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2008年12月備忘録
もう日本は「あけましておめでとうございます。」でしょうか。
私はいまからロンドンに行って年越ししてきまーす。ついでにロスコー展とベーコン展とウォーホル展に滑り込みで行ってきます。他にも何が見れるかなー。
今月号のArtForumで現代アート界の10人くらいの人に聞いたベスト10をやっていて、私にとってのベスト10は何かなーと考えていたんですが、アートブログでもそういうことをするのが普通みたいですね。私はやっぱり今年中には間に合いません。年が明けたらゆっくりベスト10について書こうかな、という感じです。でもまあ順番をつけることはかなり難しそうなので、良かった展覧会を10個くらいリストにするっていうぐらいになるでしょう。今年中に書けないのも、順番つけれないのも、いつまでたってもけじめがつけられない私っぽいです。

12月は暇だったのか、「2008年の間にいっぱい見とこう。」と思ったのか、かなりの数の展覧会を見ました。それも美術館の展覧会をたくさん見ましたねー。こないだのマンテーニャ展が興味深かったので、現代アートではないものもいくつか見ました。
来週にパリに帰ってきたら、ジャックマール アンドレ美術館のヴァン ダイク展も見に行きたいし、エミール ノルデ展にも行かないといけません。

ではみなさん良いお年を。来年(もう今年かな)もよろしくお願いします。
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12/31 16:13 | 備忘録 | CM:6 | TB:0
dans la nuit, des images
月曜日の夜に仕事が終わったあと、le Fresnoyというフランスの映像作品を中心とした国立現代アートスタジオが主催する、グランパレで12月18日から31日まで17時から深夜1時まで開催されている、「dans la nuit, des images」展に行ってきました。

ファサードにもさっそく作品。Charles Sandison。
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グランパレに入るときに荷物検査がありますが、なんとなんとこの企画は無料なので、チケットを買う列がない。だから列が長くても、どんどん進むので、並んでもそんなに時間をとりません。

サイトで見てもらってもわかるように、ものすごい数の有名な映像作家の作品が130点展示されています。

グランパレの内廊に入るとこんな感じ。
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130点もの映像作品全てがサウンド付きとは限りませんが、音がすごい。なにがなんだかわかりません。渋谷の交差点みたいにどこからどの音が来るのか、どの映像とどの音がくみあわされているのかよくわからなく感じです。ちょっとゲームセンターみたいでした。



Samuel Beckettの作品。子供たちが入れ替わり立ち替わり、床に映写された人物を追いかけ回していました。


2008年度のJeune Creation展でチェックしていたアーティストさんの一人、Zhenchen Liuの作品も巨大スクリーンで展示されていて、うれしくなりました。
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今年の横浜トリエンナーレにも出展していたFischli&Weissのビデオもありました。私、めっちゃ好きなんですよねー。大人たちがみんな釘付けでした。「Der Lauf Der Dinge」か「Tha Way Things Go」で検索するといっぱいでてきます。ここからどうぞ。



こちらはFabien Giraudの作品。な、なぐりあってるの?と思ったらみんな踊ってた。素敵。


真ん中に高いところからも展示を見ることのできるプラットフォームが設置されています。そこから発見した池田亮二さんの作品。今年はパリで本当に大活躍ですねー。どの現代アーティストよりも見る機会が多いのではないか、と思います。ものすごい音の波に囲まれるこの展覧会ですが、このData.tron(prototype)の「ピ」「ピ」という音はそんな騒音のなかでも抜きんでて聞こえていました。
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この人の作品は本当に美しいです。同じ日本人として鼻が高い!!フランス人たちもびっくり!


Dmitri Makhometの床に映写されたアルファベットが動く作品。
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これも床に映写されていた作品。Paul Kaiser & Shelly Eshkarの作品。


これ好きでした。Sebastian Diaz Moralesの作品。
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これもすごく美しかった。Clorinde Durandの作品。
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他にもBill Viola, Thierry de Mey, Absalon, Dominique Gonzalez-Foerster, Laurent Grasso, Chris Marker, William Klein, William Kentridge, Anri Sala, Christian Marclay, Nam June Paik, Sarkis, Rosemarie trockel, Su-mei Tse なども作品がありました。

ひとつひとつの作品をじっくり見るということはよっぽど忍耐強くて集中力のある人にしかできないでしょうが、はじめに書いたように、渋谷の交差点というかゲームセンターというか、普段は近寄りたくないけどたまに行くと楽しいような気分になれるし、どっちみちどの作品が誰のか、なんていうこともどうでもいい感じの展覧会なので、映像と光と色と音の波にのまれて、とにかく「おー!」と楽しんでおけばいいというようなものです。

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クリスマスなので、今からリヨンに里帰りしてきまーす。電話予約してキロ買いしておいたLa Dureeのマカロンも取りに行ったし、あとは掃除機かけるだけでーす。
今回は4泊5日と長いので、リヨンでは美術館を3つほど行って、日帰りでFirminyのル コルビジェ建築を見に行って、ついでにサンテチエンヌに寄ってそこの美術館を覗いてくる予定です。
ではみなさんもよいクリスマスを!
12/24 17:04 | 展覧会 | CM:3 | TB:0
mimmo jodice + olivier richon + walter pfeiffer
この間書いたクラウディオ パルミジャーニの展示を見に行ったあと、久しぶりに4時間くらいかけてギャラリー巡りをしました。こんなに時間を取っていろんなギャラリーを一気に見たのは本当に久しぶりで、すごく楽しかったんやけれど、途中でギャラリー以外のお店に寄ったりしてしまったのが、いまとなっては悔やまれます。私はウィンドーショッピングに代表されるような、街をただ目的なしにぷらぷらするということが好きではないし、できない性格なので、たまにこうやってぷらぷらするとすぐに「あ!あれを見つけないと!」と大して重要でない目的を見いだして、そっちに流れてしまうのです。特に今の時期、義理の家族にあげるクリスマスプレゼントを考えるのが苦痛で苦痛で、、、、(ちなみにプレゼントをするという行為も苦手なので、クリスマスはほんまに苦しい時期。)。すぐに「おばあちゃんにあげるあれ、これのほうがいいやろか、あれのほうがいいやろか。」と悩んでしまうのです。おばあちゃんはきっと孫が何十人もいるから誰から何をもらったかなんて、どうせ覚えてないやろうけど。特に一嫁でしかない私からのなんて、、、と思いながらも、やるからにはちゃんとしたい。クリスマス嫌い。プレゼントも嫌い。
そんなわけで、もっとギャラリーを回りたかったのに、私の体力の限界よりも早くきた19時でタイムアウト。クリスマスでさえなかったら、倍は見れてたのにー。くやしい。

わーわー言っても、ギャラリーをたくさん回れて満足でしたが、あとで振り返って「好きやな。」と思った展覧会が三つありました。そしてその三つとも写真の展覧会!ということで、あんまりごちゃごちゃ言わずに紹介したいと思います。

まず一つめは、前もって展覧会チェックしてなかったんやけれど、今年から近所に来たら必ず覗くギャラリーの一つになった、Galerie Baumet SultanaのWalter Pfeifferの個展。
普段私は、この手の若者やゲイを撮った写真作品たちがぜんっぜん、好きではないんやけれども、なぜか彼の作品はどれも嫌じゃなかった。っていうか、こういう写真にありがちな「若者!」とか「ちょっと荒れてる時期!」とか「感じやすい時期!」とか「本当は脆い!」とか、そういうのを全面に出してる作品じゃなくて、もっと素直なシンプルな何かがあるなーと思えました。
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私の写真はいけてないので、ギャラリーのサイトから見た方がいいです。
日頃「苦手だ。」と思っているスタイルやテーマの作品を、「あ、好きかも。」と見なすことができたときはとてもうれしくなります。自分が変化していくのが面白いです。



この日のギャラリー巡りは「mimmo jodiceも見にいかなあかんしな。」という気持ちもあってしたのでした。でもこういう心持ちで行くと結構期待はずれやったりすることが多いのですが、Galerie Karsten Greve で開催されているMimmo Jodiceは期待以上に美しかったです。美しいというか、強かった!作品から風がぶわっと吹いて、私の髪の毛がなびきました。
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まるで赤い部屋と白い部屋があるかのような、私のへなちょこ写真。
こちらもartnetのサイトで見た方がいいです。すいません。


そして最後は、こちらもここ何ヶ月か近所に行くとチェックしてるBendana Pinel Art Contemporain
これが5回目の展覧会らしいので、まだ新しいギャラリーみたいです。今まで見た展覧会では、すっきりした作品が多いという印象があります。
開催されているのは、Olivier Richonというロンドン在住のスイス人アーティストの個展。
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一見カレン クノールっぽいですが、あそこまで超現実的ではなく、リアルであるんやけど、なんかおもしろおかしい作品たち。でもそれだけじゃない。静物画のようにぴたっと時間がとまっていて、ライティングのせいでなんだか崇高な絵画のようです。すごく美しい作品たちでした。
この展覧会では写真を撮らなかったので、ここから楽しんでください。


20ほどギャラリー見て、これかー。という感じもしないでもないですが、20しか見ずに3つも好きなものに会えたってのいうのは実は結構稀なんです。この日はラッキーでした。

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ウォルター ファイファー。Mimmo Jodice。オリヴィエ リション。
      
12/24 03:08 | ライブとかコンサートとか | CM:0 | TB:0
Claudio Parmiggiani/クラウディオ パルミジャーニ @College des Bernardins
先週の土曜日に遅いブランチを食べに行ったあと、「おーし、今日は、クリスマスプレゼントの買い出しに街に出て来るフランス人を横目に、久しぶりにマレのギャラリー巡りでもするかー!」と勢い込み、ふと思い出したのが、Claudio Parmiggiani/クラウディオ パルミジャーニの展覧会が左岸でやってるんだったっけか、ということ。大々的には宣伝されていないけれど、アート雑誌や新聞で、何度か見かけることがあったので、手帳にアドレスをメモしていたのでした。さすが私!計画的!

クラウディオ パルミジャーニという1943年生まれのイタリア人アーティストの作品は、何年か前にジュネーヴのMAMCOで「わーすごい好きー!」と思って以来、その詩的な世界にはまりまくっています。彼はアルテ ポーヴェラのアーティストの一人に数え上げられる作家でもあるので、アルテ ポーヴェラ好きの私としては「好きだと思ったら、やっぱり!」と納得。

ポンピドゥーセンターの近くでお昼ご飯を食べたところだったので、展示のある場所まで、ノートルダム寺院の裏側を通って、プラプラ散歩がてら歩いていくことにしました。

ということは、、、たしかいまちょうど途中にあるNew Galerie de Franceでの「Ombres」展にもパルミジャーニの作品があるってどこかで見たなあ、と思い出し、オードブル代わりに立ち寄ってみたり。

毎日のように視界に入ってくるノートルダム寺院も、あんまりその背中を見ることはないし、フランス語がまったく聞こえてこないのにアコーディオンの演奏がパリ満開で、「うわーー!めっちゃパリやーん!」と一人でうきうきしながらシテ島を渡り、静かな左岸のCollege des Bernardinsまで。

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このCollege des Bernardinsは13世紀に建設されたシトー会の建物。ずっと宗教人たちにのみ開かれてきましたが、今年改装工事を終え、これからは一般人も参加できる文化施設として、現代アートの展覧会やコンサート、映画の上映、講演、シンポジウムなどが開催されていきます。ま、でも、もちろん、そういう催しのテーマは宗教的なもの、というか、チラシに書いてあることによると「人間の未来に関係する大きなテーマを深めていくため」のものらしいっす。良い展覧会を無料で見せてくれるなら、私はなんでもいいです。


さてさて、一歩この施設に足を踏みいれると、美しい天井と柱が並ぶ修道院!っていう建物であることは確かなんですが、あまりにも綺麗に改装されすぎていて、趣は思っていたほどありませんでした。
でもいいのだ、私はパルミジャーニの作品を見に来たんだから、、、。

とは言ってられません。
昔の建物+現代アートと聞けば、みなさん、もうお分かりでしょう。最近流行過ぎてて、もうええねん、ベタやねん。と心でつぶやかずにいられない、サイトスペシフィック的インスターレション。

そういうベタ過ぎるっていう意味で、「わーーーお!」と無垢に驚くことはもうありませんが、やっぱりパルミジャーニの作品は良かった。全部で三点のインスタレーションが展示されています。

「Une Mer de Verre Brise」日本語に訳すと、「割れたガラスの海」。
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その右側の壁には「L'Empreinte d'Une Immense Biblitheque」「巨大な本棚の跡」。
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そして上の二つのインスタレーションとは反対側に位置する聖具室を利用した作品、「Une Centaine de Cloches d'Eglises」「教会の100の鐘」。
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いつもなら、一つの作品の写真を載せて、これはあーだこーだ、好きだ嫌いだ、と書く私ですが、今回はまず3つの作品すべてをみてもらったほうが楽しいかなーと思い、こういうふうにしました。
まず、今回の展示を見て、私が感嘆したのは、空間の使い方の妙。
建物っていう空間が、というか空間というものが、それが古かろうが新しかろうが、縦と横と奥行きという3辺でできているキューブだと考えた場合、パルミジャーニはこの3つの作品で、その3辺をすべて網羅しています。ここでは空間はそこにある間じゃなくて、面というか線というのか、の集合したものとして存在しています。

ひとつめのガラスの作品は、私が写真を撮っている、この場所からしか見ることができません。横に通路があるけれど、そこには入れないようになってます。インスタレーションというと、観客自身が作品のなかに入り込んでしまえるようなものが多いですが、これはいろんな角度から周りをぐるぐると見ることができる彫刻でもなくて、まさにその正面性を余儀なくされる絵画のようです。だからこそ絵画の持つ奥行きが生まれ、この13世紀の建物と透明の水色のガラスが重なり合って、非常に美しい遠近画を生み出します。

そしてその横には前に立つことができない、煤で描かれた本棚。水色のガラスのインスタレーションと同様に、この本棚の跡もロープで仕切りがしてあって、作品を横から眺めることしかできません。しかしそのなんだか勿体ぶったこちらとしてはむずがゆいような措置によって、実際には終わりがあるこの本棚の跡が永遠にまっすぐ横に並んでいるような気分になります。

聖具室の地べたに置かれ、その機能を奪われた100以上の鐘。このインスタレーションは、聖具室の高く高く吸い込まれてしまいそうな天井があってからこそ、重みのある作品に成り立っています。これらの鐘よりも、もっと見るべき、感じるべきは、聖具室の天井と鐘の間に拡がる光なのです。


どの作品も、ご覧の通り、静まり返ってしまっています。がやがやとビジターの声が反響するこの建物のなかで、これらの作品と対峙すると、「静けさ」というものが騒音のように重なって重なって、私の耳を貫きました。割られたガラス、煤で描かれた跡だけになってしまった本棚、そしてもう鳴ることのない地べたの鐘。どれも廃墟を思わせると同時に、フランス語の「Briller par son absence/不在によって輝く」という表現が私の頭をよぎりました。この表現は意訳すると「いないから逆に目立つ」というように、一般的には皮肉として使われますが、私はこの表現を初めて聞いたときからすごく美しいと思ったし、好きなんです。
今回のパルミジャーニの展覧会には、この言葉が似合うと思いました。私の頭の中で逐語的に訳されたこの表現が。

ここからビデオや写真が見れます。

2008年11月22日から2009年1月31日まで開催されています。
無料なので、機会がある方は是非どうぞー!


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ま、それにしてもいっつも「フランス人現代アーティストが世界で活躍してない!どういうことやー!」と大騒ぎしてるのに、アメリカ人のクーンズとかベルギー人のヤン ファーブルとか、今回もイタリア人のパルミジャーニやし、大切な展覧会でフランス人アーティストを招待しないのは、自分たちやんねえ。


パルミジャーニのカタログ。右のほうがおすすめかな。ジャン クレールさん編集です。
パルミジャーニがここで展覧会するのには反対してなさそうですね。
 

12/23 02:49 | ライブとかコンサートとか | CM:0 | TB:0
Picasso et les maitres/ピカソと巨匠たち @ Grand Palais/グラン パレ
昨日の夜、仕事が終わった後、Grand Palais/グラン パレで2008年10月8日から2009年2月2日まで開催されている「Picasso et les maitres/ピカソと巨匠たち」展を見に行ってきました。
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配偶者と一緒に行こうと思っていたこの展覧会ですが、あまりの人気に会期中のチケットの前予約が完売している状態で、グランパレで人気のある展覧会に前売りチケット無しで強行するのはあまりにも無茶なので、一人で勝手に行ってきました。私にはMaison des Artistesから発行される脅威のミラクルカードがあるので、国立や市立の美術館なら、どんなに列ができてようがまるでVIPのお客さんかのように、スイスイーッと優先で無料で入れるのです。真冬にグランパレの展覧会に行く場合は、必ず前もってチケットを買っておいたほうがいいです。じゃないとものすごい寒いところで何時間も待たされます。3時間とかあり得るので、よっぽど時間が有り余って困ってる人以外には、ものすごい時間の無駄ですし、健康にも悪いです。一度列に並んだことがありますが、一時間ほどであきらめて呑みにいきました。あれはたしか配偶者との初デートでした。で、それからすんごい呑んだくれたんでした。あのとき既に「前もってチケットとっときや。」と伝えておいたのに、それをしなかったんですね。いまなら多分めっちゃ怒ったでしょうが、そのときはさすがに初デートだったので、「だからあんなに言ったのに。」とはちゃんと聞こえるようにつぶやきましたが、さすがに怒れませんでしたねー。懐かしいなあ。

と、こんなことはどうでもいいんです。

ということで、こんなに人気の展覧会。人気がありすぎて、前売りチケットも完売。そして毎日夜の22時まで開館しているという盛況っぷり。
私は月曜日の夜というできるだけ人が少ないであろう時間帯を狙って行ったわけですが、それでも人人人。そうですねー。普段のルーブル美術館のイタリア絵画とかフランス絵画のセクションくらい人がいました。(わかりにくい例えですいません。)

しかしそんな人だかりのなか、ビジターはみんな5ユーロ払って借りるオーディオガイドの操作に必死なのと、セクションごとに壁に貼られた説明文を読むのに必死なので、実際作品を本当に見てる人は何気に少ないのです。だから各絵画の前がぽっかり空いてる。距離を取って作品を見ることは障害物無しには難しいですが、近くによって見ることは全然できます。

一般の人気とは裏腹に、実は「全然良くない!」とかなり批判されているこの展覧会。
私はグランパレに行くために乗ったメトロの中で、2008年の展覧会ベスト10を考えてたんですが、この
展覧会を見て、ベスト10を選ぶよりも先にワースト1が見つかってしまった、と思ったのでした。

一言で言ってしまうと(気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、最近私の中で「一言で言ってしまう」という行為が流行ってるんです。すいません。)、これは展覧会ではありません。これは絵画を並べて掛けただけですね。

一応この展覧会(!?)の主旨はと言うと、ピカソが彼以前の巨匠と呼ばれる偉大なアーティストたちの影響をどのように受けて自分の作品制作に活かしたか、というのを見せることです。

この主旨は一見面白そうに思いますが、展覧会自体は本当にしょうもなかったです。例えば「自画像」とか「静物画」とか「裸体画」とか「バーの女」とか、いわゆる近代絵画史のなかでよく使われた主題を描いた「巨匠たち」の作品と、それらの主題を描いたピカソの作品が、横に並べてあるだけ。そこには何の感動もないし、何の研究の結果も見えてこないのです。

私が覚えてるだけでも、プッサン、ティッツィアーノ、レンブラント、ゴヤ、リベラ、シャルダン、アングル、ドラクロワ、クールベ、ヴェラスケス、エル グレコ、マネ、ゴーギャン、ドガ、ロートレック、セザンヌ、ルノワール、ゴッホの作品などがありました。そしてもちろんピカソの作品も合わせて、合計210点近くも展示されています。これはすごいことですね。一体どれだけのお金がかかってるんでしょうか。このただの絵画の並べ掛けに。
もっと少ない厳選された絵画数枚で、奥深い展示ができそうなものなのに。

これ別にピカソじゃなくても、趣味で絵画をやってる人の作品を巨匠たちの作品と並べて展示しても一緒じゃないのん?と言う感じ。

批判の中によくある「ピカソが巨匠たちのレベルにない。」っていう意見には私は反対です。ピカソの作品は一点一点本当に素晴らしいですし、巨匠たちの作品は、本当に息をのむほど美しいんです。
でもそれは作品が並んでるだけで、展覧会というレベルには至ってないと思うのです。
パリだから、別にルーブル美術館やオルセー美術館の常設展に行けば、もっといろんなものが見れますし、もっと自由ないろんな発見ができます。もちろんロンドンのナショナルギャラリーから多くの作品が貸し出されてるので、そういう普段パリで見れない作品が見れるっていう利点はあるでしょう。でもそれなら3時間も列を作って寒い中待って、これを見る人たちはどうなるんでしょう?ユーロスターでロンドンに行ったほうが早く見れるような、、、、、。

他には、ピカソが若いときに描いたトルソや胸像のデッサンも展示されてるんですが、そのデッサンで描かれているのと同じ、古代のトルソや胸像の石膏モデルが、展示室の真ん中にどどーんと置いてあったり。ほんまに必要ないです。そのかわりにベンチ置けばいいのに。

何故だ。この展覧会を企画したのはパリの国立ピカソ美術館のディレクター、Anne Baldassariです。最もピカソのことを知っている学者さんたちの一人である彼女がどうして、こんな展覧会をしちゃったんでしょうか。現在ピカソ美術館は改装工事のため、多額の修理費が必要なので、いろんな国(日本でもピカソ展行ってるはずです)に展覧会という形で作品を貸し出しまくって、お金を稼ぐのに必死なんです。それで急ぎすぎたのんでしょうか。


「Picasso et les maitres/ピカソと巨匠たち」展の一環として、ルーブル美術館とオルセー美術館でもピカソと巨匠一人の展示が行われています。ルーブル美術館ではドラクロワの「les Femmes d'Alger」とピカソ、そしてオルセー美術館ではマネの「Dejeuner sur herbe/草上の昼食」とこの作品のピカソのコピーの展覧会です。こないだオルセーのは見に行きましたが、5分もしないうちに、マネの草上の昼食でピカソがマスターベーションしてるのを学芸員が寄せ集めただけじゃないか、これは展覧会じゃない!って腹が立ちましたが、今回も似たようなもんでした。


一体いくらか具体的には知らないけれど、多分10ユーロくらいする入場料を払い、オーディオガイドの5ユーロも払って、これ?


私よりも前にこの展覧会を見に行った人たちが口を合わせて「よくない。何がしたいんかわからん。」と言ってましたが、自分の目で見るまでは!と思い、勇んで行ってきましたが、全く同感でした。
グランパレに到着したときには「2時間あるか、ないかかー。全部ちゃんと見れるかな。」と思ってたのに、結局30分足らずで出て来る羽目になりました。


最近、いちいち記事が長いですね。私、暇なんでしょうかね。

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12/17 01:57 | 展覧会 | CM:2 | TB:0
Jeff Koons Versailles /ジェフ クーンズ ヴェルサイユ
先々週の週末になるでしょうか、やっとこさ、ヴェルサイユ宮殿で開催されている「Jeff Koons Versailles /ジェフ クーンズ ヴェルサイユ」展を見に行ってきました。
賛否両論の激しい議論が渦巻いているこの展覧会。日曜日なので、普段から多い観光客+クーンズを見に来るパリジャンたちの数を考慮して、できるだけ早めに(といっても遅めの午前中にしか起きられなかったけど)行ってきました。

驚いたのは、こんなにクーンズ クーンズ ヴェルサイユ ヴェルサイユとみんなが大騒ぎしてるのに、当の会場であるヴェルサイユ宮殿にいざ到着してみると、クーンズ展のポスターも何もない。いつも通りのヴェルサイユ宮殿なんです。これは何も知らずにただパリに来たからヴェルサイユ宮殿観光しようとやってきた観光客にとってみると、クーンズの作品がどどーんとそこら中の部屋にあるんだから「なんじゃこりゃ。」状態でしょう。ポスターがそこら中に貼ってあったり、ヴェルサイユ駅についた途端クーンズ祭りだったら、まあそれなりに心の準備ができるというか、「あ、なんか現代アートの展覧会もやってるのかね?」くらいの知識を備えたうえでヴェルサイユに出陣していけると思いますが。そりゃあ観光客からブーイングが多いわけだ、この展覧会。

さてさて、Jeff Koons/ジェフ クーンズとは、1955年生まれのアメリカ人アーティスト。
Balloon Flower (Magenta)が2008年6月30日に行われたクリスティーズ ロンドンでのオークションで£12,921,250で売れて、いまのとこ生きてるアーティストの中では、オークションで最も高値がついた人です。

彼はアーティストっていうより、アートという商品を扱うビジネスマンなので(実際アートを始めるまではウォールストリートでトレーダーをやってたらしい。)、「アーティスト」と聞いて私たちが頭に浮かべるような、自分の手で作品を作っていくっていうよりも、「ジェフ クーンズ」というブランドの商品を開発して戦略を立て、工場で作るっていうほうが合ってます。青年実業家みたいなもんです。

ジェフ クーンズのアートを一言で表す場合、最もよく使われるのが、「キッチュ」という言葉。というよりも、「クーンズ」と言えば「キッチュ」、「キッチュ」と言えば「クーンズ」みたいな関係ができあがってしまっています。私は彼のアートを表現するとき、キッチュだけで終わらせたくないと思います。っていうか、キッチュじゃなくない?っていうか、キッチュってなんだ?わかっているように思えて普段から使っている言葉ですが、なんかもうよくわからなくなります。「クーンズ」は「キッチュ」かね?キッチュじゃないよね?

もうひとつ、このヴェルサイユでのクーンズ展を彩る言葉として、連発されているのが「バロック」。ヴェルサイユもバロック、クーンズもバロック。上のクーンズもキッチュ、ヴェルサイユもキッチュ。っていうのと同じ法則です。でも「クーンズ」は「バロック」じゃないよね?バロックかね?ぜんぜんバロックじゃなくない?
もうわからん。

私はどうしてもやっぱり、ヴェルサイユのクーンズ展が、この「キッチュ」と「バロック」というたった二つの言葉におさめられてしまうことに納得がいかない。だってもっと何かあると思うんです、この展覧会。っていうかバロックじゃないよね、クーンズ(いい加減しつこい。)。


フランス語のウィキペディアのジェフ クーンズの説明がなかなかうまいことまとめてありました。
「ジェフ クーンズのアートはいくつかのコンセプトが重なり合ったところにあると言える。それはマルセル デュシャンのレディーメイド、クラエス オルデンバーグの極端に大きくされた日常生活のオブジェ、そしてアンディー ウォーホルのメディアにおけるカリスマ性だ。」


世の中には、ジェフ クーンズが大好きな人か大嫌いな人の二種類しか存在しないように感じることがしばしばですが、私はジェフ クーンズのような存在のアーティストに嫌悪感を対して持っていません。村上 隆でもそうだし、ダミアン ハーストにしてもそう。ピカソやダリやウォーホルがそうであったように、アーティストでもその時代の求めているものを、というより、時代が求めていくものを創りだすっていうのも立派な創作であると思っています。別に作品を生涯に一点しか売らなかったらゴッホが他のアーティストよる優れているわけではないでしょう。彼は私たちにとっては優れているけれども、その時代はそうではなかった。ただそれだけでしょう。もしかしたら百年後には「20世紀後半、ゴッホは彼の作品の実際の価値よりも過大評価されていた。」なんて、美術史の学生は習っているかもしれません。一般的に言われるアート作品の「良い」「悪い」なんて、結局はそれぞれの時代の評価でしかないと思うのです。


いろんなサイトや掲示板で議論が巻き起こってるこの展覧会ですが、結局いまのとこ50万人以上は来場していて、やはりその関心はかなり高いものです。こんな展覧会っていうのは、もう好きや嫌いの話ではなく、良いや悪いの話でもなく、ひとつの「クーンズ現象」みたいなものが起こっているとしか言いようがありません。
私はジェフ クーンズの作品が好きなわけでもなんでもありません。嫌いでもありません。どちらかというと無関心。一番興味がないパターンでしょう。
でもこのヴェルサイユのクーンズを見て、それについて友達と話したり、はたまたこのブログに書いたりすることで、それが絶賛であろうと、批判であろうと、つぶやきであろうと、文句であろうと、どんなかたちであってもこの「ヴェルサイユ クーンズ現象」と現在のアート界を中心に起こっている「ジェフ クーンズ伝説」に栄養を与えているという行為であることは否めないでしょう。
アイドルであろうが新商品であろうがそうですが、ファンでもアンチでも無関心でもどんなにほんの少しでもその名前を口にすることで、現象をより拡大させているのと同じです。

そういう意味で、この展覧会は本当に面白いと思いました。作品とかアーティストとかもうそういう問題ではなく、あるひとつの展覧会として、ヴェルサイユと言う場所で、世界で最も影響力のあるコレクターたちの力を駆使し、賛否両論メディアを巻き込み、フランス政府が億万長者たちと手を取り合って完成された、これはもうひとつの作品です。馬鹿げてるとか少しでも思い始めたら、もう負けです。どんなにそんなことに気づいていても、この展覧会に行って気づかないふりをして、「わー!」と言いながら一緒に踊り続けるしかないんです。そのほうがずっと楽しいです。それは例えばディズニーランドに行って、お金で埋め尽くされたキンキラキンのパステルカラーに包まれた、一日だけの限られた夢の世界で「わー!」と言いながら踊るのと同じです。(これは批判ではありません。私ディズニーランド好きですから。)パリという世界で最も観光客の多い街に来て、「日本人だらけや。」とか「観光客ばっかりやね。」と少しがっかりしてる日本人観光客がたまにいますが、そういう言動はどう考えてもナンセンスです。それと同じです。観光地に行けば写真撮りまくったりして観光客らしく思いっきり楽しむ。ディズニーランドに行けば、にわかディズニーファンになって思いっきり楽しむ。クーンズを見にヴェルサイユに来たのなら、ヴェルサイユのクーンズだ!!と思いっきり楽しむ。それしかないです。

この展覧会に行く前から、そうしなければいけないんじゃないか、いやそうしたほうがいいんじゃないか、と思っていたので、心の準備はある程度できていました。
しかしそれだけではなく、冷静に見ても、結構面白い展覧会やったのです。そして何よりも驚いた(ごめん!)のが、彼の作品が非常に美しかったこと。「わー!クーンズ!」とアイドルを見て喜ぶ前に、作品を見つけると「わー!きれーーー!」と先に思っていたことは予測不可能でした。


では写真で作品紹介いってみましょー!


はいでたー!早速めちゃくちゃ美しい。これはいままで写真でしか見たことがなく、実際に目の前にしてその美しさに卒倒しそうでした。ここですでに「クーンズ、やりおる。」 la Cour Royal/中庭の「Balloon Flower」。オークションでの最高値を出したと上に書きましたが、その作品はこれのマジェンタバージョンでした。三方を囲む宮殿のファサードが映ってそりゃもう、きれいでしたよ。
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ちなみに作品は、広大なヴェルサイユ宮殿の中でも、Le Grand Appartement du Roi/王のアパートメントという7つの間で並列に構成されている空間と、4つの間を持つL'Appartement de la Reine/王妃のアパートメント、そしてヴェルサイユと言えばここ!な鏡の間が、展示室として利用されています。


室内の最初の作品は、Salon d'Hercule/ヘラクレスの間の「Balloon Dog」。
これも有名ですねー。
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写真撮りまくりです。もうどこから見ても完璧。上のフラワーバルーンもそうですが、実はこれ、風船ではなくイノックススチールでできてます。ステンレスね。こんなに軽い感じで仕上がるんですねー。すごい。鼻の部分は風船の口になってます。
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お次ぎは写真がいけてないけど、もう彫刻史の一ページとなってしまったRabbit。Salon de l'Abondanceでの展示。プレキシガラスのケースに入ってるので、写真がうまくとれませんでした。
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でたー!マイケルと猿!Salon de Venus/ビーナスの間の「Mickael Jackson & Bubbles」。これずっと本物見たかったんやけど、いざ目の前にあると本当に大したことなかったです。展示ケースの中に入っていたから、オーラ半減やったのかもしれません。
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Salon de Diane/ディアーヌの間の「Ushering in Banality 」。天使が豚を押してます。
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ジェフ クーンズ ヴェルサイユ展の宣伝に、上記のウサギと共に最も多く登場してると思われるSalon de Mars/マルスの間の「Lobster」
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もっと巨大なのかと思ってましたが、プールや海で遊ぶ道具の実物大くらいでした。たしかこの作品を模したロブスターが、オープニングパーティーで振る舞われたんじゃなかったっけ。

と、ふと窓の外を見ると、、、
こ、これはどう見ても現代アートっぽい!美しい!
と思ったら修復中のファサードの足場でした。
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でもこれすごくきれいだった。


クーンズ、こんなのもしてたんだーという、Salon de Mercure/メルキュールの間の「Louis XIV」。このサイトによると、ここにルイ14世の遺体が一週間保管されてたというから、それでこの作品を展示してあるのでしょうか。
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お次ぎはSalon d'Apollon/アポロンの間の「Self-Portrait」。
まあ一つの部屋に一作品というコンセプトですから、ここに置いたんでしょうが、クーンズの展覧会が終わって出口へ進むときに大回廊があって、そこにフランスの歴史的人物の彫刻がどわーっと並べてあるところがあるんですね。そこに紛れ込んでたら、偉そうすぎて、もっと怒られたかもしれません。どちらにしてもここは玉座の間らしいので、大概偉そうです。
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鏡の間へ入る前にあるSalon de la Guerre/戦争の間。「Bear and Policeman 」という作品が展示されています。この作品、結構好きです。熊というイノセントな感じのかわいらしい動物(ほんまはめっちゃ怖いけど)が、厳しいはずの警官と仲良くしてるように見せてたぶらかしてるような。警官の無垢な表情がなんとも言えません。
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鏡の間の「Moon 」きました。これがもうほんまにきれいでした。遠くから見ると、アニッシュ カプーアの作品みたいに凹んでるのかと思いきや、バルーン。
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これもイノックススチールですが、見てください、この軽い仕上がり。ま、イノックスって軽いんですよね、たしか。
アンチ クーンズの人に怒られそうですが、私はこんなに鏡の間が美しいと思ったのは、これが初めてでした。


鏡の間を抜けるとSalon de la Paix/平和の間。「Pink Panther」が展示されてます。
戦争の間では人間の男性と熊の絡みでしたが、こちらは女女した女性とピンクパンサーの絡み。鏡の間を中心に置いて、前期の王のアパルトマンとこれから紹介する王妃のアパルトマンがあるわけです。そういうのもあって、この男と女が動物と絡んでる彫刻の展示なんでしょうかね。先ほどの熊という動物にだまされてる感じの警官とは逆に、こちらは女の武器を駆使して生きてるような女性にピンクパンサーが情けない顔して抱きついてます。
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Salon de Nobles/貴人の間の「Jim Beam - J.B. Turner Train」。
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Chambre de la Reine/王妃の寝室の「Large vase of floxers」。写真ではベッドなんかが写ってませんが、とにかくお花だらけの部屋です。こんな部屋で寝れません。王妃は大変ですね。
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Antichambre du Grand Couvertの「New Hoover Convertibles Green, Green, Red, New Hoover Deluxe Shampoo Polichers, New Shelton Wet/Dry 5-Gallon, Displaced Tripledecker 」。マリーアントワネットやら、歴代の王妃の肖像の前に、掃除機どーん!
この掃除機シリーズの作品、5月にニューヨークに行ったときにパーティーがあったあるコレクターさんの居間にもありました。いわゆるニューヨークのロフトのお宅だったんですが、エレベーターの扉が開いて、コートを預け、2、3歩歩いたらこれが目に入ったので、「うわ!」ってベタに驚いてしまったのを覚えてます。家に飾ってあるだけでも3点のクーンズの作品がありましたねー。あの人たちはなんなんでしょうね。掃除機の使い方も知らないんでしょう。きっと。
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Salle des Gardes/衛兵の間の「Chainlink Fence」。
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そして最後に、王妃の階段の「Hanging Heart」。
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やっと終わりましたー。


「Split-Rocker」はヴェルサイユ宮殿の庭園に設置されているようですが、その日は本当にものすごく寒くて、外に出て、だだっ広い庭を歩くなんて、想像するだけでも恐ろしかったので、ひとかけらの葛藤もないまま、見ずに帰ってきました。
というわけで、この作品は、あたたかい自分の家でここから楽しませてもらいました。

この公式サイトからは、オーディオガイドがダウンロードできるようになっています。結構楽しめました。

別に私はこの展覧会を両手を挙げてジェフ クーンズ万歳!って喜んで見たわけではありませんが、どの批判にしても、ジェフ クーンズがどうのこうの、というよりもジェフ クーンズという「自分の手を絵の具や石膏まみれにせずに」、「すんごいお金を稼いでいる」、「アメリカ人アーティスト」が、我らがフランスの栄光「ヴェルサイユ宮殿」で、これまた「すんごいお金を稼いでいるコレクターたち」がお金を出してやるってことが許せない、という非常に人間的な批判であることは確かです。アートとお金が密着しすぎていることを上手に隠してくれればこっちも何も言わないのに、そんなにわかりやすく見せられるとやっぱり素直になれないじゃないか、という感じを強く受けます。

でもさ、ヴェルサイユ宮殿って王様やお姫様が住んで、お金を湯水のように使ってばかばかしい行事を繰り返してたところでしょう。それも税金で。それを何、いまさら「フランスの栄光」とか言ってるの?と思います。あなたたちが批判してる「ジェフ クーンズ ヴェルサイユ」の展覧会も似たようなものにしか思えないのは私だけでしょうか。ヴェルサイユは今現在もメンテナンスにめちゃくちゃお金がかかっているだろうし、もっと人を呼ぶためにこういう行事があってもいいじゃないか、と外国人の私は思います。フランス人ってうまいことTPOに分けて、王制の象徴百合の紋章どーん!「ヴェルサイユ」と、革命の象徴トリコロールどーん!「バスチーユ」を使い分けるところが、すごく嫌いです。

ということでまとめてしまいますが、この展覧会はある一人のアーティストの作品を見に行く機会ではなく、こういうアートを巡るお金のまわり方とか、なんかみんながびっくりすることをして思い出に残すという近年のアートのあり方とか、そういうのを見るっていう機会だな、と思います。あんまりそれに入り込んでしまうと抜け出れなくなるような気がしなくもないので、危険と言えば危険なんでしょうか。


クーンズ展と同じ日に見に行こうとずっと前から思っていた、ヴェルサイユ宮殿の横の建築学校で行われている川俣 正の展覧会。学校やから日曜日は閉館でしたー!私としたことが、、、、!こういうミスは侵さないはずなのに!!
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ま、どちらにしても非常に評判の良かったファサードを利用してのインスタレーションは、もう撤去されていて、室内の展示は多分この窓ガラスから見えるところだけのように思うので、まあいいとします。

帰りに駅前のお土産物やさんの前にあった、コインを入れたら動く馬。日本でよくスーパーの前にあるようなやつです。
見た瞬間「クーンズここにもあるでー!」とはしゃいでしまった。
まんまですよね。これがヴェルサイユのどっかの部屋にあれば、ばっちりクーンズです。
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この展覧会のカタログ。


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12/16 05:41 | 展覧会 | CM:7 | TB:0
首切り 2
経済不況の影響がどんどんでてきているアート界。この間の首切りに関する記事の第二弾。
こんなことを書いてなんだか楽しんでいるように思われるかもしれませんが、実は相当びびってます。
だって明日は我が身かもしれない話ですから。毎日のようにラジオで聞く「○○社が○百人の雇用をカット。」なんていうのよりも、ずっとずっと近くて背筋がぞーっとします。

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この前の記事を書いたときには噂では「みんな知ってる」レベルだったけれど公式には発表されてなかったようなので書きませんでしたが、首切りの魔の手はパリにまで及んできているようです。

このブログでもたまに紹介する、村上隆やカイカイキキのアーティストを抱えるギャラリー エマニュエル ペロタン(たしかいまちょうどMr.の個展をやってるはずです)、パリとマイアミの二つの都市にギャラリーを持っていますが、来年の1月にはマイアミのほうを閉めるようです。今のところは一年だけ閉めます、という発表がされているけれど、本当かな?っつうかなんで一年だけ休業するんだ。結婚しはったとこやしか?とかまあしょうもないことばっかり考えてしまう私です。マイアミ閉めたり、パリのほうのギャラリーのアシスタントも何人か解雇したようだし、「ペロタンやばいのか!」と思いきや、パリのほうのギャラリー面積が300平米増えるんだとか。不景気とか関係なくパリの家賃はすごく高いから、300平米増やすことができるっていうのはすごいことだなーと思い返してみたり。

お次はパリ、ニューヨークにギャラリーを持ち、そしてここ何ヶ月か前にロンドンにもギャラリーを出したイヴォン ランベール ギャラリー。そこらじゅうのメディアでかなり前からロンドンにギャラリーを出すっていうのを宣伝しまくっていたわけですが、やっとオープンとなったらこの恐慌。ついこの前までは「いつ開くんや?」とみんな言ってたけど、最近は「いつ閉まるんやろう?」にシフトしてしまいました。パリのイヴォン ランベールを経済的理由で解雇になったアシスタントさんたちが、他のギャラリーに対して就職活動をしているので、ちょっとばればれ(私もメールで履歴書受け取ったんですけど、解雇理由のきっちり書かれた推薦状を添付されても、、、という感じでした。)


ギャラリーではないけれど、この間も記事にしたダミアン ハーストのアトリエ(っていうか工場?会社?)でも、半数の雇用者が解雇。でもまあこないだのサザビーズでのオークションを目標に多分いつも以上に人を雇って働かせていただろうし、この恐慌を利用していまのうちに解雇しておこう、みたいなところが皆無ではないんではないかな、などと根拠の全くない想像をしてみる私です。


もう一つ、解雇ではないけれど、「世界一のギャラリスト」と呼ばれるラリー ガゴジアンが、不況を受けて雇用者に言い渡したお言葉。

「一日18時間働け。」

この人はもうどこ出身なのかわからないくらい世界中のいろんなところにギャラリーを持っているし、雇用者とか一体何人いるのかも考えたくないです。多分運転手さんとか自家用ジェットのパイロットさんとかも数えないといけなさそうだし。

彼の「18時間」ってのはわかる。しかーし、人生になくても生きていけるもののなかでも、「アート」という結構究極の存在である商品を扱っている場合、すごく難しいのは、このご時世でコレクターもいまそんなアート買ってる場合じゃないってことです。18時間働いてコレクターに連絡取りまくったりしても、コレクターたちは、自分たちのお金が消えていかないように走り回ったりするのに忙しいわけです。でもそれならまだ全然いい。それこそ中には、たったいま、何十人、何百人を首にしてきたところかもしれない。そんなとこで連絡とって「アートが」とか「素晴らしい作品が」とか言ったって、本当に空気読めないっていうか、現実世界からものすごく遠いところで生きてるちょっとアホな人みたいになるのが痛いところ。

でもまあきっとガゴジアンなんかで働いているディーラーさんたちは、すんごいテクニックを身につけているんでしょうね。


うちのギャラリーにもしょぼいですが、「タクシーに乗りすぎないように。メトロ乗りなさい、メトロ。」というお達しが出ました。
倹約しなきゃということで、ざらざらの肌触りで嫌ですが一番安いトイレットペーパーを買って、ネスプレッソのコーヒーも一日一杯しか飲みません。それを言うとみんな褒めてくれました。
最近そういうのがギャラリーで流行っててかなり面白いです。
「トイレットペーパー、一回20センチな!」とか。
笑える環境で良かったー!


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12/12 03:10 | アート界関連ニュース | CM:2 | TB:0
Christian Bonnefoi/クリスチャン ボンヌフォワ 「L'apparition du visible」

水曜日に仕事が終わったあと、晩ご飯の用意ももうできているし、バドミントンまで2時間やることないなーということで、ポンピドゥーセンターで一時間ほど有意義な時間つぶしをすることにしました。
ポンピドゥーセンターのEspace 315でやってるダミアン オルテガの展覧会の作品について、友達と前日話したところだったので、それをとりあえず見ました。前もって話をしてなかったら良い展示やったのかねーと思いますが、もうすでに作品の写真を見ていて、話もしていたので、「ほーこれか。」というだけの感想。
で、あともうひとつ何か見れるなーと思い、選んだのはChristian Bonnefoi/クリスチャン ボンヌフォワの「L'apparition du visible」展。ポンピドゥーセンターの国立近代美術館の常設展の一部を利用したCabinet de graphiqueでの展覧会はいつも私の好きなものが多いので、期待大で行ったんですが、これが期待を上回るとても素晴らしい展覧会でした。


何がそんなに素晴らしかったかというと、「久しぶりに絵画の展覧会見たー!」と思ったからです。

近年、絵画よりも彫刻やインスタレーション、写真やビデオなどの絵画以外の表現媒体が重んじられる「絵画は終わった」的風潮が少し過ぎ去り、具象画のアーティストが結構出てきていますが、ボンヌフォワはもうどこまでも、絵画における主題をそこに描かれるイメージではなく、「タブロー」として追求してきた人。気持ちがいいくらい、流行とか無視して自分の突き進むべき絵画道をひたすら歩んできたアーティストです。

展覧会の説明から、彼の言葉を引用すると
「Peindre. Diviser. Organiser des rencontres (perpendiculairement, obliquement, transversalement, horizontalement) entre des textures, des directions, des materiaux, des gestes, des couleurs. Construire un lieu qui ne serait que peinture.」
「絵を描くこと。分割すること。構成と方向と素材とジェスチャアと色彩の出会いを生み出すこと(垂直に、斜めに、横に、水平に)。絵画でしかない場所を作り上げること。」
(訳が変でいつもすいません。)
展覧会で展示されている作品たちと、この言葉があまりにぴったり合っていて、言葉だけ達者で作品がついていっていなかったり、また逆に作品は素晴らしいのに言葉があまりにも足りなかったりするアーティストが多い中で、ここまできっちり自分のアートのことを簡潔に言えて、作品の前に立つと「まさにその通り!」と思えるアーティストさんってなかなかいないと思うんです。逆も然り。この言葉を作品を見たあとに読むと「まさにその通り!」って思える。本当の意味で頭が良くて研究としてきちんとアートをしているアーティストさん。(いつもえらそうですいません。)

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展覧会は彼の回顧展なので、1970年代の作品から2008年の作品まで、大きなシリーズごとに展示されており、彼のアートの変遷や発展が非常によくわかりやすくなっています。よくあるありえへんくらい長ったらしい、壁に書かれた説明文も皆無。本当の意味でインテリジェントな展示。こういうのってめちゃくちゃ難しいのにすごい。(ちなみにこのCabinet de graphiqueというスペースの展示では壁の説明がゼロ、もしくは非常に簡潔だけれど能率的な短い文章があるかです。でもいつも展示の仕方でいろんなことが勝手に学べたり理解できたり感動できたりなっています。そういう意味でもここでの展覧会が好きです。)最初の簡単な説明以外は各展示室に番号が振ってあって、その順番に見ていくと、古いシリーズから最新のものまで年代別に流れるように見ることができます。

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ボンヌフォワは主に絵画に用いられる木枠と、薄葉紙、薄地モスリンのカンバスを用いて「絵画」を作り上げます。「絵画」というと「絵を描く」という行為をすぐに思い浮かべますが、彼の「絵画」の創作にはコラージュという行為が大きな位置を占めます。絵画では描かれたイメージを見せるためにしか存在しない木枠を、これらの裏側が透けて見える素材を用いることで、絵画の立派なエレメントのひとつとして扱うなど、彼にとって絵画とはそのものを構成する素材と色、そしてその構成をつくりあげるジェスチャアの集大成なのです(でしかないのです)。まさに近代絵画史の延長線上にいる人。

私が面白かったのは、彼の作品を見ているときに、瞬間的にピカソのゲルニカが浮かんだり、クリムトが浮かんだり、フェルナン レジェーが浮かんだりしたこと。全然似ているわけでもないのに、なんででしょう?色や画面の構成かな。

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私の働くギャラリーにも彼の作品がありましたが、展示の仕方がいまいちだったのか、この展覧会で感動したようなほどの印象を持っていませんでした。それもこれもこの展覧会の力ですねー。


いやー、本当にこんなに気持ちのいい展覧会を見たのは久しぶりでした。
どうもごちそうさまでした。

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この展覧会のカタログ


このカタログに目を通しているところ。

12/06 01:52 | 展覧会 | CM:5 | TB:0
2008年11月備忘録
もう今年もあと一ヶ月かー。と思いながらも9月からもうすっごく長い時間が過ぎたように感じるので、え、まだ3ヶ月しかたってへんの?という思いも。まあ私はいつも短い期間でもとても長く感じる人なのです。
11月は、久しぶりに見た現代アート以外の展覧会であるマンテーニャ展が面白く、というか、展覧会自体よりも、現代アート以外のものを見るということが面白く、いつもなら「もっと見にいかななー。」となるのに、逆に「もっと見に行きたい!」と思いました。特にいまオルセーでやってる仮面の展覧会は評判もいいので、早いうちに行きたいです。あと市立近代美術館のデュフィー展も興味なかったけど、見ときたいと思えるようになりました。ギャラリーを巡ることが全くなかったので、ギャラリーでの展覧会が見れていない月となりました。バランスよくいいものを見るって難しいですね。

では興味のある人はリストどうぞー。
12/04 02:45 | 備忘録 | CM:0 | TB:1
「Hunger/ハンガー」 Steve McQueen/スティーヴ マックイーン
昨日がんばって書いた長文のブログが消えました。ブログの調子が悪く、消えそうやなーと思ったのでワードにもコピーしたのにその文書を保存せずにいて、ワードが止まってしまい強制終了するはめに。済んでしまったことをわーわー言ってもしょうがない。気を取り直してもっかい書きます。


イギリス人現代アーティスト、Steve McQueen/スティーヴ マックイーンが初めて製作した映画、「Hunger/ハンガー」 を見に行きました。
この映画は、マックイーンの最初の映画にして、今年のカンヌ映画祭のCamera d'Or/カメラドールを授与しました。
現代アートの世界にいる私の周りでこの映画の話をするのは普通だけれど、それ以外の映画ファンの間でもかなり話題になっていたこの映画。
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北アイルランドの独立のために闘うIRAのメンバーが、刑務所での政治犯としての扱いを求めるために行った、衛生を無視したストライキ(自分の便尿を部屋の壁に塗り付けたり、食べ物をわざと室内で腐らせたり、入浴を拒んだりすることです)と、それに続いて1981年に決行され、10人の死者を出したハンガーストライキを扱った映画です。

この映画の一番の見所はずばり映像でしょう。息が止まるほど、というとおおげさですが、全てのシーンがとてつもなく美しい。刑務所員が朝ご飯を食べているときに膝に置いたナプキンの上に落ちるパンくず。刑務所の外壁にもたれタバコを吸っている所員の黒いズボンをバックにはらはらと降る粉雪。便尿で壁に描かれた円を圧力の強いホースで洗うときにあらわれる真っ白の壁。収容者たちが一斉に廊下に向かって流す尿が合わさって大きくなる流れ。機動隊員の列に投げ出される収容者の裸がこん棒でめった打ちにされ赤く染まっていく皮膚。ハンガーストライキで死を迎える直前のやせ細った膿だらけの体。全てが美しい。

しかしそれらの美しさがこの映画を薄っぺらくしていると言えるかもしれません。奥深さがないのです。映画を見た後そこから拡がっていくものがない。

この映画で扱われている話は非常に重い歴史の一部ですが、それがここでは「ある出来事」としてしか見ることができません。それは登場人物たちの描き方にあると思います。実際に起こったことを元に映画が成り立っているので、人物像が最も人間らしく描かれてしかるべきなのに、それがない。もちろん、「ここで人間味を出したかったんだろうな。」というシーンはあります。でもそれがステレオタイプな「人間味」、「彼らも私たちと同じなんだ。」と観客に思わせたいのがバレバレの型にはまった描き方でしかない。
例えば、刑務所では収容者たちを血まみれになるまで殴る所員も、家があり、妻の作る朝ご飯を食べ、車に乗って出勤する(車に乗る前に爆弾が仕掛けられていないかチェックする作業なんかはありますが)。休日には、普段殴っているその手で花束を持ち、老人ホームにいる母親を見舞う。わかりやすすぎる「人間味」。刑務所に収容者たちの家族が訪問に来るシーンでは、この機会をいかにうまく利用して看守の目の届かないところで情報伝達を行うか、ということを見せるのに徹してしまっているし、収容者の一人が同室で寝ているメンバーが起きないかどきどきしながらマスターベーションをしたり。ずーっと、24時間すっぽんぽんの裸でいる上に、お互いのうんちとかおしっことかぐちゃぐちゃ混ぜて壁に毎日なすり付けてるのに、マスターベーションしてることはそんなにばれたくないんや、、、なわけないやろーーー!!「政治活動のためにこんなぎりぎりの生き方している収容者でもマスターベーションもする。普通の人間なんだよ!」みたいなシーンなんですけど、これもステレオタイプすぎて引きました。


映画は大きく3つの章にわけることができます。第一章はIRAメンバーたちが刑務所でする衛生無視の行動に焦点があてられ、第二章はボビー サンズがカトリック司祭にハンガーストライキをこれから行うという旨を伝える二人の長い長い会話。そして第三章はハンガーストライキを最初に始めたボビー サンズが死に至るまでが描かれています。
第一章と第三章の映像のコントラストが非常に強く、衛生無視のストライキの章ではうんちやおしっこや腐敗物まみれの体と壁によって画面が占められているので全体に茶色く、刑務所員や機動隊員の殴る蹴るの暴力、それに対して全力で抵抗する収容者たち、情報伝達のための工夫など、動の章ですが、ハンガーストライキにはいったボビー サンズを映す章では清潔で殺風景な病室の白を画面が支配し、できるだけ体を動かさないようにするボビーと彼をサポートする看護士などの静の章となります。この画面上のコントラストが激しいからこそ、どちらも同じように非常に暴力的であることも浮き上がってきます。静の章の暴力性は動の章を上回っているかもしれません。
これらふたつの章をつなぐボビーと司祭の会話の章は、切れ目無しの長い長い二人のやりとりで構成されています。この映画全体でのセリフはこの会話に集中しており、他の章での会話はほぼ皆無です。だからここでふたりが話し合うことは非常に大切なメッセージとなるわけですが、この会話があまりにも「あー、ボビーをキリストにする方向?」というのがアリアリと出過ぎていて、少し萎えます。
なんというか、映画というものの持つ巧妙さがないんです。

何度も言いたい、何度言っても足りないくらい、本当に映像が美しい映画です。しかーーーし!映画はそれだけじゃないはず。映画って暗い映画館の中で座席に座って大きなスクリーンを眺めて見るものですが、それだけじゃない。映画ってそのスクリーンから風や空気や手触りや匂いが溢れ出てくるもんだと思うんです。でもこの映画はただその平面の上で「出来事」が綴られるだけ。うんちやおしっこで塗り固められた刑務所の壁も、洗うことを拒否した体も、ハエや蛆のたかる腐敗物も、すべて無臭。雪が降り込む部屋も寒くない。真っ白の病室も冷たくない。タバコの味もしない。

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先ほど書いた人間的でない登場人物たちと、匂いがしてこない画面の映像は、すべてこの映画が「平面作品」である、でしかない、ということにつながっています。
機動隊員にこん棒で殴られる体も美しい。便尿、腐敗物にまみれた体も美しい。ハンガーストライキでやせ細って膿だらけの体も美しい。すべてが「美術館で見る「キリスト笞刑」の絵画」のようです。「美術館で見る」っていうところ大切です。現実のコンテクストから離されてしまったイメージがそこにはあるからです。
マックイーンは「サンズを英雄化するつもりはない。」みたいなことをそこらじゅうで言ってるけど、英雄化というよりキリスト化はめっちゃしてます。っていうかなってます。まあでも映像に重きを置いた映画作りみたいなものは彼のインタビュー記事などを多く読めば読むほど、彼自身が望んだことなのか、と思うのでまあいいんでしょう。

私が好きだったのは、IRAメンバーや看守たちの中心的人物ではなく、彼らを取り巻く人々の描き方でした。
看守の朝ご飯を用意して出勤していく姿を心配そうに見る妻。
ボビー サンズの面会に来ては「元気そうね。」と心とは正反対のことを口にする両親。
収容者たちをこん棒で殴る機動隊員の横で何をすることもできずただ涙を流す若者(この描写の仕方も言いたい。他の隊員がリンチをしているところとは壁で仕切られたところでこの若い機動隊員はヘルメットを取って号泣します。この場面もめちゃくちゃ美しいんですが、あれって彼の心の中じゃないかなって思うんです。本当はみんなと一緒になってリンチをしているんやけど、心の中の描写があの仕切られた壁の反対側で見えていた彼じゃないかな、と。でもそれは「悲しい」とかそういう類いの涙じゃなくて一種の興奮状態にあるときの涙で、別に彼があのときあの場所で起こっていることに疑問を持っているわけではないと思います。こういうときに自分の中でわき起こる疑問ってきっとその瞬間ではなく、あとから発生するものだと思うからです。括弧の中が長くてすいません。)
ハンガーストライキをしているボビー サンズを介護する看護士。

みんなたまたまそのときその場にいて、起こっていることに対して意見を言わず、行動を起こさず、それぞれの役割を戸惑いながら果たす、ということしかできない。「人間ってこうよな。」と思います。そのへんはすごく現実を感じました。

とにかく、映像に凝りたかったってのはわかるけど、「で、こういうの全部やって結局何を描きたかったの?」っていう?は残りまくりです。最後の章のボビー サンズが30分くらいかけて死んでいくんですが、「で?」。30分もとって死んでいくシーンを見せる必要がどこにあるんやろう?(まあその間の映像の力を見せたかったっていう理由くらいしか思いつきません。)頭が朦朧としながら子供の頃の幻想とか見ちゃったりして、それも「で?」。


なんかもうどんどん長くなってしまうそうなので、まとめます。

この映画に関して一言でまとめるなら、ズバリ、「これは映画監督の映画ではなく、映像作家の映画だ。」でしょう。この一文ですべてが入ってます。実際マックイーン自身も「私は映画を作っていない。芸術作品を作っているのだ。」と言ってますし。

こんなことを書くと、まるでこの映画が全然良くないだとか、私が全然この映画を好きじゃなかったかのように思われるかもしれませんが、ごちゃごちゃ言える映画ほど興味深いもんはないわけですから、この映画に対する印象が私の中でこれからどんな風に変化していくのかが楽しみです。

是非一度機会があれば見てみてください。

この映画の公開と同時に、パリのマリアン グッドマン ギャラリーでスティーヴ マックイーンの個展が開かれていました。先週の土曜日までだったので、土曜日の閉廊間際18時ころに行こうと用意してたのに!のに!のに!のに!17時ころに配偶者の家族が家になだれ込んできて、お酒やおつまみ出してたら終了してしまいました、、、、、。一生恨みそうです。


このサイトの右下のHungerの文字のUをクリックすると小さいヴィデオが見れるようになってます。


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12/02 02:45 | 映画 | CM:2 | TB:0
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