パリの某現代美術ギャラリーでハタラクune petite japonaise(ちっちゃい日本人の女の子)が、ピラミッドの底辺から垣間見るフランスアート界。でしたが、今となっては、仕事と育児に翻弄されながらも時間つくって鑑賞できたら書くブログ、です。
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今日ある調べものがあったのでグーグルで検索したら、なぜか、だだだーーーっと公募展やアーティスト イン レジデンスをリストアップしているフランスのサイトが出てきました。
「やっぱりこういうのいっぱいあるんやなー。」と思うと同時に、「私のブログのあのカテゴリいらんやん、、、。」と少し落ち込みました。 とりあえずいくつか載せておきます。興味のある人は頻繁に覗いてみてください。 ちなみにそのときの検索結果で発見したものだけです。それ以上は探しませんでしたし、これから探すつもりもありません。だから興味のある人たち、検索すれば星の数ほど出てくると思います。 なぜかポーランドのフランス大使館のサイト。アーティスト イン レジデンスに関して。(在日フランス大使館もこんなページ作ればいいのにね。) Synesthesie.com。公募展に関して。3月22日締め切りのアミアンでのNuit Blanche参加募集とか良さそうですね。でもアミアンの街を知らないとできないけど。 pourinfos.org公募展バージョン。フランスだけじゃなくて世界中のが載ってます。パッと見、ヴィデオ多め?結構なんでもアリそうなのでお気をつけ下さい。 pourinfos.orgレジデンスバージョン。上のと同じサイトです。世界中です。 何度も書いていますが、私がこのブログに書いている公募展やレジデンスの情報は、「調べる」ということなしに、ただ向こうからやってきた情報を書いているという完璧に受け身な行為です。しかしそこに「選ぶ」という行為は加えているので、私の少ない知識の範囲ではありますが、もしもこのブログを見たアーティストのみなさんがそれらのイベントに参加することになって、「現代アートをしてるアーティスト」として履歴書に書くことのできるものに限っています。 上記のサイトに載っている公募展やレジデンスが、すべて評判の良い、レベルの高いものではありません。結局は履歴書に書くこともできるようなものではないかもしれません。 なんだか上からモノを言うようで嫌ですが、きちんと自分のアートの方向性と、スタイルを把握して、そのうえでこれらのイベントが自分にとって必要なものなのか、自分のアートをきちんと評価してもらえるところなのか、を見極めてから応募してください。 数打ちゃあたるもいいですが、ポートフォリオも良いものを作ろうと思えば時間とお金がかかりますからね。(まあそのお金が出せるアーティストさんは、もうこういうのに応募する必要もないかな。) では少しでもみなさんの情報提供になれば、と願います。 ではお互いがんばりましょうねー! (このカテゴリ、ちゃんと続けますよー!) スポンサーサイト
わざわざリールまで電車に乗って見に行ったのに、もう2ヶ月近くほったらかしにしてしまっていたPassage du Temps フランソワ ピノー コレクション展の記事がShiftに載りました。
![]() こちらからどうぞ。 フランソワ ピノーさん、たまに私の働いているギャラリーにもいらっしゃいます。こちらとしては、この財団を美術館、経済的な余裕と投資方法としては、それ以上の存在として捉えていますから、ポンピドゥーセンターなどの重要な現代アートコレクションを持つ美術館のディレクターと同じように迎えます。でもそこは比べ物になりませんねー。ポンピドゥーセンターなんかの公立の美術館は「この作品をポンピドゥーセンターに売りたい。」とギャラリーが動き出してから、何ヶ月もその作品を誰にも売らずにリザーブし、コミッションに向けて学芸員やキュレーター一人一人に売り込んで、何週間、何ヶ月もコミッションで作品購入が決定されるまで準備するわけです。やっとコミッションに通ったのはいいけど、それからまた支払いまでが時間がかかる!ピノーさんがフランスの行政の遅さに愛想をつかすのもわかりますね。だって彼は美術館に売るのと同じような規模の作品を、パッとギャラリーに10分ほど来て、パッと買ってしまわはるんですもんねー。まあ、彼ほどの忙しい人がギャラリーにわざわざ来るということは、買いにくるというのと同意語だと思うので、当たり前かもしれませんが、それにしても買うか買わないかを決めるのがいつも早いなーと感心します。 フランソワ ピノーコレクションのカタログ。ベネチアでのコレクション展のカタログです。 リールでのコレクション展のカタログはまだAmazon.jpでは扱われていないようですね。 先日maison rougeで始まった展覧会のヴェルニサージュ(オープニング)に行ってきました。
Gregor SchneiderとPilar Albarracinを筆頭に、 Marie MaillardとJohn Cornuの作品も展示されている4つの展覧会のヴェルニサージュでした。そのなかで、私が「うっひゃー!すごーい!」となったのが、Gregor Schneider/グレゴール シュナイダーのインスタレーション。 グレゴール シュナイダーは1969年生まれのドイツ人アーティスト。 ![]() 私は恥ずかしながらこのアーティストを知らなかったので、まったくなんの予備知識もないまま、インスタレーションの中に飛び込みました。と言いたいところですが、インスタレーションの空間に入るためには列に並ばなければけませんでした。それも「一人ずつ」との注意書きが貼ってあります。ヴェルニサージュで人が殺到することもあり、その日は「二人ずつ」。そのうえこのインスタレーション作品に入る前に、「空間内には監視員もいませんので、セキュリティー面でのトラブルがあった場合、maison rougeは責任を持ちません。」という紙に、「了解しました。」という意味でサインをさせられます。こわすぎ。「私一人でインスタレーション入れっていうの大嫌いやねん。」と言いながら、仲良しの友達と一緒に行っていたので安心して入りました。 うーん、いろいろとインスタレーションの様子を書きたいのですが、それではこの展覧会のネタバレになってしまう。困った。 とにかく、私、これは一人ではぜーーーったいに体験できない作品でした。なぜなら私はこわがりすぎるから。とにかく自分の知らない空間というか、一体何が待っているのか、視覚で瞬時に判断できない空間に入るということに恐怖を覚えるのです。お化け屋敷とか絶対無理。たとえお化けに扮したお兄ちゃんがおどろおどろしく出てこなかったとしても、入り口付近でもう既に後戻りしています。 まあ、こんなことを書いていますが、この作品はお化け屋敷でもなければ、普通の人にとっては怖くもなんともない空間なんでしょう。 とにかく、友達と大騒ぎしながら(って言ってもぎゃーぎゃー騒いでたのは私のほう。)、「カナ、手を握ってあげてるから心配しないで!」なんて年下の女の子に先導されながら進みます。最初のほうは、「なんやこれ?」とキョトンとした顔をしながら進んで行くのですが、ドアをいくつも開けて新しい空間に入るたびに、「うわー!なんやこれー!」となります。そしてこわいのが、「こ、このドアたち、逆戻りできなくなってる!」と気づくとき。そしてときには次のドアがどこにあるのかすぐにわからないときもあるのです。もうどこにいるのかわからない。ここはどこー!ほんまにmaison rougeなん?!いつになったら出口にたどり着くのー!?といった感じ。精神の安定、崩れまくりです。 大げさに書いているようですが、もしもこれ一人で入ってたら、逆戻りして開かない扉をどんどん叩きながら「出してくれー!」と叫んでたと思います。 まあ、私以外の人はみんな、なんともない顔で作品から出てきてましたがね。 はっきりいって、私がある意味一番いいお客さんやん!と思いました。 このアーティスト、16歳のころに父親から譲り受けた一軒家のなかを自分で改造し、不思議な空間を作り出すことで有名みたいです。2001年のヴェネチアビエンナーレでは、ドイツ館のアーティストに選ばれ、金獅子賞も獲得しています。へー。有名な人なんですね。 Gregor Schneiderのサイトから写真やヴィデオがもりだくさんに見れますよ。 この展覧会は2008年2月22日から5月18日まで開催されています。 機会がある人はぜひどうぞ。私のように一人で入るのが怖い人は、気の置けない友達や恋人や家族とかと一緒に行って、作品に入るまえに、「どうしてもこの人と一緒がいいんですけど。」って頼んだほうがいいですよ。 展覧会ではグレゴリー シュナイダーのカタログも閲覧できるようになっていました。 ピエール ユベール第2弾。
2007年9月に書いたままで放ったらかしでした。ではどうぞ。 今週の月曜日にギャラリーに到着した私が言った最初のフレーズは 「昨日のストリップティーズ見た??」 ストリップティーズとは、いわゆるお姉ちゃんないしお兄ちゃんがエッチに服を脱いでいく行為のことではなくて、france3というチャンネルで毎週日曜日の夜に放映されている伝説的ドキュメンタリー番組のことです。この番組はフランスやヨーロッパに住む人たちを密着する番組。インタビューなんかの質問や家族や友人たちのコメントもなく、ひたすら一人の人物あるいはカップルなんかに、まさに「密着」しまくる番組です。 なぜそんなことを私が聞いたかと言うと、週末にオレロン島へ友人の結婚式に行っていて、6時間の旅程のあと、やっとお家にたどり着いてつけたテレビ番組で、「うん?この人見たことあるなー。誰やったっけ?ああ!ピエール ユベ-ルや!何してはるんやろ!」とPierre Huberというスイスの超有名ギャラリストであり、超有名コレクターであり、Art BaselのディレクターであったLorenzo A. Rudolf と共にバーゼルのフェアをあんなに大きくした人であり、そして彼と共にまた先週に上海で開催されたShcontemporaryという上海の現代アートフェアの創設者でもある、現代アート界をまさに動かしている人物です。 そんな彼、「ストリプティーズ」という番組を知らなくてこの企画を受けたんでしょうか。 もう恥ずかしいくらい。 例えば、 彼氏といちゃいちゃするピエール ユベール 彼氏と真っ裸でサウナに入るピエール ユベール 彼氏とテレビ見ながらベッドに横たわってるピエール ユベール 中国人アーティストWang Guangyiのアトリエに行って、アトリエ中の作品を買い占めたあと、彼の名前すら覚えてないピエール ユベール それが中国人スタッフやアーティストにもばれていて、通訳やスタッフが「ピエールに君の名前を聞いてみなよ。どうせ知らないから。」なんてバカにされている横で、すっかり上機嫌のピエール ユベール 中国の田舎で、その辺を通りかかった地元の人たちに「なんやこの匂い?」「フランスの香水か?」「くっさー」「彼どうせ中国語わかってないから、言いたい放題やな」なんてこれまた思いっきりバカにされているのに、横で「中国人はみんなやさしくて、素晴らしい国だ!」なんて上機嫌のピエール ユベール っていうか、そういった中国語の会話が字幕で出てるんです! だから理解してないのはピエール ユベールだけ!という状況が出来上がってしまってるんですねー。 その他にはニューヨークのレストランで、彼氏と、パリのギャラリストであるエンリコ ナヴァラと、顔は隠されていましたが丸わかりのフィガロ紙のアート市場記事担当ジャーナリストであるヴァレリー デュポンシェルとのランチのシーン。ちなみにこの密着は今年3月にクリスティーズ ニューヨークで、ピエール ユベールが自身のコレクションの一部をオークションにかけたときに取材されたものでした。 このオークションはこれまた現代アート界をひっくり返したような大騒ぎと非難囂々な出来事だったので(それに関してはまた書きます)、ヴァレリーにピエール ユベールがひたすら非難されまくってるんです。それに言い返すんだけれど、なんだか説得力のないピエール ユベール。横で見てるだけで何も言わないナヴァラ。 ピエール ユベールのしょうもない話を必死の形相で聞いているKader Attia。 そんな話を唯一ギャラリーのメンバーのなかで、番組を見ていたオーナーと私とでしていたら、オーナーが、「それやばかったのよー。私もあのランチに呼ばれてて、でも偶然他に用事があったから行かなかったの!ストリップティーズの取材が来てるなんて一言も言わなかったのに!大恥かかなくてすんで、良かったー!」とびびりまくっていました。 パリの別のギャラリーで働くめちゃくちゃ面白いスイス人の女性がいるんですが、彼女はピエール ユベールのことも個人的に知っていて、彼女が転職のために仕事探しをするたんびに「僕のところにいつでもおいで。」とピエール ユベールが言ってくれるらしいです。この番組までは「えーいーやーん!」と言っていた私。でも「こないだのストリップティーズ見たわ。ありゃ大変やな。あそこで働くの。」と彼女に言うと、「そうやねーん!妙な家族経営みたいになってて、ロベール(ピエール ユベールの彼氏の名前、こんな感じやったかな?ロジェやったかな?もう忘れました。)もなんかやたらしゃしゃり出てくるしー!無理やわ。」と言ってました。納得。 クリスティーズでのオークション最中に、世界最高オークション額がたたき出されるたびに、ガッツポーズをする彼氏、ロベール。インタビューで「このオークションを、そんなスキャンダル扱いされたって困るよ。僕だって家族のことを考えなきゃならない。僕に何かあったときロベールは一体どうするんだい??」とピエールユベールが言ってましたが、まあ、そんなに大金持ちじゃなくても世の中生きていけるし、ロベールなら他に金持ちのパパをさっさと見つけそうだけど、、、だから大丈夫だよ。今の自分の心配したほうがいいんじゃあ、、、と心で思ってしまった下っ端の私でした。 ピエール ユベールのギャラリーがアートバーゼル参加を却下されました!彼はスイス、ジュネーブのギャラリストで、彼が今日のアートバーゼルを世界一の現代アートフェアと呼ばれるようにまでしたとも言える人物。巨大コレクターでもあり、今日の現代アート界で最も注目を集める人物のひとり。だから当たり前のようにバーゼル常連だった彼のギャラリー、Art&Publicが今年のバーゼル、そして去年に彼が始めた上海の現代アートフェア、ShContemporaryからも追放されたようです!
そんな噂は前からあったけれど、やっと彼自身も認めたようです。 去年あたりからスキャンダルつづきだったPierre Huber。とうとうですねー。 まず最初のスキャンダルは2007年2月26日にニューヨークのChristie's/クリスティーズ(フラソワ ピノーのオークションハウス。Sotheby'sと共にアートオークション市場最大。)で、彼自身のコレクションを74点、出品しました。それだけなら別に問題ないわけですが、いけなかったのが、ピエール ユベールが今まで集めたコレクションは、「今度ピエール ユベール財団を創設するんだよ。その財団からローザンヌ美術館でコレクション展もするんだよ。」という建前で作品を購入していたこと。財団というと、まあいわば美術館や基金のような扱いで、アーティストやギャラリストとしては、作品の一般価格からかなりの値引きをして売るのです。 ピエール ユベール本人は、本当に財団を創るつもりではいたけれど、ローザンヌ美術館からのその後の音沙汰もないので売却することにした、って言ってます。このクリスティーズでのオークション騒動は別に書きます。 そうこうしてアメリカのギャラリストたちを中心に、既に去年2007年のアートバーゼルからの彼のギャラリー追放が求められていました。そんなわけで去年創設された上海のアートフェアでも、世界の多くの主要ギャラリーが参加ボイコットをしていたんです。(そのうえこのShContemporary、オーガナイズが全然できてなくて、問題だらけでものすんごい大変なフェアでした。これ以上書くと愚痴&文句になるのでやめときます。) そのうえフランスのあるテレビ局が、ニューヨークでのオークション、中国でのフェア企画とアーティストのアトリエ訪問、ジュネーブでの日常生活と、ピエール ユベールに密着し、ShContemporaryオープニング前に放映されたのです。これについても別の記事で書きます。 ShContemporaryでのスキャンダルはというと、このフェアのカタログの表紙に選ばれたのが、Lu Haoという中国人アーティストの作品。 ![]() このShContemporaryの開催された会場を象ったお花のさしてある花瓶の作品は、ピエール ユベール自身がフェアに出品していたものであり、参加ギャラリストでありオーガナイザーの一人として、あるまじき行為。そのうえこのフェア期間に行われた賞でも、自分のギャラリーのお抱えアーティストの作品に賞を取らせたのです。そんなのは公正じゃないし、世界中から集まるコレクターも、これらの作品をこぞって購入するという構造ができあがったわけです。まあこの話はフランス人の画商、Enrico Navarra/エンリコ ナヴァラが中心に怒っていますが、彼とピエール ユベールはよく一緒に働いているし、彼も相当腹黒そうなので、もうそのへんはなんだか痴話げんかに見えなくもないですけどね。 そんなル モンド紙の記事をインターネットで読んでいた直後に、多分世界中のギャラリーやアート界関係者に発信されたであろう、ピエール ユベールからのメールがギャラリーに届きました。まあとにかく自己弁護というか、ライバルであるナヴァラにしてやられただとか、自分が創ったShContemporaryのコンセプトを使うな!ということで現在訴訟を起こすつもりでいるだとか、書いてありました。ってことは、今年のShContemporaryはどうなるんだろ? Artiviでのピエール ユベール。おととしだったかのFIACでのこの作品の売り方も話題になりましたねー。 そんな彼のコレクションが垣間みれるカタログはこちら。でかいカタログです。再び引っ張りだしてきて見てます。 彼の名字をユベールとカタカナで書きましたが、美術手帖には、「ピエール フーバー」と載っていました。英語読みではそうなるのかな。 「パリ現代アートギャラリー攻略ブログ」で更新していたけど、こっちに書いてなかった分です。
よかったらどうぞ。 Propositions lumineuses 2 Patrick Guns 「My Last Meals」 先週末日本から来た友達と一緒にle Baron/バロンに夜遊びに行きました。そのときに今をときめく現代アーティストユニットであり、バロンの経営者でもあるKolkozの二人を紹介してもらいながら、日本から来たその友人に、「フランスはなんだか最近、デザインだとか音楽だとかイベント仕掛人だとかいろんなことに手を出して、そのうえちゃんと実業家としても成功していて、そのうえそのうえ現代アートの世界でも大成功を収めてる、「この人たち一体いつ寝てるんやろう?」っていうわっかーーーーいアーティストが多くてね。」なんて言いながら、KolkozだとかMathiu MercierだとかLoris Greaudだとかの話をしていたんですが、すっかり大御所を忘れてました!
それはM/M (Paris) ! 彼らの小さな小さな展覧会が2008年1月21日から2月18日までポンピドゥーセンターの地下で開催されています。 M/M (Paris)とは、1968年生まれのMathias Augustyniakと、1967年生まれのMichael Amzalagが1992年に結成したユニットで、スタジオM/M (Paris)と言えば、世界に名だたる現代アーティストたちとコラボレーションを繰り返しているグループのこと。有名なので言えば、日本で創られたけれど売れなかったAnn Leeという女の子のキャラクターを購入して、様々なアーティストたちにAnn Leeのイメージを提供して作品作りをしてもらう、というコラボレーションかな。 とにかく、モード関係、アート関係、建築関係、カタログ、本、様々な一言で「カルチャー」と言われる分野すべての印刷物で活躍し、服だとか演劇やオペラの装飾まで手がけ、そのうえモードクリエイターやミュージシャンのアーティスティックディレクターをしちゃったり、映画やヴィデオクリップを作ったり、なんでもします。 ここ数年はパリの現代アートフェアFIACの招待状やポスターの写真がM/M (Paris)ですね。 ポンピドゥーセンターの地上階フロアから地下を眺めるとこんな風景が。 ![]() 相変わらず派手。 ではこのインスタレーションの中に潜入してみましょう。 ![]() まずは安物そうなプラスチックでできたVISIONの文字に出迎えられます。 上の通路を抜けるとこの空間。 ![]() 現在までにM/M (Paris)がデザインしてきた、カルチャーイベントのポスターが「アートポスター」として、50x65cmのサイズで作り直されました。ポスターと言っても、きちんとした芸術作品です。各ポスターは8枚のエディション、プラス2枚のアーティストプルーフのみ制作されました。 エチエンヌ マルセルにあるおしゃれカフェ、Cafe Etienne Marcelにも飾ってあるAnn Leeを使った有名なポスターもほら。(真ん中の) ![]() 「あーこの展覧会行きたかったのに見逃したやつやー!」と私を再び悔しい思いでいっぱいにさせるRirkrit Tiravanijaの個展のポスターも。このポスターを毎日のように見ながら「あれ見に行かな。」って思っていたのに、見逃した自分が情けなくて情けなくて、、、。(奥から二枚目の) ![]() このパレドトーキョーの展覧会のポスターを初めて見たときは、かなりガツンとやられた記憶が鮮明に残っています。「M/M (Paris)や!」とすぐにわかったし。(右の) ![]() まだ私がリヨンで学生をしていた頃、「現代アートって何?』って思って生まれて初めてのインターンシップをしたのが、この2003年のリヨンビエンナーレのときでした。最初の一歩。あの頃はM/M (Paris)とか言われても「はあ??」って感じやった。 ![]() M/M (Paris) のサイトのdownload the 2008 poster catalogue hereからpdfで展示されているアートポスターを見ることができますよ。 M/Mが手がけたビョークのクリップ。 この展覧会、無料だし小さいし、ポンピドゥーセンターの横を通ったときには是非立ち寄ってみてください。目がチカチカするけど。 もう一ヶ月も前の話ですが、書きます。
何ヶ月も遠ざかっていたカルティエ財団に久しぶりに行ってきました。 それというのも、行くつもりでいた新しい展覧会のオープニングに、11月の大型ストライキのため行けなかったからです。そんなわけで、どうしても見ておきたかったLee Bulの展覧会。 と書くと、まるで私が今から Lee Bulの展覧会について書くみたいに思われるかもしれませんが、違います! カルティエ財団での展覧会はよく、同時期に二人のアーティストの個展が行われます。例えば地上階はゲリー ヒルで、地下階は束芋ってな感じで。2007年11月16日から2008年1月27日まで、地上階でリー ビュル、地下階でロバート アダムスの個展がそれぞれ開催されていました。 Lee Bul 狙いで行ったカルティエ財団でしたが、ロバート アダムスの作品たちの静かな強さにガツンとやられてしまって、行った後何日か、ロバート アダムスのことばっかり考えていました。 ロバート アダムスは1937年生まれのアメリカ人アーティスト。以前は10年ほど大学の英語教師をしていましたが、1967年から写真家として生活を始めます。 彼の主題は主に都市生活とアメリカ西部の風景。人間を被写体におさめることが非常に稀な作品作りを行っていますが、身体としての人間の欠如のかわりに、彼の撮る自然にはいつも人間の手による自然への介入がそこらじゅうに感じ取れます。 そんなロバート アダムスの展覧会。今回はフランスで初の個展であり、150点もの写真作品が展示されていました。これらの作品は1990年から2003年までに撮影された三つのシリーズ、West from the Columbia, Time Passes, Turning Backからアーティスト本人によって選ばれました。 選ばれたこれらの作品たちは、彼の住んでいる太平洋沿岸の家から見て、東と西に位置する風景から成り立っています。展示方法もカルティエ財団の地下の中心を彼の家の位置だとし、東側に森の風景写真、そして西側に太平洋の風景写真が並んでいました。 森林の写真は、森中を撮りつくしたのではないだろうか、と思うほど、その数と森林に与えられた傷の多さに周りを取り囲まれます。 ![]() ![]() ![]() 人間の肌に与えられた傷のように、白黒の写真であるにも関わらず、まるでそこに真っ赤にべっとりと流れる血が見えるようで、死のポートレートのようでした。 森林の作品では、垂直方向に長く、気をつけなければ気づかないほどに、幅を他の作品たちよりも切り取ったものが何点か展示されていました。このフォーマットが素晴らしく効果的で、小さな作品であるのに、まるで森が自分の前に立ちはだかるような感覚になります。 太平洋の写真は全体的に波の高い荒れた海を撮影したものが多かったですが、そんな荒れた海の水平線の向こうから指す光がとても美しく暖かく、人間がどうあがいても手に届かないものの存在を感じるようでした。 ![]() ![]() ![]() 痛々しい傷ついた森林の写真と、人間を拒絶し続けるような海の写真たち。どれもサイズとしては30cm四方以下の小さな写真たちですが、150点という大量の作品が私たち観客が歩を進めるともに目の前に現れ、これでもか、これでもか、というように私の上に覆いかぶさってくるようでした。それはまるで美術本を見ながらページをめくっていくような感覚。 この展示方法を少し非難するというか、「数が多すぎて、ゆっくり一点一点を見ることなく、ただサーっと歩いて観賞を終えてしまう。」という批評もいくつか目にしましたが、私はその全く逆でした。何度も何度も、ぐるぐるぐるぐるそれぞれの作品を見たいと思わせ、精神に迫ってくる展示方法だったと思います。 人間の開発のひどさ、特にこの森をこのようなやり方で伐採することが本当に私たち人間にとって必要なのかわからない状態で作品を見るので、やるせないような気持ちになりますが、もう一方で、自然の力強さ、そして何か希望のようなものも見える気がしました。 150点の写真作品の他に、別の展示場で、ロバート アダムスが1970年から展覧会と同じように重きを置いて出版し続けている40冊ほどの写真集たちが紹介されていました。それらは展覧会のカタログとしてではなく、写真集自体が既にひとつの芸術作品として成り立つ、という趣向のもと制作されています。 すべての本を手に取ってみることはできないのですが、美術品のように素晴らしく展示された本たちは、彼のアーティスト人生、そして彼の人生そのものを物語っているようで見とれてしまいます。 私は仕事柄か、微妙な様々な高さに置かれたテーブル状のガラスの展示ケースも、上から下から横から、「どうなってるんやろ?」と舐めるように見てしまいました。 今度の誕生日には、ロバート アダムスの写真集が欲しい!と思いました。 本当におすすめですよー! とりあえずアマゾンで見つけたのはこのへん。なんて軽い気持ちで全部載せようとしたら、ものすごいいっぱいありましたー。そんな気起こすんじゃなかった、、、。まあ、もうやっちゃったので載せますけどね。そのうえ年代順にまでしたし、、、。私そんなに暇なんか? 上の三冊は今回の展覧会の作品も載ってますね。 先週にパリのオペラ座、オペラ ガルニエで、ピナ バウシュの「オルフェオとエウリディーチェ」を見てきました。
私にとってはピナ バウシュのオペラ初体験。オペラも遠い昔に見に行った記憶があるけれど、何の演目やったのかも何も覚えてないくらい、オペラに関しては知識ゼロです。 でもピナ バウシュが創ったオペラは単なるオペラではなくて、「ダンス オペラ」いわゆる「踊るオペラ」。まあ踊らなくて普通の歌って演ずるだけの一般的なオペラだっったら、コレグラファーであるピナ バウシュが出てくる必要は一切ないわけですから、この「ダンス オペラ」という新しい分野にも納得がいきます。それに元々、ピナ バウシュのダンスもなんで有名になったかと言ったら、それまでの「ダンス」としてしか存在していなかったダンスに、「タンツ テアター」いわゆる「踊る演劇」という、演劇とダンスをフュージョンさせた新しいダンスを提案したことに始まります。とにかくダンスと他の舞台演劇を混ぜることが好きなヒトなわけです。 ダンスだったら鑑賞前に批評や紹介文を読むことを自分に禁じている私ですが、今回はオペラということで、まあ歌舞伎でちゃんと前もって話のあらすじを理解して舞台鑑賞に挑むのと同じですから、めちゃくちゃ勉強していきました。美術史学科時代にお世話になったギリシャ神話の本をあるだけひっぱり出してきて、オルフェオについて復習。 ではギリシャ神話のオルフェオとエウリディーチェのお話についてちょっと書きます。 オルフェオは、ギリシャ神話の大半の登場人物のように神ではなかったけれど、歌と音楽に長けてるおかげで、みんなからほぼ神様扱いされている人間。その結婚相手がニンフであるエウリディーチェ。結婚してすぐに、かわいそうなことにエウリディーチェは蛇にかまれて死んでしまいます。悲しくてしょうがないオルフェオは、死の世界からエウリディーチェを取り返そうと思いつきます。オルフェオの奏でる歌と音楽は美しすぎて、誰も「NO」とは言えません。そんなわけで地獄の番人もエウリディーチェを生の世界に戻すことを承諾します。しかし条件が一つ。死の世界から生の世界まで戻る道すがら、絶対に彼女のことを見てはいけないし、どうして彼女を見てはいけないのかを説明してもいけない。その条件を満たさなかった場合、エウリディーチェはすぐさま再び死の世界へ連れ戻されます。エウリディーチェを連れて生の世界へ進むオルフェオ。その間、エウリディーチェは、わざわざ死を覚悟してまでも自分を死の世界まで迎えにきてくれた愛する夫オルフェオが、自分のことを見ようともしなければ、口をとざしていることに絶望し、再び死のうとします。それを感じたオルフェオは最後の最後、もうすぐそこが生の世界やのに!というところで、彼女のほうへ振り返り、抱きしめてしまうのです。その抱きしめた瞬間には、もう彼女は再び、死の世界に生きる者となってしまっているのです。 ピナ バウシュの「オルフェオとエウリディーチェ」は、1975年にオペラ ダンスとして創作されましたが、長い間踊られずにいました。1991年にピナバウシュがこの作品をもう一度生き返らせようと、当時のダンサーと共に息を吹き込みます。その結果、1993年2月にはピナバウシュのカンパニーによって公演が行われ、そして2005年5月にはパリオペラバレエのレパートリー作品となりました。 ピナバウシュが18年という長い年月のあとにも関わらず、もう一度命を与えたこの作品。 歴史はこういう思いによってつくられていくんですね。ピナバウシュがこんな風に思わなかったら、たとえ思ったとしても忙しい中実行に移さなかったら、「この作品を残していきたい。」と強く思わなかったら、先週私がこの作品を見て感動することもなかったでしょう。歴史は歴史家がつくるものだけではなくて、当事者たちが意識的に残す歴史もあるんですね。 Christoph Willibald Gluckの音楽に合わせてドイツ語で歌うコーラスはオーケストラの後ろ側に立ち、舞台上には状況を表すダンサーの群衆と、オルフェオの歌い手と踊り手、エウリディーチェの歌い手と踊り手、そしてキューピッドの歌い手と踊り手が登場します。3人の主要登場人物は歌い手と踊り手の二人によって、光となり影となっては一人の人物を表すのです。 第一幕「喪」。 エウリディーチェの死の前に、嘆き悲しむオルフェオ。 ![]() ![]() 黒い衣装を着た群衆が手をサーっと上に伸ばすダンスが素晴らしく美しかった。 手を上にあげてるだけなのに、魔法にかかったように見とれてしまった。 ![]() ![]() 舞台設定は、かなり不思議な空間が出来上がっていて、なんだかガラス張りの空間や枯れた植物のようなものが見えたけど、それらの必要性があまり感じられませんでした。 ところどころにチョークで円や子供の頃にしたケンケンパのステップが踏める四角が描いてあり、最後に死の世界へエウリディーチェを迎えに行こうと決めたときに、キューピッドが道しるべをするのに、舞台上に斜めにチョークでサーーーーーーーッと線を引いて舞台からいなくなるのがとても効果的で印象に残りました。 第2幕「暴力」。 舞台右手に木の椅子が何段にも積み重ねられています。その椅子でできた天井まで届くかのような塔から、細い白い糸がつながれていて、その糸はこの地獄の住人につながれています。 住人であるダンサーが動くと、床にはった何本もの糸が曲線や直線を描いて、とてもきれいでした。 糸だけでこんなに美しい効果があるなんて!なんて経済的な!と感心し、その美しさにホケーとなりましたが、その美しい線を描く糸によって地獄につながれている住人の苦しさのギャップがまた良かったです。 ![]() ![]() ここでの登場人物は、地獄につながれた住人たちと、地獄の番人3名。 地獄の番人3人は、なんだか黒いエプロンみたいな衣装を裸にまとっていて、私には最初から最後まで筋肉むきむき踊るストリッパー3人にしか見えませんでした。ダンスはとても良かったけど。それを一緒に行った配偶者に言うと、彼は彼で「最初から最後まで肉屋の兄ちゃん3人にしか見えへんかった。」と言ってました。みんなそれぞれ解釈が違いますね。 最も美しかったのは、第3幕「平和」。 ![]() 天国の住人たちのダンスと揺れるスカート。気が遠くなるほど美しい。 最後にオルフェオが左手前から、エウリディーチェが右手奥から出てきます。オルフェオはエウリディーチェに背を向けて立っています。オルフェオの姿を発見したエウリディーチェはゆっくりゆっくり彼のほうに歩み寄り、その気配を感じたのか、オルフェオも彼女のほうへ背を向けたまま、二歩、三歩、と歩を進めます。その二人の間の空間。 今回の舞台で最も美しかったのは、ダンスでもなく、ダンサーでもなく、衣装でもなく、舞台装置でもなく、この二人の間の空間。ライトに照らされた何もない床。これを見て、私は泣きました。 その空間は最後に優しく触れられて、つながれた二人の手によって埋められます。 第4幕「死」。 ![]() 何もない舞台の上で真っ赤のドレスを着たエウリディーチェ踊り手と、裸のオルフェオ踊り手、そしてそれぞれの歌い手が一人ずつ。と計4名しか舞台にいません。 死の世界から生の世界へ行く道。ふたりの葛藤。 絶対に頭をあげずに、眼をつむったまま踊るオルフェオ。自分を見てくれなくて絶望するエウリディーチェを感じ、苦悩に耐えるオルフェオ。どんなにふたりが美しく表情豊かに踊っているときよりも、再び死のうとするエウリディーチェを引き止めようとして彼女を見、抱きしめてしまったあとのオルフェオの背中が素晴らしかった。歌い手のエウリディーチェと踊り手のエウリディーチェが死を表す十字架の形に横たえられ、そのうえを覆いかぶさりながら、嘆き悲しむオルフェオの歌い手。その間、とても長い間、踊り手のオルフェオは舞台の左奥に観客に背中を向けて座り込んでいます。私たちが見えるのはその背中だけ。すごくすごく美しくて哀しい背中。身体を動かすことなしに、成立するダンス。素晴らしい。 かなり満足できた公演でした。 安い席を取ったのに、偶然にもとてもよい場所で見ることができました。満足満足。 しかし普段、コンテンポラリーダンスを見ている私としては、やはり全てのダンサーが美しくて同じような身体の持ち主で、っていうバレエカンパニーの踊るのには、ちょっと慣れないというか、抵抗がありました。 私がコンテンポラリーダンスが好きな理由は、ダンサーたちに、背の高い人もいれば背の低い人もいて、すこしボリュームのある人もいればガリガリの人もいて、白人もいれば黒人もアジア人もいて、みんながそれぞれの育った文化や環境を背負って舞台に立っているからです。そこには表現と技術が必要で、何センチ以上の背が必要なわけではきっとない。 その点ではいつもクラシックダンスを主に踊るバレエ団は結構苦手です。 同じバレエ団でも国籍のさまざまなダンサーで構成されていることで有名なリヨンバレエ団なんかは、とても楽しく見れます。 まあでも、今回のダンス オペラの場合は、群衆で踊る部分なんか、「やっぱりクラシックを踊るバレエ団ならではの美しさなのかな?これがピナバウシュのカンパニーではこの美しさは出ないかな?」と思いました。まあどちらも観てみないとどんなに考えても一生わからない疑問ですが、、。 もう一つのピナバウシュのダンス オペラ、「タウリスのイフィゲネイア」もいつか見てみたい。 いまならこのページから公演のヴィデオが見れますよ。 このオルフェオとエウリディーチェのお話。 女はほんとにうざい生き物やな。と思いました。 すぐに「なんで私のこと見てくれへんの?」「私のことほんまに好きなん?」「なんでしゃべってくれへんのー?」「もうそんなんやったら死ぬー!」なんて。 黙ってついてこんかい! と公演中何度思ったことか。 昔の日本女性なら、例えば原節子なら、この話は悲劇にならず済んだはず。 そう思いません? でも私もきっとエウリディーチェみたいにワーワー言ってしまうわ。でもせっかく生き返れるんなら、「なんでやろ?何ムッツリしたはんにゃろ。」と思いながらも最後まで付いて行くけどな。 今日メールが送られてきたアーティスト イン レジデンスの募集の紹介です。
フランスのブールジュにあるEcole Nationale Superieure d'Art(美術学校)で毎年行われているレジデンス。美術学校主催のレジデンスなので、学校の教師や生徒たちとの交流もあるんでしょう。 平均3ヶ月という期間で、100平米のアトリエ兼住居、3050ユーロの奨学金が提供され、作品作りに必要な機材などは美術学校のものを利用できます。 レジデンス期間最後には、美術学校に併設しているla boxというアーティスト応援機関から、レジデンス中に制作された作品のカタログが出版されます。 ここに詳細(フランス語)が載っています。telecharger la fiche de candidatureをクリックして申請用紙をゲット。 2008年3月28日までに、申請用紙とレジデンス滞在中のプロジェクト、ポートフォリオ(写真、テキスト、履歴書)を下記のアドレスまで郵送しましょう。レジデンスでのプロジェクトの一環として、美術学校の生徒たちと行うワークショップのプロジェクトも必須です。 la box 9 rue edouard-branly BP 297 18006 Bourges cedex 審査員による選出は2008年5月中頃に行われます。 1991年から今までに、このレジデンスに滞在したアーティストたち。 有名な人がいっぱいですねー! 2004/2005 : Latifa Echakhch, Julie C. Fortier, Olivier Leroi, Ma?der Fortun? 2003/2004 : Romain-Alexandre Challandes, Hsia-Fei Chang, Rodolphe Huguet, ?ric Watt 2002/2003 : Kristina Solomoukha, David Rych, Tanja Ostojic, Samon Takahashi 2001/2002 : Bureau d'?tudes, C?cile Desvignes, Adriana Garcia Galan, Wang Youshen 2000/2001 : Lena Glovina, Pierre Thoretton, Prota(tt)rioreau, Pierre Faure 1999/2000 : C?cile Bart/Nathalie David, Simone Decker, Luc Kerl?o 1998/1999 : Alec De Bussch?re, Delphine Coindet, B?atrice Cussol, St?phane Steiner 1997/1998 : Sylvie Ungauer, Isabelle L?v?nez, Liliana Moro, Christian Robert-Tissot 1996/1997 : Marie Legros, R?gis Pinault, Claire Maugeais 1995/1996 : Tacita Dean, Anna Selander, Tiina Ketara 1994/1995 : Jason Kara?ndros, Jakob Gautel, Bernhard Rudiger 1993/1994 : Laurent Chambert, Martin Honert 1992/1993 : Pierre Bismuth, M?lanie Counsell 1991/1992 : Jean-Marc Segalen, Claire-Jeannne J?z?quel 2008年1月の備忘録。
悔しかったのは、ポンピドゥーセンターでのSylvain Prunenecのダンスの公演が、チケットを取っていた日にストライキのために中止になって、他の日の公演も忙しくて見れなかったこと。 個人的にうれしかったのは、Anne Teresa De Keersmaeker/アンナ テレサ ドゥ ケースマイケル(Rosas/ローザス)の公演を今回見て、彼女のダンスはもう多分4、5回見てると思うんやけど、特に今回の公演が良かったということでもないんやけれど、いつも質の高いものを毎年なんだかんだで出してくる彼女はやはりすごいと感動したし、今まで思ったことがなかったけど、「私は彼女の創るダンスが好きやー!」と自分で思えたこと。 ギャラリーは半日費やして結構行けた。今回のプログラムはどこのギャラリーもかなり良かった。良いものや興味深いものにたくさん出会うことができた。 でもギャラリー巡りや展覧会やダンス観賞以外の活動が停滞してる。 たくさんモノを見ていても、ひとつひとつきちんと消化している時間を持てていないし、ブログも記事も書いてない。地盤を少しずつ着実に固めるということができていない。反省します。 ではリストに興味のある人はどうぞ。 |