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保科晶子による子供用アトリエ ぐるぐるまき&ごろんごろん @セーヴル国立陶芸美術館
女子美のパリ賞を受賞して、現在パリのCité Internationale des Artsというアーティストレジデンスに滞在中の、陶芸アーティストである保科 晶子さんが、セーブル国立陶芸美術館にて、子供を対象としたアトリエを開催されます。

彼女のサイトはこちら。そして私もファンのブログはこちら

彼女とはミクシーを通してだったかなあ?で知り合って、私が運営するキュレーター団体としても何かコラボできないかなあっておつきあいさせていただいています。
何よりもいまは大切なお友達です。一緒に現代アートを見ていると、彼女なりの視点が私にはすごく新鮮で興味深く、アートというもの(自身の作品も他人の作品も)との距離の取り方が絶妙な素敵な女性です。

詳細はこちら。
6歳から12歳までの子供が対象なので、その年齢のお子さんがいらっしゃる方、是非どうぞ!
もっと詳しく知りたい方は、コメント欄からでも右下のメールフォームからでも気軽に聞いてきてくださいねー。

Image 3

Musée national de Céramique Sèvres
http://www.musee-ceramique-sevres.fr/homes/home_id24900_u1l2.htm

Sponsor pour matériaux:
PADICO.Co,Ltd
http://www.padico.co.jp/





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10/25 06:51 | 宣伝 | CM:2 | TB:0
FIAC前日
この2週間ほど、明日から始まるパリのFIAC (Foire Internationale d'Art Contemporain/国際現代アートフェア)準備やあさってから始まるギャラリーでの展覧会準備や、どんどん目の前にたまっていく日頃の仕事や、来月の展覧会の準備や、はたまた仕事とは別にNPO団体としてやっているキュレーター活動のせいで、頭がパニック状態です。

私は自分のことを非常に打たれ強い人間だと思っていて、精神的に極度に弱ったりすることはありません。めちゃくちゃ卑屈なところがあるので、すぐに卑屈な考えをしたりするけど、はたからは見えないでしょう。

し!か!し!この私が、先週は精神的に大打撃を受けまして、本当に参っておりました。
以前一緒に働いていた元同僚と呑みに行ったときにも、「かなが「精神的にやばい、」っていうの初めて聞いたから今日会うの怖かったくらい。」と言ってました。

ま、一応解決というか、今となっては「問題がこの時点で浮上して良かったなー。」と思えるので大丈夫です。っていうかそう思えるところが、私のどこまでも図太いところでしょう。

仕事は仕事やし、やらなあかんことはわーわー嘆こうが「しんどい」と叫ぼうがやらなあかん。じゃあ何が世の中で一番難しいかと言えば人間関係以外ないなーと実感したのでした。相手が話し合えるヒトで良かった。

そんなこんなでも毎年FIACはやってきます。
月曜日は13時間も働きました。まあ日本では普通かもしれません。今日も一日中動き回って残業して、「やばい!ボスに殺されるー!」と思うようなこともありましたが、まあ私のせいではないと逆に諭され、「あなたはほんまによくやってるよ。」とお褒めの言葉までももらい、なんとかやってます。

今年のFIACはアメリカやイギリスからの有名ギャラリーも結構参加していてなかなか面白そうです。そのうえ土曜日は働かなくてもいいので、offのサテライトフェアも覗いてみたいと思います。

水曜日はFIACのヴェルニサージュ、木曜日はギャラリーのヴェルニサージュとディナー、そして金曜日と日曜日はブースにはり付いています。来週のベルリンでのフェアの準備できてるんかなあ?と心配ですが、私の担当はFIACなので、ベルリンのためにできてないことには気づかないようにしようと思います。そういうとこはフランス式個人主義で!


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写真は設営がどこもほぼ終了した今日のグラン パレでの一枚。横の段ボールが邪魔ですけど、一応Kamel Mennourギャラリーのブース。最近フランスでの活躍が目覚ましい日本人アーティスト、川俣 正さんの作品。

川俣さんのこういう作品を見ると、「あー、商業ギャラリーのお抱えになると、「売れる」作品作らはるんやなあ。」と思います。全く悪い意味ではありません。だって川俣さんのは誰でもが買いやすい作品じゃないですもんね。


FIACは経済恐慌の煽りをあまり受けませんように。


忙しい今週の私の目標は、「毎晩お化粧を落とす。」
非常にレベルの低い目標のように思えるかもしれませんが、普段からお化粧を落とすのが面倒くさくて仕方がなく、すぐに忘れたふりしてソファに寝転がる私にとっては、かなりレベル高めです。でも疲れたときほどそういうのちゃんとしないともう若くないですからねー。
達成できるんでしょうか。


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10/22 07:45 | ワタクシゴト | CM:6 | TB:0
Villa Savoye/サヴォア邸 Le Corbusier/ル コルビュジェ
ひさしぶりに届いた父からのメールで、Le Corbusier/ル コルビジェのVilla Savoye/サヴォワ邸に行った日を思い出しました。
このブログにも書きましたが、7月に行ったパリ郊外のシャマランドへの半日遠足が本当に楽しかったので、それから週末になると、パリから1時間くらいで行ける郊外のちょっとした田舎へ行くのが私たち夫婦の間で流行っています。季節的にも行けるのはいまのうち、そしてお互いの忙しさ的にも行けるときに行っとかないと次はいつ一緒に一日過ごせるかわかりませんからね。
そんなわけでもう3ヶ月も前になりますが、7月最後の週末のとても初夏の清々しい天気の日に、パリ郊外はポワッシーまで行ってきました。

私の父が大学院の論文かなんかでテーマにしたのが、ル コルビジェについてでした。既に学生結婚をしていた母も「あの論文はほんまはお母さんが書いたようなもんや。」と言うように、二人は結構なル コルビジェマニアです。小さい頃からよくル コルビジェの話を二人がしていて、それこそちょっとした親戚の近況なんかより、ル コルビジェの話のほうが二人の会話に上っていたような気がします。でもまあそのへんは子供にとっての親戚の話題のように、当時の私にとっては大して興味をそそられない話題だったので、私はそんなに詳しくありません。実際フランスに来てからも「ル コルビジェ見に行け。」と口をすっぱくして言ってくる両親を尻目に、私が見に行った彼の建築物と言えば、ロンシャンの教会とラ トゥーレットの修道院、そしてパリのル コルビジェの家だけです。リヨンに4年半も住んでたくせにフィルミニーにも行ったことがないという。お父さん、お母さん、ごめんなさい。

まあでも大学の美術史の授業でサヴォワ邸に関してはもちろん学び、それこそ平面図なら素で描けます。しかしパリに来てもう4年になりますが、実際に行ったことはありませんでした。パリの郊外で、、、雰囲気良さそうなとこで、、、お城じゃなくて、、、となると、「あ、サヴォワ邸でいいんちゃうか?」という非常に安易な理由でした。

パリからRERのA線に乗って、どれくらいやったかなー、一時間もかからなかったと思いますが、ポワッシー駅にたどり着きました。ル コルビジェのサヴォワ邸なんて世界的にも超有名な建築物があるのに、ポワッシー駅からサヴォワ邸に行くためのバスは一時間に一本もないくらい。そんないつ来るのか信用できないバスを何もない殺風景なバス停で待つよりも、天気もいいから歩いて行こう!ということになり、駅前にある周辺地図をカメラに収め、いざ出陣。

駅前の道を右にまっすぐ、それから道なりに進んでいくと、
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こんな結構立派な教会の裏側が見えてきます。
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これはこの教会の前。この真横に、写真はありませんがこれまた素敵なでかい洋館がありました。「売却済」と看板が出ていて、「いくらやったんやろか、、、。」と思いを巡らします。ここなら将来義理の両親と住んでもいいかも、と思わせるくらい大きい。まあ向こうが嫌がるでしょうけどね。でも教会の鐘の音が近すぎてうるさそうです。

教会の前をほーーーんの少し行くと小道の入り口があり、そこを通ると別世界。たしかなんかのちっちゃい美術館だったと思います。人形美術館とかそんなんやったかなー。もう忘れました。
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このお庭でだらだらし始めるともうサヴォワ邸にたどり着けなくてもまあいいか、と思い始めてしまいます。
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根がはってしまいそうなお尻をあげて進むと、まだまだ中世の建物が続きます。やっぱりバスになんか乗らなくてよかった。

この中世の建物街を抜けると次は広大な公園が広がっています。
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うーー、芝生の上で寝転びたい、ごろんごろんしたい、という気持ちは露ほども見せずがんばって突き進みましょう。ここで負けると今日のメインにはありつけません。重要文化財ですから閉館時間も結構早いし気をつけねば、、。

そんな素敵な散歩をうーん、20分か30分やったかな、続けると、サヴォワ邸の入り口が見えてきます。

もう今は誰も住んでないけど、やっぱり元はヒトんち。入り口から建物は見えないので、ちょっとドキドキしながら緑の中を抜けると、、、
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でたー!

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第一印象は「あれ、こんなにちっちゃいん?」でした。

では中見たい人はどうぞー。写真いっぱい撮りましたよ。

10/15 07:17 | 未分類 | CM:5 | TB:0
Angelin Preljocaj/アンジェラン・プレルジョカージュ 「Blanche Neige/白雪姫」
私がチケットを取っていた、2008-2009年度のダンス公演もいくつか始まりました。
金曜日の夜はシャイヨー劇場にて、Angelin Preljocaj/アンジェラン・プレルジョカージュの「Blanche Neige/白雪姫」を見てきました。



私がこれまでに見たことのあるプレルジョカージュの演目はふたつ。プレルジョカージュ初体験は2年か3年前にオペラ座で見た「Le Parc/ル・パルク」でした。私はクラシックバレエにあまり興味がないので、プレルジョカージュのお決まりらしい大掛かりなセノグラフィーと照明には、「ほほー。」と感心しましたが、世間でどうしてこの演目が評価されているのかいまいち理解できないのと同時に、モダンにアレンジされたいわゆる「バレエ」というものに、少し辟易したのを覚えています。そんな第一印象だったので、プレルジョカージュには興味を持っていませんでしたが、去年にシャトレ劇場で上演された「四季」は、今年の夏にワタリウム美術館でも個展を行った、代表的フランス人現代アーティスト、ファブリス イベールが舞台と衣装を担当した作品だということで見ました。このときも、舞台や衣装の記憶はなんとなく残っているんですが、ダンス自体には大して興味をそそられませんでした。

そして今回。プレルジョカージュを素通りしようと思ったんですが、去年の「Eldorado/エルドラド」が非常に評判が良かったのと、衣装をジャン・ポール ゴルチエが担当するということで、まあちょっと行ってみよか、という気になったのでした。


結果。


やっぱりあかんわー、でした。まったく好きではありません。


とにかくプレルジョカージュのダンスはほんまのクラシックバレエのように踊りまくりです。
もちろん私は「踊る」ダンスも好きですが、くるくるひたすら飛んだり跳ねたりばっかりしてるダンスを見ることに何度も言う様に興味がないのです。
「踊る」ダンスでいうと、クニンガムとか昔のフォーサイスとかはめちゃくちゃ好きです。
しかし今回の「白雪姫」のようなきちんとしたストーリーがあるダンス公演は、なんか感情表現みたいなものももちろんですがあって、「あー、いま喜んでる。」とか「あー、いま悲しんでる。」とかがうざくてしょうがない。これはあくまでも私の好き嫌いの問題です。あしからず。
たとえばそういう感情もこのブログにも書いたピナ バウシュの「オルフェオとエウリディーチェ」のような表現方法ならいいんです。大げさ感がないから。サシャ ワルツの「ロミオとジュリエット」も感情表現が私にとってのリミットを越えず、なのとかぎりぎりのところのさじ加減だったので、なんとか楽しんで見ることができました。

しかしプレルジョカージュはほんまに無理でした。

何があかんのでしょうか。それは私にとってはすべて大げさでやりすぎで、「スペクタクル」という意味ではいいのかもしれないんですが、純粋な意味で「ダンス」や「身体の動き」を追求する舞台が好きな私としては、まるで大掛かりなミュージカルを見ているような気分になってしまったのでした。まあミュージカルってのは急に歌いだしたりするし、私にとっては想像するだけでも見に行く気にならないものなので、実際一度も見たことありませんからこんなことを言うのは間違っているかもしれませんけどね。

  


じゃあ私を「プレルジョカージュやけど見に行こう。」と思わせたゴルチエ担当の衣装はどうだったかというと、はっきり言って変でした。

白雪姫の役は日本人ダンサーさん。きれいな人です。白雪姫やし、まあ白い衣装なんです。でもハイレグの水着のように腰と胸の間あたりくらいまで切れ込みが入っています。そしてギリシャ・ローマ時代の彫刻に見られるようなクレープ素材(と呼ぶんやったんでしょうか)の生地でできているので、なんか全体にたぷ~んとしてるのです。そのお腹の下あたりのたぷ~ん感が最初見たときは「え?ふんどし?」と思ってしまったほど、お祭りで御神輿をかつぐ男性を彷彿とさせます。でも「あ、ふんどしちゃうわな。そらそうやわな。」と思いなおすんですが、次はその股間のたぷ~ん感が、大きすぎるブルマを履いた子のようで、「股ずれとか大丈夫かな?」と心配になるほどです。まあゴルチエなので、そんな股ずれなんかしないような、ちゃんとしたええ生地が使用されているでしょうから、そんな心配ご無用でしょう。すいません。

お次は悪役の継母。「え、ゴルチエこれほんまにデザインしたん?」とツッコミたくなるほど、SMの衣装が売ってる服屋さんで選んで買ってきたようなまんまの衣装です。そしてSMの女王様である継母にいっつもくっついてる手下二人はというと、最初出てきたとき「あ、ショッカーや。」と思ったんですが、実はキャットウーマンでした。ダンスもキャットウーマンそのもので、「これは創作なんでしょうか?どちらかというと物真似じゃないんでしょうか?」と思ってしまいました。

継母が白雪姫を誘拐するために下した使いは、グリーンベレーのミリタリーパンツをはいた兵士ですし、七人の小人は採掘夫です。

まあプレルジョカージュ自身、白雪姫は御伽噺であるけれども、置き換えれば、今日の50代になっても60代になっても、お化粧やエクササイズやそれこそ進歩した医学による整形手術などを利用していつまでも若く美しくいる母親世代が、若く、ただそれだけで美しい自分の娘に対して嫉妬するような状態にもつながる、とインタビューで言っているので、ゴルチエもそれにあわせて衣装を現代風にアレンジした、というのは理解できます。でもねー、プレルジョカージュのその話も大概「はあ?そうか?何ゆってんの?」と思ってしまいます。まあこの演目が好きだった人にとっては、こんな私も「はあ、何ゆってんの?」って感じでしょうが。

 


このダンス公演の前に、「えーっと、白雪姫ってどんな話やったっけ?」と思い出そうとしたんですが、
「えーー、白雪姫が森で七人の小人と住んでて、、、えっと、、、りんご食べて死ぬ話や。あれ?もう終わってしまった。それもハッピーエンドちゃうなあ。御伽噺やから最後はハッピーエンドで終わらなあかんはずなんやけど、、、なんやったっけ、、、」と私の白雪姫に関する記憶も相当酷いもんでした。
そんなせいもあってかどうか知りませんが、白雪姫が最初から最後まで無垢な乙女に見えないので困りました。大体、「白雪姫、えっらいぶりっ子やなー。」と思った私は卑屈な女。七人の小人が白雪姫にちょっかい出してるシーンがいくつかあるんですが、もうどうしても、どんなにがんばっても集団レイプのようにしか見えない。「もーどーしよー。」と一人、そんな自分自身に困り果てていた公演となりました。


まあこんな風に私個人は、この演目が好きではありませんでしたが、舞台が終わったときにはかなりの拍手とブラボーの声だったので、他の人たちは楽しめたんだと思います。白雪姫という世界中の人が知っているストーリーといい、ゴルチエの現代風な面白い(!!)衣装といい、プレルジョカージュのコンテンポラリーでありながら「ちゃんと踊る」ダンスといい、大衆受けすると思います。
日本にも必ず行くでしょう。
実際私が見に行った日の最も良い10席くらいは、どうも関係者っぽい日本人のおじさんたちで埋め尽くされていました。

好きになれなかった自分と、他の観客たちの反応の違いにひどく驚いてしまって、それからいろんな批評を読んでみたんですが、どれもまあいまいちなものだったので、少し安心しました。自分がひねくれてるせいでこんな風にしか見れへんのか?と心配になったもんですから。



でもこの演目のおかげで、辻 直之さんの作品を見たときからずっと、またもう一度きっちり最初から最後まで読み直したいと思っていた、Bruno Bettelheim/ブルーノ・ベッテルハイムの「昔話の魔力」を「やっぱり絶対ちゃんと読もう!」と購入しました。何年か前に当時の彼氏が読んでいたのでパラパラと読んだことはあるんですが、プレルジョカージュが「白雪姫」に関するインタビューでも言及していることですし、これを読めば少しは彼の作り出したかった世界観が理解できるかもしれない、と思っています。ま、どちらにしても興味深い本なのでオススメです。




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10/13 06:40 | コンテンポラリーダンス | CM:9 | TB:0
Nuit Blanche 2008
たまには微妙やと感じた企画のことも、、、と思い、先週末にパリで開催されたNuit Blanche 2008について。
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Nuit Blancheっていうのは、以前にもこのブログで書いたことがありますが、日本でも秋の夜長といいますし(ってまあそれは彼らの考えには入ってないと思うけど。)、秋の一晩、パリ中のいろんな場所で現代アート関連の企画をして、パリジャンたちが一晩中現代アートにどっぷり浸れる機会を作ろうじゃないか、的イベントです。今年で7回目を迎えたこのNuit Blanche、最近ではフランスの地方都市や、ヨーロッパ、はたまた世界の他の都市でも同日に開催されているようです。
このままいくと、日本の東京なんかで行われる日も遠くないかもしれません。


2006年のNuit Blancheは珍しく結構楽しかったので、2007年はどうしようかな、と思っていたんですが、確かそのときにパリに居なかったという理由で去年はお休み。
2006年以前のNuit Blancheで思い出に残っていることと言えば、「家の近所でダンスレッスンやってるみたいやでー。」と当時一緒に住んでいた弟と、そのときたまたま家に遊びにきてた弟の友人とで繰り出し、Forum des Hallesという映画館で、「アリー マクビール」っていうアメリカドラマで、登場人物たちが勤め先の弁護士事務所のトイレで踊るバリー ホワイトの「マイ エヴリシング」のダンスを学びましたねー。会場中大盛り上がりでめーーっちゃくちゃ楽しかったのを覚えてます。で、それからいろいろNuit Blancheがあるとちょこっと出かけたりしていましたが、いつも人が多くて結構歩くわりには次の地点にたどり着いてみれば、「え、これだけのために私こんだけ歩いたん?」と思ってしまうようなものが多く、個人的にはNuit Blancheに良い印象がありません。


という訳で、今年もみんなに「Nuit Blanche、どこらへんを見るん?」(ちなみにパリ中と言っても、いくつかの地区ごとに企画が集まっているのです。)とみんなに聞いて回るも、公式サイトを見ていろいろクリックしても「アーー!これ絶対見たーい!」と思わせてくれるような企画に出会えず、そのうえ今年はどうも音楽と光関連の企画が多いようで、音楽に疎い私はサイトをじっくり見ても、どれがアーティストの名前でどれが企画のタイトルなのかもわからないような状態で、「よし、今年もNuit Blancheは素通りしよう。わざわざ人の多い場所に行く必要ないわ。」と思っていたのです。


しかししかし、一緒にアソシエーションを運営している友人に「サンジェルマンのギャラリー巡りをしたあと、モンパルナス近くのある展示を見に行こう。そこの人と知り合いになったから、これからのためにも交遊を深めにいくチャンス。」ということで、会議のあとそのへんに行くことになり、彼女はそのあと北駅や東駅周辺のNuit Blancheをまわると言ってましたが、私は居残って配偶者とモンパルナス周辺のNuit Blancheをまわることにしたのでした。

えらい前置きが長くなりました。ぜえぜえ。


ということでですね、
まずはImmanenceの「Cover record, Sound Art : le live」展。
展示会場の壁中にレコードやCDのジャケットなどが展示されています。
ジョン ケージとかメシアンなどから始まり、ジュリアン オピーの名を一躍有名にしたブラーのジャケットまで。ヨーコ オノもウォーホルもビートルズもゲンズブールもAirも、そしてもちろんNuit Blancheの開催されたこの日にサンジェルマンの教会でコンサートをしたパティ スミスもありました。音楽に疎い私でも、曲は知らないけど、広告や雑誌で見てジャケットは知ってる。っていう視覚的にみんなの記憶に残っているジャケットというイメージたち。ミュージシャンと、各時代のアーティストのコラボレーション。音楽をインターネットからおとしたり、mp3でものすごい数の曲が手のひらサイズで持ち歩ける、なんていうCDを買わない時代だと言われる昨今、ジャケットが担ってきた役割というか、その重要性とまでは言わないけれど、面白さをじっくり味わえる展覧会でした。
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写真はコンサート風景です。アーティストさんがアンプのチューナーをいじりながら、実験音楽のようなものを演奏しているんですが、実験音楽なので一般の観客のなかにはこれを音楽と見なさない人もいるようで、演奏が終わったあと、「ありがとう!(終わってくれて!)」みたいなことを叫んでいる人が結構いて、私はまあこういう反応をする人たちが嫌いなので、ちょっと嫌な気分になりました。いくら自分が好きでなかったとしてもそれはないやろ。まあでもこれも「現代アートをパリ市民へ!大衆へ!」というコンセプトの強いNuit Blancheという企画にはつきものの反応です。


お次ぎはモンパルナスのコマーシャルセンターの地下にある市民プールでの展示。
Luiza JacobsenとMarie-Julie BourgeoisによるTempo。
世界中に設置されたウェブカメラを使用して、プールの水面にモザイクのように世界中のオンタイムの空を映しだす、という主旨なんですが、いけてなかったーーー!
プールに入る(中じゃなくて、プールの脇を歩くんですけど)ために、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、コートや荷物をロッカーに入れ、なんかきちゃない市民プールの床を裸足で歩き、やっとたどり着いたと思ったけど、こんなん。
もちろん世界各地の空ですから、夜のとこもあれば昼のとこもあります。でも映写するために薄暗くされたプールの水面に映像を流しても、「全部グレイやん!」というつっこみしかできませんでした。例えばの話ですけど、昼間の空ばっかり(雨降ってたりしてもいいから)の場所を選んで巨大テレビ画面に映して電気を煌煌とたいて、私たちがつい5分前にいたパリの外は真っ暗やけど、この中は昼間や!みたいなコントラストを楽しむ展示やったりしたら良かったんちゃうかなーなんて思いました。サイトスペシフィック大失敗の作品です。
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そんなこんなで池田 亮司さんのモンパルナスタワーの下からヒュイーンと出る青の光線を見ながら私のNuit Blancheは続きます。
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この光線が出る地点からにもアクセス可能で、そこにはサウンドインスタレーションがあります。私は人の多さに辟易してそこまで行きませんでしたが、横を歩いていると、ブーーーンという音が聞こえてきていました。彼の作品が好きなので、見に行けなかったのが残念ですが、あの人の多さには勝てません。その上モンパルナスの若者向けクラブの前に列をつくるものすごい数のレッド ブル飲んできたばっかりっぽいハイテンションの若者たちが周りにうようよいまして、ただでさえ無法地帯のような人の数なのに、より一層大変なことになっておりました。


もう帰りたいなー、と思いながらも、普段モンパルナス界隈に来ることもないので、もうちょっと見て行こうということになり、たどり着いたのが、Otto PieneのPlus leger que l'airという周りに車がびゅんびゅん行き交う大きな広場に設置されたインスタレーション。
なんなんすか、これ。
移動遊園地のアトラクションでももうちょっとマシです。
遠くから見ると巨大コンドームが舞っているのかと思いましたよ、ほんまに。
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この広場をもう少し行ったところにある教会での展示がこちら。Fabric I CHのPerpetual (Tropical) Sunshine。南回帰線直下の太陽のイメージを300個の赤外線ランプを用いてオンタイムで見せるというもの。
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展示が赤く浮かび上がらせる教会がきれいでした。でも作品としてはどうなんやろうか。
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おーし!帰ろう!とりあえず家に帰って少し休んで、人が減るであろう2時か3時頃にマレ地区あたりをささっと手っ取り早くまわってもいいかな、なんて思いながら、配偶者は3時ころにパティ スミスの様子を見に行こうかな、なんて言いながら、メトロに乗ってシャトレまでやってきました。
今回のメインイベントの一つであるサンジャック塔の展示もほんまに「で?」としか言いようがなく、例年通り困った結果に陥ってしまった、と思っていたんですが、いつも最後にちょこっと寄ってみるサンメリ教会。
ヴィデオやらインスターレーションやらいろんなものがある中、偶然ダンスが始まりました。真っ白な照明でできる真っ黒の影と真っ白の生地、そしてダンサーさんの黒い服という、白黒のコントラストと、教会の雰囲気とダンスがうまく噛み合っていて、なかなかいいものが見れました。音楽はまあ普通でした。
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同教会内の他の展示はまた微妙。写真がブレブレです。
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家に着いたのは夜の1時。結局再びその晩に家を出ることはなかったのでした。ちゃんちゃん。一晩中、「選んだ地区が悪かったんや。他の地区やったらもっとええもんが見れたんかもしれんなあ。」と何度も何度も繰り返した夜でした。でも他の地区でも一緒やったかもしれません。それはもう誰にもわかりません。だって一晩しかないんですもん。


今年のNuit Blancheのアーティスティック ディレクターは、カルティエ財団のディレクターであるエルベ シャンデスとロナルド シャマという映画関連の人でした。今年のプログラムを見ていて、なんか現代アートっていうより映画とか音楽とかサウンドインスタレーションとか光を駆使したようなんが多いなあと思っていたら、そういうことやったんですね。そういえば何故かここ数年カルティエ財団は、デヴィッド リンチの展覧会したり、ロックンロールの展覧会したり、パティ スミスの展覧会したり、ディレクターが変わってもいないのに方向性だけ中途半端にミーハーなのに変わってきて変なの、と思っていたんですが、今年のNuit Blancheもそのまんま、という感じがします。

たった一晩だけの企画。そんなもんのすごい贅沢な企画で、きっともんのすごいお金が動いてるんでしょうし、もっと市民が参加して楽しめるものや、もっと市民の思考を揺るがすようなものだったらいいのにな、と思います。まあめちゃくちゃ難しいですよね。そういうのって。
どっからお金が出てるんや?と思いスポンサーのリストを見ると、なんとなんとNuit Blanche 2008は武器売買によって儲けたお金で成り立ってることがわかってしまいましたー。戦争産業の裏にこれ。

あー、どこまでも微妙や。


北駅、東駅周辺とかベルシー辺りはどうだったんでしょうかねー?リヨン駅のイベントは機材がちゃんと動いてなくてうだうだだったと聞きました。しかしなんたらかんたら言っても今年のNuit Blancheは例年以上の人の多さだったようですね。100万人以上がパリの街に繰り出したようです。

来年はどんなんなんでしょう。


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10/07 06:24 | 未分類 | CM:7 | TB:0
2008年9月備忘録
いやはや、もう9月が終わってしまいました。ここ何ヶ月かのブログを読み返していると、他の記事と比べて異様に備忘録が多いので申し訳ないです。反省します。
今月は日本から帰ってきて、日本のOLと言われる女性たちがちゃんとした格好をしているなーというのに憧れて、フランスでどう見てもそんな格好をしていたらちょっと浮くのに何度もしてみたり、フランソワ トリュフォーの「恋愛日記/L'Homme qui aimait les femme」という映画を見て、出来る限り毎日スカートにヒール、そして足は出す、という日本でなら非常に迷惑な服装をしたりしていました。なんで迷惑かと言うと、私は大根足だからです。どうでもいいことですが、学生のときに家の近所を夏場にスカートで歩いていて、横をチャリで通りかかった小学生に「だいこーーーーん!」と叫ばれたくらい大根です。まあ自覚しているのでそのときも普通に「ん?何?呼んだ?」という反応しかできませんでしたが。
こんなことは本当にくだらなくてアートと関係なくてすいません。
ここ数ヶ月の個人的な見たい映画がない氷河期が終わり、少し興味のある映画が出てきたのに、全然見れてないのも残念です。
とにかくトリュフォーの「恋愛日記/L'Homme qui aimait les femme」はめちゃくちゃ面白いので見てもらいたい一本です。セリフも、会話も、それぞれの登場人物の表情も、それこそ毛穴まで見えてしまいそうなアップも、女性の身体の部位もたまらなくすばらしいです。


短くてもいいから、できるだけ多くの記事を書いたほうがいいんでしょうかね。

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10/02 03:41 | 備忘録 | CM:2 | TB:0
森川 穣 「彼の地」
カーナビの女性の声に導かれてたどり着くと、そこには左官屋の事務所のような、小さな街の公民館のような建物があった。「本当にここなのかな?」と少し不安を感じながら扉をくぐると、きっとこの場所がアーティストスタジオとなる以前から使用されているに違いない、キッチュな柄のスリッパがいくつか鎮座していた。靴を脱ぎ、スリッパのひとつに足を入れて、「こんにちはー!」と勢いよく投げかけてみる。
何よりもまずは作品を見なくちゃ、と私はインスタレーションの作品の中に体を潜らせた。

お茶席の躙口をくぐるときのように、はたまた子供の頃どきどきしながら近所の空家に体を小さくさせてこっそり忍び込んだときのように、体を低くして入っていく。
そんな体感するデジャヴは、私の心にも同じように作用する。お茶席の躙口を通るときの、ここからは日常とは別の空間であり、別の世界観が広がっている、という神妙な思いと、空家に忍びこむときの、一体何が待っているんだろう、というワクワクした思い。
ほんの少し進むと上方向に広がる、人が一人立っていられる空間。そこで立ち上がると相変わらず白い壁と床、天井に包まれているのだが、目線より少し高い位置に数センチの切れ込みを見つけた。

私は背伸びをし、その四方に延びる切れ込みを覗き込む。焦点があまり定まらない目で捉えられたものは、まるで火星の表面のような岩石や土の固まりがころがる広大な風景だった。

この作品の作家である森川 穣さんによると、これらの土や石は、他2名の作家と共に運営しているアトリエ ギャラリーであるStudio 90の縁の下から採取したものらしい。オープン記念展示ということで、何かこの場所でしかできないインスタレーションを創作したかったと言う。

近年「サイトスペシフィック作品」というと、現代美術の展示に一般的に利用される美術館やアートセンター、ギャラリーなどの、ホワイトキューブと呼ばれる空間とは別の場所を利用し、その空間や、光の入り方、また空間の持つ独特の雰囲気に合わせて自身の作品の展示を変更するというのが多く見受けられるが、彼の場合はそのような作品たちとは一線を画す。彼は空間の中にホワイトキューブに限りなく近い白い空間を作り出すが、マテリアル自体が「サイトスペシフィック」なのだ。彼は、そこで毎日寝起きを繰り返したとしても、普段は目に入ってこない床下の土壌を私たちの目線まで引き上げる。

しかしそれらの土壌は、目線の高さにあるからといって、手に触れられるものではない。少し背伸びをして覗き込むという行為とは真逆の動作、縁の下にしゃがんで頭を傾けて覗き込むときと同じように、手に触れられない存在として残されている。それは日本の産土神に代表されるような、自然の中に神の存在があるという信仰にも結びつくのかもしれないが、ここで私が感じ取ったのは、作家 森川 穣が、これから自身の作品を創作していく場としてこの土地を選んだという決意と意欲、この土地に対する多大なる敬意であった。

それはサイトスペシフィック作品によく見られるような、「場所への挑戦」ではなく、美しい謙虚なまでの「場所とのコラボレーション」であった。


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というわけでですね、なんとなく真面目に書きたくなったのでこういう文体になってしまいました。
2008年の夏に日本に帰ったときに、いろんな美術館での展覧会なんかを見ましたが、私の心にすごく印象的に残ったのはこの展示でした。見たときも「こんなええもんが見れたー!」と普通に嬉しかったのですが、月日が立つにつれてどんどんこの作品の奥深いところが見えてきて、存在が大きくなっていった展示でした。
この森川 穣さんのことは、以前から彼のブログで知っていて(っていうかブログなので本名は存じませんでしたが。)、ブログのタイトルと内容から、私のなかでは「アートホリックの人」というニックネームで呼んでいました。
ブログで彼がイギリスでのアート留学を終えて、京都でアトリエ ギャラリー、studio 90を友人の2名のアーティストさんと始めた、そして夏には彼の作品展示があるということで、車の運転がめちゃくちゃやばい私ですが、実家からそんなに遠くないので行ってきました。
以前からファンなのに、ブログのコメントとかあんまり残すのが苦手な私なので、前もって「行きたいんですけど、、、。」とメールを送ったところ、彼のほうも「底辺日記、検索にひっかかったことあります。」ということで、いざ会うとなんだか気さくに話すことができました。
当日は、一緒にこのスペースを運営している泉 洋平さんもいらっしゃって、楽しくおしゃべりできました。っていうか、頭のいい、しっかりとした若い男性二人と話すのが楽しくて、すっかり長居してしまい、多分うざいおばさんだったと思います。
日本の実家にいたときに弟の友達が家に来て一晩中うだうだしゃべったり、パリで弟と一緒に住んでいたときに、弟とその友達たちとうだうだしゃべったりしたことを思い出しました。そんなふうに、いつまででもそのへんに寝転がって雑誌とかぱらぱらめくりながら、「あれってさー、こうやんなー。」なんてたまに思いついたようにしゃべりたいなーと思わせる空間と時間でございました。まあ彼らにとっては邪魔であること極まりないでしょうが。っていうか、仕事場なのでそんなことは許されません。

ちょっと車がない場合はちょっとアクセスが大変でしょうが、面白い場所なので、機会がある方は是非どうぞ!

このブログをいまでも読んでいただいてるか、わかりませんが、
森川さん、どうもありがとうございました。良い時間を過ごせて楽しかったです。
展覧会が終わったようなので、記事を書いてみました。思ったことを素直に書いたので、あまり作品の主旨と違うことがあるかもしれませんが、そのへんは伝える側と受け取る側の違いということで自由にさせてもらいました。
では、お互いがんばりましょうね。また来年の夏にでも会えればいいですねー!


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10/01 04:16 | 展覧会 | CM:2 | TB:0
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