たちではなく、どちらかというと静かに見ていた人たちだったのです。このあいだも残るつもりの観客の間からは舞台に向けての拍手が鳴り止みませんでした。ぎゃーぎゃーそれまでうるさかった観客たちは、もうすっかり「僕なんにもしてないもーーん」みたいに知らんぷり。

そんなとき、これまた私の配偶者が公演中にずっと皮肉に笑って、すごくうるさかった私たちの後ろのカップルと口論し始めました。あっちゃー。どうしよ。と思いながらも、申し訳ない。私は彼よりもっと文句言いの性格。結局私が、「やばいやばい。このまま行くと本気の喧嘩になるかも。」と自制心が働かなくなるかと思うほど、抗議してしまいました。だって、何?あの人ら言ってることおかしい。こんな自体になったのはもちろん乱入男が一番の原因ではあるけれど、私にとって本当にうざかったのは彼ら。ずーーと後ろでげらげら笑って、ほんで言うことが「でも僕らのせいで公演が中断されたんじゃないしー。」とか、「マギー マランの作品を僕はよく知っているから、彼女の作品には笑う要素がたくさんあって、それを彼女は狙ってやっているんですよ!僕たち観客が作品に反応して何が悪い。」とか。「はああ?あんたたちの笑いは、ドーーーーー考えても皮肉の笑いだったでしょう。だいたいねえ、ここは劇場でみんながお金払ってくるところなんだから、他の人たちに対してもそれなりにリスペクトの気持ちが必要なんですよ。それにあんたたちの笑いなんて、私たちの迷惑になってるだけで、舞台に届いてないですよ。そんなに舞台のダンサーやマギー マランにあんたたちの笑いを見せたかったら。家にカンパニーまるごと呼んで公演してもらったらいいでしょう。それができないなら、静かに見てください。批判は公演のあとになんぼでもやってもらっていいですから。」などなどなど。

それにね、自分たちは「マギーの作品良く知ってるし。」とかわけわからん。その日に私が座っていた席は前から二列目のド真ん前の席でした。パリ市立劇場はチケットが取りにくい劇場で有名です。ということは、前の方の席に座っている人たちって、一年前からチケットを購入している会員ばっかりで、マギーマランの作品だけでなく、この劇場で行われるコンテンポラリーダンスの公演をかなり見ている人たちだと思うのです。そこで「僕はよくわかってるから笑ったんだ。」とか言っても説得力なし。いや、笑うのは全く問題ないんです。面白いとこでは思いっきり笑えばいい。でも彼らの笑いは、公演をものすごく馬鹿にした嫌な笑いだったのです。

パリ市立劇場の観客はものすごく扱いにくいと思う。もちろん私もその一人であると自覚はしています。でもなんというか、この劇場の観客は特別意識というか、なんかそういうのがあって、「よくダンスを見に来る私(僕)のジャッジは絶対。」みたいなところがあって、本当に自分の好き勝手していいかのように、まるで自分の家で作品を見てるような気分になる人がすごく多い。単純に「へーー。こういうのもあるのかー。私は好きじゃなかったけど、新しい発見やな。」みたいな謙虚なとこがない。自分の気に入らなかったら、「サイテー」となるし「なんかあの似非インテリ集団は!」となる。

あーーもう一ヶ月も前のことやのに、なんかイライラしてきました。

はい、ということで、会場が再び静まったとき、公演は続けられたわけですが、舞台上のダンサーの緊張も、そしてもちろん私たち観客の緊張もぷっつり途切れてしまったので、やっぱりそのあとは集中のない高揚感のない公演となってしまいましたとさ。


この作品は他の街でも公演されたことがあったし、この日も初日ではなかったのですが、毎回、観客の反応が暴力的で劇場側もカンパニーも頭を悩ませていたようです。でももちろん公演が中断されたのはこれが初めて。こんなこともう起こってほしくないです。


っていうか、「踊らないダンス」ということでみんなそういう反応したみたいですけど、私が普段見に行くダンス、もーーーっと踊らないダンス、いーーーっぱいあるけどな。そのうえかなりどうしようもない舞台いーーーーっぱいある。


でも、こういうことってあるんですねーー。
良い体験だったと思うことにします。

こちら、その作品のビデオ。



久しぶりの更新がこんなですいません。
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03/09 08:23 | コンテンポラリーダンス | CM:4 | TB:0
Angelin Preljocaj/アンジェラン・プレルジョカージュ 「Blanche Neige/白雪姫」
私がチケットを取っていた、2008-2009年度のダンス公演もいくつか始まりました。
金曜日の夜はシャイヨー劇場にて、Angelin Preljocaj/アンジェラン・プレルジョカージュの「Blanche Neige/白雪姫」を見てきました。



私がこれまでに見たことのあるプレルジョカージュの演目はふたつ。プレルジョカージュ初体験は2年か3年前にオペラ座で見た「Le Parc/ル・パルク」でした。私はクラシックバレエにあまり興味がないので、プレルジョカージュのお決まりらしい大掛かりなセノグラフィーと照明には、「ほほー。」と感心しましたが、世間でどうしてこの演目が評価されているのかいまいち理解できないのと同時に、モダンにアレンジされたいわゆる「バレエ」というものに、少し辟易したのを覚えています。そんな第一印象だったので、プレルジョカージュには興味を持っていませんでしたが、去年にシャトレ劇場で上演された「四季」は、今年の夏にワタリウム美術館でも個展を行った、代表的フランス人現代アーティスト、ファブリス イベールが舞台と衣装を担当した作品だということで見ました。このときも、舞台や衣装の記憶はなんとなく残っているんですが、ダンス自体には大して興味をそそられませんでした。

そして今回。プレルジョカージュを素通りしようと思ったんですが、去年の「Eldorado/エルドラド」が非常に評判が良かったのと、衣装をジャン・ポール ゴルチエが担当するということで、まあちょっと行ってみよか、という気になったのでした。


結果。


やっぱりあかんわー、でした。まったく好きではありません。


とにかくプレルジョカージュのダンスはほんまのクラシックバレエのように踊りまくりです。
もちろん私は「踊る」ダンスも好きですが、くるくるひたすら飛んだり跳ねたりばっかりしてるダンスを見ることに何度も言う様に興味がないのです。
「踊る」ダンスでいうと、クニンガムとか昔のフォーサイスとかはめちゃくちゃ好きです。
しかし今回の「白雪姫」のようなきちんとしたストーリーがあるダンス公演は、なんか感情表現みたいなものももちろんですがあって、「あー、いま喜んでる。」とか「あー、いま悲しんでる。」とかがうざくてしょうがない。これはあくまでも私の好き嫌いの問題です。あしからず。
たとえばそういう感情もこのブログにも書いたピナ バウシュの「オルフェオとエウリディーチェ」のような表現方法ならいいんです。大げさ感がないから。サシャ ワルツの「ロミオとジュリエット」も感情表現が私にとってのリミットを越えず、なのとかぎりぎりのところのさじ加減だったので、なんとか楽しんで見ることができました。

しかしプレルジョカージュはほんまに無理でした。

何があかんのでしょうか。それは私にとってはすべて大げさでやりすぎで、「スペクタクル」という意味ではいいのかもしれないんですが、純粋な意味で「ダンス」や「身体の動き」を追求する舞台が好きな私としては、まるで大掛かりなミュージカルを見ているような気分になってしまったのでした。まあミュージカルってのは急に歌いだしたりするし、私にとっては想像するだけでも見に行く気にならないものなので、実際一度も見たことありませんからこんなことを言うのは間違っているかもしれませんけどね。

  


じゃあ私を「プレルジョカージュやけど見に行こう。」と思わせたゴルチエ担当の衣装はどうだったかというと、はっきり言って変でした。

白雪姫の役は日本人ダンサーさん。きれいな人です。白雪姫やし、まあ白い衣装なんです。でもハイレグの水着のように腰と胸の間あたりくらいまで切れ込みが入っています。そしてギリシャ・ローマ時代の彫刻に見られるようなクレープ素材(と呼ぶんやったんでしょうか)の生地でできているので、なんか全体にたぷ~んとしてるのです。そのお腹の下あたりのたぷ~ん感が最初見たときは「え?ふんどし?」と思ってしまったほど、お祭りで御神輿をかつぐ男性を彷彿とさせます。でも「あ、ふんどしちゃうわな。そらそうやわな。」と思いなおすんですが、次はその股間のたぷ~ん感が、大きすぎるブルマを履いた子のようで、「股ずれとか大丈夫かな?」と心配になるほどです。まあゴルチエなので、そんな股ずれなんかしないような、ちゃんとしたええ生地が使用されているでしょうから、そんな心配ご無用でしょう。すいません。

お次は悪役の継母。「え、ゴルチエこれほんまにデザインしたん?」とツッコミたくなるほど、SMの衣装が売ってる服屋さんで選んで買ってきたようなまんまの衣装です。そしてSMの女王様である継母にいっつもくっついてる手下二人はというと、最初出てきたとき「あ、ショッカーや。」と思ったんですが、実はキャットウーマンでした。ダンスもキャットウーマンそのもので、「これは創作なんでしょうか?どちらかというと物真似じゃないんでしょうか?」と思ってしまいました。

継母が白雪姫を誘拐するために下した使いは、グリーンベレーのミリタリーパンツをはいた兵士ですし、七人の小人は採掘夫です。

まあプレルジョカージュ自身、白雪姫は御伽噺であるけれども、置き換えれば、今日の50代になっても60代になっても、お化粧やエクササイズやそれこそ進歩した医学による整形手術などを利用していつまでも若く美しくいる母親世代が、若く、ただそれだけで美しい自分の娘に対して嫉妬するような状態にもつながる、とインタビューで言っているので、ゴルチエもそれにあわせて衣装を現代風にアレンジした、というのは理解できます。でもねー、プレルジョカージュのその話も大概「はあ?そうか?何ゆってんの?」と思ってしまいます。まあこの演目が好きだった人にとっては、こんな私も「はあ、何ゆってんの?」って感じでしょうが。

 


このダンス公演の前に、「えーっと、白雪姫ってどんな話やったっけ?」と思い出そうとしたんですが、
「えーー、白雪姫が森で七人の小人と住んでて、、、えっと、、、りんご食べて死ぬ話や。あれ?もう終わってしまった。それもハッピーエンドちゃうなあ。御伽噺やから最後はハッピーエンドで終わらなあかんはずなんやけど、、、なんやったっけ、、、」と私の白雪姫に関する記憶も相当酷いもんでした。
そんなせいもあってかどうか知りませんが、白雪姫が最初から最後まで無垢な乙女に見えないので困りました。大体、「白雪姫、えっらいぶりっ子やなー。」と思った私は卑屈な女。七人の小人が白雪姫にちょっかい出してるシーンがいくつかあるんですが、もうどうしても、どんなにがんばっても集団レイプのようにしか見えない。「もーどーしよー。」と一人、そんな自分自身に困り果てていた公演となりました。


まあこんな風に私個人は、この演目が好きではありませんでしたが、舞台が終わったときにはかなりの拍手とブラボーの声だったので、他の人たちは楽しめたんだと思います。白雪姫という世界中の人が知っているストーリーといい、ゴルチエの現代風な面白い(!!)衣装といい、プレルジョカージュのコンテンポラリーでありながら「ちゃんと踊る」ダンスといい、大衆受けすると思います。
日本にも必ず行くでしょう。
実際私が見に行った日の最も良い10席くらいは、どうも関係者っぽい日本人のおじさんたちで埋め尽くされていました。

好きになれなかった自分と、他の観客たちの反応の違いにひどく驚いてしまって、それからいろんな批評を読んでみたんですが、どれもまあいまいちなものだったので、少し安心しました。自分がひねくれてるせいでこんな風にしか見れへんのか?と心配になったもんですから。



でもこの演目のおかげで、辻 直之さんの作品を見たときからずっと、またもう一度きっちり最初から最後まで読み直したいと思っていた、Bruno Bettelheim/ブルーノ・ベッテルハイムの「昔話の魔力」を「やっぱり絶対ちゃんと読もう!」と購入しました。何年か前に当時の彼氏が読んでいたのでパラパラと読んだことはあるんですが、プレルジョカージュが「白雪姫」に関するインタビューでも言及していることですし、これを読めば少しは彼の作り出したかった世界観が理解できるかもしれない、と思っています。ま、どちらにしても興味深い本なのでオススメです。




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10/13 06:40 | コンテンポラリーダンス | CM:9 | TB:0
Trisha Brown 「Early Works」 @ Chamarande
先週末の日曜日は素晴らしく楽しくて充実した日だった。
パリからRERという電車で一時間くらいのところにある、Domaine departemental de Chamarandeというところに、配偶者とアーティストである友達と、3人で出かけてきた。
ここには以前から行ってみたいなーと思っていて、こないだの日曜日には、やたらと良い評判を耳にする展覧会もまだ開催中だし、そのうえなんとTrisha Brownの「Early Works」が公演されるということで、いつもなら重くパリに根が張ったようなお尻をあげて行ってきた。ちなみにこの週末は配偶者の両親(いわゆる世に言う義理の両親)がウチに泊まりにきていたので、彼らをほったらかすことになるけれど、ちょっとパリから逃げたかったのも深層心理としてあるのかもしれない。


シャマランドのドメーヌ(別にワインを作ってなくても領地のことはこういいます。ドメインですな。)の森や芝生や池の間を散策していてふと顔を見せる現代アート作品たちも、お城の中で開催中の展覧会も、ぜひ紹介したいのだけれど、今回の記事はトリシャ ブラウンの公演に関してだけにします。展示については次回のお楽しみ。

Chamarande L016 Chamarande L015
まあこういうお城です。パリの風景とかを載せるブログなら別にいいのかもしれないけど、私にとっては、ボール遊びしてる子供たちが邪魔でしょうがなかったです。トリシャ ブラウンの公演前なので、ドメイン内に人が増えてきました。
右側の写真はお城の裏っかわの風景。このお城の正門までもながーい道が続いているのですが、裏っかわは芝生と池の向こう側にうっそうとした森が広がっています。
シャマランドに到着してお城の展覧会を見たあと、ダンスの公演20分前くらいになったので、芝生で待機。

「あ、ドクメンタで見たダンスやるんや。」と少し「なーんや」と思いつつも、この作品は是非配偶者にもいつか見てもらいたい、と思っていたので、彼の反応を見るのが楽しかったです。
Chamarande L017 Chamarande L018
左の写真はダンス前に大道具さん(というのかな?)が綱をしばりにしばってます。
「すっっごいしばるんやなー。そら落ちたら危ないしな。」なんてしゃべっていたら、ダンサーさんが出てきて納得。ドクメンタのときは小さくて華奢な女性ダンサー二人か三人での公演だったのですが、今回はよい感じにお尻がひきしまってよい感じに筋肉のもりあがる男性ダンサーがふたり。ダンスがどういうのか大体わかってる私は、とりあえずボクサーパンツに包まれたおしり観察。
ドクメンタでこのパフォーマンスを見た衝撃はすごかったんですが、今回はすこし残念な部分がありました。私にとって、このダンスはそれぞれ違う人間の身体が衣服というあるいくつかのサイズにわけられて大量生産されている生地の中に、どのように組み込まれるのか、そしてそこにはどうしても逃げられない束縛感が存在して、身体がどのようにその束縛のなかで動き、また静止をするのかっていうのが見所だと思っていたんです。しかし二人いるダンサーのうち、一人がまあ体が大き過ぎるという問題があるのかもしれないけれど、自分の片方の手を綱で持ってからだを支えながら、衣服をひきちぎって自分サイズに前もって大きくしてから体を入れたり、つられているズボンの中に足を入れるのに、手でズボンを持ち上げたりしていたのは、どうみてもルール違反。それではこのダンスの本当の意味がないやん!と叫びそうでした。そのうえ彼は衣服に体を入れてつり下がっているときも、片手で地面をさわって体を支えていたりしました。体が大きいなら、ポールの高さをもっと高くするとかできなかったのかなあ?残念。ドクメンタでの女性ダンサーは、今回の彼のように、上半身はTシャツに下半身はズボンにいれる、ということを無視して、Tシャツに足を入れたり、もっと自由に踊っていたのも覚えています。
ドクメンタではすこし薄暗い部屋に効果的なライティングで衣服の色がもっと鮮明に見えていたし、ダンサーたちやインスタレーションの影が床に写っていて美しかったのに、それも今回は太陽光線が強過ぎるせいか、影も衣服の鮮明さも薄らいでいました。でもそれは残念なのではなくて、そういう違いを発見できるのも、それまでのダンスにおけるしきたりを打ち破ろうという活動を60年代から始めたトリシャ ブラウンの特徴なのかもしれません。
このダンスのもようは、Trisha Brown, Documentaなんかで検索してもらったらなんぼでもYoutubeで見ることができますよ。


このパフォーマンスが終わり、「ありゃ、もう終わりかね?「Early Works」と複数やのに?」と思っていたら、この公演の主催者であるParis Quartier d'Eteというパリで毎年夏に行われるアートやダンスのイベントの係員のひとたちが「次はこっちですよー!」と誘導してくれて、お城の正面右側へみんなでぞろぞろぞろーと移動。私と友人は日本のおばちゃんパワーで早歩きし、ゆったり歩くフランス人たちを追い抜いて、少しでも良い場所取りを!とがんばります。こういうとき一番自分が「日本人やなー。」と照れますが、せっかくやしいい場所で見たいですもんね。配偶者はそんな日本人のおばちゃんの素早さについて行けず出遅れ。ほぼ迷子。

お次ぎは友達が「星の王子様みたいね。」と言った踊っているときも口角があがったまんまのダンサーさんによる、長くて四角い棒をお城のお堀の角を利用して一点を作り、そこから棒を手で持たないで、頭や肩に沿わせながらのパフォーマンス。
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その次はお堀の中でさっきの二人バージョン。
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点と棒と足や腕による直線、そして、身体の描く曲線がとても美しいパフォーマンス。


また移動すると、次はお城の反対側のお堀のなかに四人の女性ダンサーが微動だにせず寝転がっていました。芝生の緑の上に4つの白い物体。もうそれだけで美しすぎて、私と友達はボキャブラリーの貧弱な子のようにただただ「きれー!」「きれー!」「わーきれー!」「ほんまきれー!」を連発しておりました。
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ダンスもすんばらしいの一言。
最初のほうと最後のほうを動画で撮影したので、どうぞみてください。


私は「白と緑だけの万華鏡を見てるみたい。」と、いつまで見ていても飽きない万華鏡を見ている気分になっていたのですが、友達のほうは「なんか植物が土から芽をだして、大きくなって、お花が咲いてっていうのを早送りにしたのを見てる気分にならない?」とすんごく素敵なことを言ってました。だから彼女が好き。


まだまだ続きます。
次はお堀のすぐ横で5人のダンサーが例の白い棒を水平に持ち、写真で一番右にいる人は片方の先端をを木にあてて、それ以外の人は棒の先端をくっつけながら、棒をまたいだり、下をくぐったりするパフォーマンス。
考えただけでもすんごい集中力と均整感覚が必要です。自分の棒がみんなの線からはなれたら、「I've gone」とみんなに知らせ、またつながったら「 I'm on」。木に片方を当ててる人と一番左の人は比較的やりやすいだろうけど、両方の先端に気を配っていないといけない真ん中の三人はすごく難しいはず。あまりにも「I've gone」と「 I'm on」を言いすぎて、途中でぷぷって吹き出してるダンサーもいて、観客たちもおもわず笑ってしまったり。そして最後は5人全員が棒の下に寝転がって、みんなが「I'm under」と言えたら終わりです。なんかチーム単位で争う競技をみてるみたいでした。
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このパフォーマンスもちゃんと見てましたが、このとき私の前にいた3人の女の子たちが写真を撮りまくっていて、その写真がすべて一番右のダンサーさんの顔のアップやったり、お尻のアップやったりして、それも撮る度に「これはあんた用な。」とか言いながら3人でげらげら笑ってて、たまに私にも見せてくれたりしてカラカラわらってしまいました。私のタイプは彼ではないけどなー。だって彼は一番はじめのパフォーマンスで地面に手をついたりしてた人やし!


ちなみに私のタイプは彼です。

このダンスはお城の裏っかわにある広大な芝生の上に常設設置されている、Bert Theisのアート作品である、3台の白い十字形の台のうち、2台の上で行われました。
左の写真でもうひとつの台で踊ってるダンサーが見えるでしょうか。
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この人かっこいーわー。


お次は噴水の横で行われたパフォーマンス。
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チクタクチクタク。このダンス、はまってしまってこの日から気がつけば道を歩いてるときやってたり、私はちょっと気持ち悪い人になってます。


そして最後のパフォーマンス。もうこれが!楽しくて美しくて最高でした。

動画でもわかるように、音楽の終わるタイミングとダンサーたちが木にくっつくタイミングが完璧にあっていて、拍手喝采!
パフォーマンス中はむっつりした顔をして踊っているダンサーの女の子4人が、木にくっついて音楽が終わった瞬間、にかーっ!て満面の笑みで笑うのもダンスの一部なのかと思いくらい、見ていて気持ちのいいダンス。私もよせてー!


最後は大拍手の渦。そのうえトリシャ ブラウン本人も出てきて、最高でした!
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この公演は先週にポンピドゥーセンターでも行われていて、すごく前から行こうと思っていたのに、なぜかチケットを取る段階で「別にいかんでいいわ。」と何故か思ったんですが、私の予感はあたっていました。だってポンピドゥーセンターやったら、いくら10ユーロくらいかもしれないけど、お金を払うし、そのうえ黒い舞台の床の上でこれらのダンスを見るわけです。芝生や樹木の緑も、背景のお城もなければ、鳥のさえずりも聞こえないし、風で揺れる木の葉とそれに反射する太陽の光もない。
ここまでの充実の1時間半が無料とは!!
あーしあわせー。

トリシャ ブラウンの他の作品を見たことがないので、もっとみてみたいなー!


私がここで書いたTrisha Brown の「Early Works」のDVDは一番左のです。



シャマランドで見た展覧会については次回書きます。本当はね、素敵なところすぎて、あんまり人に言いたくないのです。このブログは日本にいる人たちが多く読んでくれていると思うのですが、パリに住んでる人たちには内緒ね。
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07/24 04:30 | コンテンポラリーダンス | CM:4 | TB:0
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