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artparis 09
先週今週とパリはアートフェアラッシュです。先週はグランパレでartparisという近現代アートフェアが開催されていたし、今週はパリの右岸で3つのドローイングフェアが行われています(Salon du Dessin, Salon du dessin contemporain, Slick dessin)。私の働くギャラリーはドローイングフェアのどれにも参加していないので、今日の夜は、仕事が終わったあと、Salon du dessin contemporainの夜間開館とSlickのヴェルニサージュに行こうと思ってます。ま、そんな時間と気力、体力があるかはそのときになってみないとわかりません。そして土曜日にSalon du dessinかな。


先週のアートパリのほうは、私の働くギャラリーも参加。最初の予定では2日だけブースで他の日はギャラリー勤務のはずだったのに、フェアが始まってみると結局4日連続でブース勤務でした。
いつものように、いまとなっては何故これらの写真を撮って、ほかのは撮らなかったのか自分でも謎です。ま、そのときたまたまカメラがポケットに入ってた、とか、たまたまトイレにいくときに前をよく通ってた、とか、そんなどうでもいい理由なんですけどね。

では撮った写真紹介。


良い作品全然ないなー、と思いながらぷらぷらしていたら、目に入ったバスキアとボイス。
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「この二人エー顔してるなー。」と思って近づいてみると、木の枝とこれは炭?土?でポートレートが作られていました。
DSCN2442.jpg「ほー、でもVik Munizとかぶるなー。」と思って、ふと同じアーティストの他の作品が横にあったので見てみると、
「ベーコンのポートレート彫刻バージョン?」
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Galleria d'Arte ContiniというヴェネチアのギャラリーのEnzo Fioreというアーティスト。どっちも他のアーティストを思い出してしまう作品でした。


さらーっと巡って思ったのは、George Rousseが多い!ということ。去年もたしかそうだったかも。同僚もみな口を揃えて「George Rousseが多い!」と言ってました。
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私はこのアーティストが結構好きで、右の写真のピンクの作品がすごく美しかった。
25 000ユーロ。結構するんですね。


「おお!素晴らしい!」と思ったら、Hans Hartung。彼の作品はどれも本当に美しい。
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ここ以外のギャラリーで、ハンス アルトゥングの作品を2点展示してあるブースがあって、それがどちらも本当に素晴らしかったんですが、写真ありませーん。


個人的に今年のアートパリで最も美しいと思ったのはErdesz & Maklary Fine ArtsというブダペストのギャラリーのJudith Reiglの60年代70年代の巨大絵画がこれでもか!というように展示されていたブース。圧巻でした。
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普段私はこういうパステル調の絵画に惹かれないんですが、このブースの
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現在パリのGalerie Daniel Templonで開催中で、話題となっているGregory Crewdsonの個展。同ギャラリーブースにも、大きな作品が一点、そして20点のエディションである小さい作品も展示されていました。エディション20でいくらだったかな。それぞれ9000ユーロだったと思います。大きいのはエディション5で70 000ユーロだったと思います。
私はこのアーティストさんが大好きで、去年5月にニューヨークに行ったときにもギャラリーでの個展を見て感動しました。そんなに高かったのね。
私はカタログで我慢します。
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Samuel Rousseauの作品はそこまで好きじゃないけど、Galerie Guy Bartschiのブースに展示されていたこの木の作品は好きでした。
プロジェクターと壁の間には小さな木があって、それはもちろん何も変化しないけれど、その向こう側に映される映像が、新芽をつけて大きくなって枯れ葉が散って、、、と変化していきます。
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アートパリ期間中に発表されるle Prix de dessin de la Fondation Florence et Daniel Guerlain(フローランス&ダニエル ゲラン財団ドローイング賞)。今年はFrederique Loutz, Jorge Queiroz, Sandra Vasquez de La Horraの3アーティストのうち、Sandra Vasquez de La Horraが受賞者に選ばれました。
こちらの写真はFrederique Loutzのドローイングが展示されたGalerie Claudine Papillonブース。このブースも好きでした。Frederique LoutzのドローイングとElsa Sahalの青い陶器の彫刻、そしてThierry Mouilleの作品がうまくあっていたと思います。Elsa Sahalは好きじゃないけど、この展示は良かった。
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Galerie Charlotte Moserのブースで、「あれ?これ須田悦弘?うん?でもなんかいつもの静謐さがないけど、、、。」と思って聞いてみると、Tony Matelliの作品とのこと。
あーどうりで。ブロンズでできているそうです。Tony Matelliだったら、このオラオラ感溢れる作品と展示の仕方でOK。
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とまあ少ないですが、こんな感じの今年のアートパリでした。4日もいたわりには、三分の一くらいしか見れてないし、他にも「お!」と立ち止まる作品がありましたけど、写真がこれだけなので、このへんで止めておきます。


日曜日はブースで一日中働いてたんですが、私の誕生日でしたー!
その日はフェア関係者が招待されるカクテルパーティーが、閉館後の20時半からグランパレの階段の上で行われ、同僚と、そして私の配偶者も呼んで、タダ呑み乾杯!
3人だったのに何故かグラスがいっぱい。どんどんテーブルに運ばれてくる豪華なおつまみ(?)もおいしかったし、グランパレでこんな風に素晴らしいガラス張りドームを見ながら、お酒が呑めるなんて、素敵でした。もうみんな!私の誕生日をこんな風に祝ってくれてありがとう!みたいな気分になりました。別に私のためじゃ全然ないけどね。
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03/28 00:21 | アートフェア | CM:4 | TB:0
読書ブログを始めました。
別にアートと全く関係ないんですが、読書ブログを始めました。

読み散らしたら書き散らすブログ

2月後半のある日にふと「作家と読んだ本のタイトルを覚えておくために、読書ブログをしよかな」と思いついて、その日から読んだ本をとりあえず載せました。あれから1ヶ月しかたってないのに、自分ではもう半年くらいたってるような気分です。思ったより多くの本を読んでいて驚きました。私もしかしてヒマ??
これからどんなに短い記事でも備忘録として読んだ本をアップしていきます。

アートの本に関しては、書きたいことがあればこちらに書きます。そう思わなければスルー。
なぜなら備忘録に書かなくても何を読んだか覚えてるから。

ではよろしくお願いします。こっちも更新しないと。
03/26 23:08 | ワタクシゴト | CM:2 | TB:0
ぬるま湯の中にいても時々心が躍ります。
インターンシップの研修生だったときも合わせて、私が今のギャラリーで働いてからもう3、4年になります。このブログを始めた頃や、そのもっと前の研修生だったときの、毎日感じてた一瞬一瞬の感動やうれしさはどこへやら、もうはずかしげもなく「私は今、ぬるま湯につかってます。」と公言するようになってしまいました。

そんなことを言ったら、2、3年ごとに転職をするような人がうじゃうじゃいるフランスなので、みんな「kanaも転職するの?」と聞いて来る。
いやー、違うな、わかってないな、本当の日本語の「ぬるま湯」の意味を。
別に今の職場がどうとか、仕事がどうとか、同僚がどうとか、そういう問題じゃないのです。
そんなのはどこに行っても一緒だろうなあと思うのです。仕事はどの仕事でもそうでしょうがルーチンなことが多いし、同僚の性格を把握しすぎて、「この状況では次にあの人がこう言うな。」なんて全て読めてしまう。なんの驚きも新鮮さもない。
だからといって、「おーし!ステップアップ!」と意気込んだところで結局は雇われ人ですからねー。
と、勝手に自分で自分の意欲をなくさせたり。
とまあ、大したモチベーションもなく、感情の揺れも「なんでいっつもみんな同じこと言うんやろう!」というイライラくらいしかないような状態で、仕事をソツなくこなしています。

なんでこんなくらいの仕事で、このお給料がもらえて(決して高くないが、ちょっとずつどんどんあがる)、ありがたがられたりするんだろうか?と思う。

もう子供じゃないんやから、誰かにどんどん背中を押してもらうのを待ってたらあかんのや、ということは百も承知してるんやけど、私は「やばい、今の私でこれはできひんかもしれん」と思うレベルのものを誰かから頼まれて、「やばいやばい。ちょっとここはがんばらなやばいことになる。」と焦ったりすることがないと自分のレベルアップがはかれない人間なのです。自分で自分をあげられないっていうのは、これから一生私のハンディキャップになっていくだろうと確信しているので(そこまでわかってるのに!)このへんでこれを自分の中から取り出して、地面に叩き付けて両足で思いっきり踏んづけてやりたいです。
そうや。もうすぐ誕生日なので、これを実行してみます。
ま、毎年、というか毎週くらいの勢いでこれを実行しようとしてるのに、なかなかできない。禁煙やダイエットみたいなもんです。
これが実行できても、多分その対象はギャラリーでのOL仕事ではないと思いますが、まあいいや。

とまあ、ミクシーに書くような日記の出だしになってしまったのは目をつぶってください。こんなことが書きたかったのではない!


そんな仕事中の時間でも、私の心が最初の頃のように躍るときもあるのです。

私のギャラリーでの仕事は本当に多種多様で、「ギャラリーで何やってるの?」と聞かれたらいつも答えに困ってしまいます。
そんな仕事のひとつに、美術館への作品購入提案があります。基本的には美術館の学芸員たちが「次のコミッションで○○というアーティストの作品購入を提案したいんだけど、、、」とギャラリーなりオーナーなりに連絡を取ってくるので、私たちはアーティストと相談しながら、ギャラリーの倉庫やらアーティストのアトリエやらにある作品の資料を作成して提出します。そこから学芸員が選んで値段の交渉も行って、次回のコミッションにかけるために、それらの作品はリザーブされるのです。FNAC(国立現代美術基金)やAmis de MNAM(国立近代美術館(ポンピドゥーセンター)友の会)などの結構オープンなものでない場合、いくらコミッションがあるといっても、価格がきっちり決められてリザーブされた時点でまあ、購入は決定したようなものです。

フランス国内、特にパリの美術館のキュレーターたちはよくギャラリーに来るし、ポンピドゥーセンターなんかはギャラリーのすぐ近くなので、「例の作品見れますよー」と電話したら、すぐに来る。

一番おもしろいのは外国のキュレーターが作品購入のためにやって来るとき。彼らは「やっぱりもっかい見せて。」ってすぐにまた見に来れないから、アポをとったときにできるだけ効率よく、自分の予算にあった、コミッションで通るに違いない作品をいかに多くチェックするか、というのが目的なんだろうと思います。

数週間前から資料を何度か作り直して、そのアポ当日に見せる作品をしぼっていく。選ばれた作品たちがギャラリー地下の倉庫にあるとは限らないから、その日のために運送の手配して、、、となるわけです。プライマリーマーケットであるギャラリーお抱えアーティストさんたちの作品なら、まあそこまでわくわくしないけれど、私の場合、これがセコンダリーマーケットの作品だと一人で勝手にテンションがあがる。セコンダリーの場合はもう美術史の一部になっているようなアーティストの作品が多いから、それぞれの作品が制作されてから今まで歩んできた歴史とか、その作品が美術史上、またはそのアーティストのキャリア上、どういう位置にあるものなのか調べたりしなきゃいけない。このブログのタイトル通り、私はアート界の底辺を支えるアシスタントでしかないので、別に私がオラオラと学芸員に説明するわけじゃないけれど、そういう過程が、学生の頃文献ばかりで本物に触れることができずにやっていたことを思い出して、ちょっと興奮する。というか普段のOL生活を少し忘れられる一瞬。作品の現在の持ち主にももちろん連絡するわけで、それがよく読んでる美術批評家だったりしたら、興奮倍増。

もちろんこのへんまででも既にいつものルーチン仕事から少し解放されてるので十分やりがいはあるんです。やっぱりルーチン仕事から抜け出すには私にはセコンダリーが一番です。

でもやっぱり一番は、キュレーターが来て作品を見せるとき。
わざわざそのために開催中の展覧会を休みにするわけにはいかないので、展覧会に大きな影響を及ぼさない程度に1、2点はずして、小さいスペースをつかって問題の作品を壁に立てかけたりして見せます。それぞれの作品の良さが出るように、私は私なりに考えて、でもできる範囲で作品を並べておきます。
私に「うわ。この人すごい。」と素直に感動に近い気持ちを持つキュレーターが何人かいます。そういう人たちは、最初に一点ずつ見て、少ししたら、さっさっさっと作品の並びをかえる。大げさなことは一切せず大げさなことは一切言わない、ただ、並びをかえるだけ。でもそれだけで、いきなりぱーーーーっと周りが明るくなって、作品それぞれに光を放たせ浮き上がらせることができる人たち。
そういう人たちがたまにいます。

そしてそういうキュレーターたちはお金をうまいこと見つけてくるし、値段交渉もこちらが思わずうなってしまうほどうまい。
なにからなにまで魔法使いみたいです。
作品を遠くから見るときも、近くで見るときも、少し手を触れるときも、「ああ、この作品にはこういう見方があったんや。」と横にいる私に発見を与えてくれます。なんだか神懸かったような。

そういうときに私は「今日あれが見れたのはこの仕事やってたおかげやなー。」とギャラリーで働き始めた最初の頃のような気持ちを取り戻すのです。



なんかすごく長くなってしまった。
他にも心躍ることを書きたかったのに、もう疲れたのでまた次回。



ぬるま湯に浸かりすぎてふやけてきた私をこれからもどうぞよろしく。


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03/19 02:47 | ワタクシゴト | CM:8 | TB:0
Bernard Moninot 「Le fil d'alerte」 @Galerie Baudoin Lebon
今期私の周りで話題になっていたギャラリーでの展覧会の一つに、Galerie Baudoin Lebon、そしてGalerie Catherine Putmanにて同時開催されている、Bernard Moninotの個展があります。

みんなの口にのぼり始める前から、Galerie Baudoin Lebonの前を通るたびに、「うわ!この展覧会めっちゃ気になる!」と思いがらも、いつも時間がなくて、通り過ぎるだけでした。
で、「もしかしてもう終わってるかも」と思いながらも、先週の土曜日に急に暇ができたので、行ってきました。プレスリリースによると2009年1月15日から2月28日まで、と書いてあるので、私が行った3月7日まで、すごくラッキーなことに延長されていたみたいです!よかったー!

ベルナール モニノは1949年生まれのフランス人アーティストで、パリ国立美術学校(パリのボザール)の先生でもあります。

今回の個展では、2005年から2008年に制作された作品の展示。

まずは絹の上に描かれた大きなドローイングたち (各140x210cm)。

私の写真がまたいけてない!すいませーーん。

私がきちんと理解しているかちょっと怪しいんですが、このドローイングはテーブルの上に置かれたガラスのオブジェに光をあてて、一枚目の絹にはその影を描き、そして数センチだけ間をとって重ねられている二枚目の絹にはオブジェそのものが、それぞれカーボンで描かれています。中には、これは多分ピアノ線かな?が縫い込まれているものもありました。
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もうねー写真じゃ、特に私の駄目駄目写真じゃ全然伝わらないと思うんですが、めちゃくちゃ美しいんですよ、これが。

ギャラリーの奥の一角にはこれまた絹の上に今度は赤や青や緑や黄色で描かれたドローイング。中には「EXIT」の文字が浮かび上がっているものもあり、架空なのか現実に存在するのかわかりませんが、ガラスで仕切られたいくつもの空間が奥に向かって広がっています。
これらのドローイングに描かれている、一番手前側の空間の四方に付けられた赤い点たちが、壁にかける作品として展示されていました。この作品たちは彫刻といえると思うんですが、平面として扱われていて、そのうえドローイング上の空間を描く線から隔離されてしまっているので、遠近感の全くないものとして存在します。「彫刻」のひとつのあり方であるレリーフに全く遠近感が取り払われている一方、ドローイングという「平面」作品では遠近法がばっちり取り入れられて存在している、というコントラストが面白いなあと思いました。
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その横にはインスタレーション作品。あ!これを使ってドローイングをしたのかな?!と思わせるオブジェ。アーティストがドローイングを制作しているときと、きっと同じ状況に照明が充てられていて、壁には影、テーブルにはオブジェとその影を表す切り取られた黒い平面。なんかの研究に使われてそうなオブジェですが、ガラスという素材とその影によって、儚く美しい詩的なオブジェのインスタレーションになっていました。
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ここのギャラリーに来て忘れてはいけないのが、地下の展示室。フランス語でいわゆるカーブと呼ばれるレンガをむき出しにしたままのアーチ型の天井がひんやりと冷たい地下室。ここに大きなインスタレーションが展示されていました。階段を降りて行くと、レンガの壁に響く「ピン!」「パン!」という音。子供の頃好きだったポンペンでしたっけ、あ、そうそう、ビードロの音みたい。
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カーブの奥からまるでそこに窓があって太陽光が差し込んでいるかのように照明があてられていました。この作品はべルイル オン メールという島にあるヴォーバンの要塞の火薬庫で展示されたことがあるようで、そのときの写真を見たら、実際に火薬庫の窓から差し込む光がこのインスタレーションを照らしていました。
様々なフォルムのガラスの表面やピアノ線によってはね返った光が、薄暗いカーブの中を照らし出し、また、「パン!」と聞こえる音は地下室のアーチ天井にはね返って反響します。
この音はどこから?と思ったら、ありましたありました、インスタレーションの真ん中辺りに一定の速度で円状にまわって細いガラスの棒にあたっている機械。よくわからないかもしれませんが、3枚目の写真がそれです。



そんなこんなで「モニノ、モニノ、、」と思っていたら、昨日の夜寝る前に聞いていたラジオでなんとなんと偶然モニノ本人が喋ってた!最後のほうはもう半分寝ていたのでよく覚えていませんが、私の心に残ったのが、彼が自分の作品を、ジャコメッティがベッドに仰向けになって天井を見ると蜘蛛の巣があって、それを蜘蛛がドローイングを描くかのように作っていくのを見て、ジャコメッティがあのドローイングの手法を用いたっていうのに影響されたとか、あと誰の言葉やったか忘れてしまいましたけど、「私は髪の毛の細さで巨大な作品を作りたい」って言うアーティストに影響されたとか。


最初に書いたように、ドローイング専門ギャラリーGalerie Catherine Putmanでも、彼の個展が同時開催されていて、そちらのほうは3月24日までやっているらしいので、今週の土曜日早速行ってきたいと思います。
他には4月からのパリの郵便局美術館での展覧会でドローイング作品を40点展示、また10月にはMAC/VALでの展覧会で大きなインスタレーション作品を発表することが決定しているよう。大活躍ですねー。どれも見にいける場所にあるからうれしい!今から楽しみです!

どうぞよろしく。


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03/12 04:16 | ギャラリー | CM:2 | TB:0
2009年2月7日 パリ市立劇場でのMaguy Marinの「Turba」公演
長いことブログを書いてなかったから、そろそろ何か書かないといけません。
でも書きたいと思うことがない、ないないない。そりゃ大して何も見に行ってないから書きたいこともないわけだ。

ということで思い出したように、2月7日のパリ市立劇場で私が体験したというか、見たことについて書きます。
その日はマギー マランの新作を配偶者と一緒に見に行ったのです。

私にとっての最初のマギー マランの作品は何年か前に見た「シンデレラ」でした。その頃の私はたしかまだひとつかふたつくらいしかコンテンポラリーダンスの公演を見に行ったことがなくて、そんな初心者のとき。ぜんぜんその作品を好きになれなくて、どこをどう見ていいかわからなくて、ただただリヨンオペラ座の最後列の席で、まるでドガの描く絵のような自分の真下に舞台があるという位置から、????を頭の中いっぱいに巡らせて食い入るように見ていたのを思い出します。

いまこれを書いて思い出した、そうだった、あのときもそうだった。
私の隣に二十歳くらいの女の子とその母親がいた。私は何がなんだかわからないし、マギーマランのその作品が良いとも思えないし、どないしましょ、と思いながらも何をどう理解するべきか、ということを必死で考えていた。今から考えれば、彼女たちも、私ときっと同じくらいどうしたらいいかわかってなかっただけだと思うけれど、そこはフランス人、結構な数の人たちが自分たちが理解できないものに出会うとそれについて考えたり理解しようとしたり、受け入れたり、視点を変えたり、そういった努力を一切せずに「あれは似非インテリ茶番だ。」という枠にいれてしまう、ただ、「なぜだ、なぜ私は何も感じないんだ。何が言いたいんだー、ぬぉーーーー!知りたい!」という欲求よりも先に「考えて理解できなかったときにださいし、そうなったら怖いから考える前に投げてしまえ!」となるんですね。だから、ものすごく大きくため息をついたり、「しょうもない。」とつぶやいたり、その母子も二人でこそこそその作品が最低だということを話し始めました
一応ここで言っておきますが、私はものすごい注意魔です。それが知らない人であろうが知ってる人であろうが、どんな年齢のひとであろうが「それはちょっとおかしいんじゃないか。」と思うとすぐ注意してしまう。だまってられない。だからそのときも「静かにしてください。舞台の感想は終わってから話してください。ため息をつくくらいなら、出て行けばいいでしょう。今は見るときですから。」と言ったんでした。「いや、でもしょうもないもんをしょうもないという権利はある。」みたいなことを言い返されて、「その権利を振りかざすのは今じゃなくて公演の後です。今したいなら、外でどうぞ。」と言ったんでした。そうそう。そんなことがあった。もちろんこしょこしょ話をしてるみたいに小さい声でしたが、まあ、注意してる私も他の人からしたらうるさい存在なのかもしれません。


そしてそれからマギーマラン食わず嫌い状態になっていて、結局2008年コンテンポラリーダンス マイベストのなかにはいった、「Umwelt」が、私にとってのマギーマラン二度目の体験でした。もしかしたら他にも見ているかもしれませんが、はっきり覚えているのはこの二つです。
このブログにも書いたように、この作品を見た後は、椅子から立てない、、、、と思うほど、なんなんやろ、あれは。感動ではない。うーん、衝撃?でもない。恐怖に近い何か、と言えるかな?が頭とか全身をぐるぐる駆け回っていたのを思い出します。
あのときは公演中ずっと、轟音を発する強風が舞台を吹き抜けていて周りの人たちからどんどん席を立って出て行く音も気にならなかったんでした。でも公演のあとふと我に返ったら、たくさんの席が空いていて、席にまだついているひとたちでも半分がブーイング、その残りの半分がブラボーと拍手を繰り返していて、公演中に舞台で見せつけられたカオスがそのまんま観客席まで移動してきたかのような錯覚に襲われ、なんか宙に自分一人だけ浮いてしまって、いろんなことをハタからぼんやり見ているような感じでした。


そして今回。どんな公演だったかは、フランス語ではたくさん書かれてるんですが、日本語ではこちらを参照してください。すばらしい。私にはこんなこと逆立ちしても書けません。

私がここで書きたいのはこの作品が良かったとか、そういうことではないんです。
いや、実際すごく良かったんですよ。小道具や衣装の持つ色彩やマチエールの組み合わせ、そして照明の使い方が素晴らしくて、暗闇から浮き上がってくる舞台の一部一部が非常に美しいし、音楽というか音響というかも素晴らしかった。
私は去年の「Umwelt」のときのように、最初から既に座席にはりつけられたようになって、心臓がどくどくどくどく舞台上の熱狂とともどんどん高まるのを感じていたけれど、本当は怖くて怖くてなんだかどうしたらいいかわからなくて叫びたくてしょうがなかった。
でもひとつ、「Umwelt」のときと違って、私の舞台上への集中が途切れたりすることが何度かあった。それは今回の作品では、音響が普通の大きさというか、「Umwelt」のときのような轟音ではなかったので、観客たちによる騒音が気になってしょうがなかった。私には理解できないことだけれど、まあ彼らはわざとやっているのだから、私やその他の観客たちに気になってもらわないとそれらをやってる意味がないのかもしれない。どちらにしても頭の悪い何の教養もない人間たちだと思う。
途中で席を立って出て行く人たち、いや、出て行くだけなら勝手に出て行けばいいし、私も気に入らない舞台なら出て行くことがよくあるけれど、わざと大きな音を立てて椅子から立ち上がったり、会場からでるときにわざとドアをバタン!!と閉めたり。
わざと大きく咳をしたり、大きくため息をついたり、全く関係のないところで皮肉に大声で笑ったり拍手をしたり。
それをして何になる?
それをすることによって、実際はまったく論拠立てて説明することもできないしょうもない批判をしてるつもりなんでしょうか?
そのうえそれで最も大きい被害を被るのは、彼らの隣に座って、静かに作品と必死に対峙している他の観客たちだということが一切わかってない。

私は日本とフランスにしか住んだことがないので、それがお国柄なのか、とかはよくわかりませんが、フランスで暴力的なシーンが多い映画を見ると、そういったシーンでげらげら笑う観客がすごく多いことにいつも驚きます。別にホラー映画ではなくて、うーん、「ヒストリー オブ ヴァイオレンス」とか「ノーカントリー フォー オールドマン」とかそういう系の映画ね。あれはいつもなんでなんやろうと思っていて、あそこでいつも笑っちゃう人は、たかだか画面に映っているだけの映像で現実ではないのに、そのとき目の前で起こっていることが怖くて怖くて仕方ないから、それから逃げるために笑うんだと勝手に思っています。普通に見てられないんでしょう、きっと。で、今回の公演でも「あ!あれと同じ!」と思いました。マギーマランの作品の持つ恐怖感というか、「もうお願い、やめてー!」と叫びだしたくなる緊張感とか、そういうものから逃げたくなったから、みんな笑ったりしてごまかしてるのかなーって。

そんなダンス公演を見るべき正しい環境からかけ離れた状態で、なんとか集中して舞台をみつめていたときでした。

そんなとき、、、、、、観客席から一人の男性が舞台の上に上がって、「僕も公演の一部でーす!」とヒラヒラ踊り始めました。
私は「あ、、、れ?」と思いながらも「ハプニング?これも公演の一部でしょ。」なんて、そんな、だってねえ、考えられますか?現実に観客が舞台によじ上って踊りだすとか、あんたそんなサッカーの試合でもないしねえ。多分大半の観客が私と同じように普通にその光景を「あ、れ?」と思いながら眺めていたと思いますが、「いや、ちょっと待て、これはやっぱりなんかおかしい。」と思ったのは、その乱入男めがけて、怒り狂った男性ダンサー2、3人が「いいかげんにしろーーー!!!」と本気で殴り掛かり、その男が床にばたーーんと倒されたときでした。さすがに舞台の一部でもここまで本気で殴らんやろ、と。一人のダンサーのパンチが気持ちがいいくらいにその乱入男の顔にはいったんですもん。

と、そしたら後ろで「こんな状態じゃ公演は続けられないわ!!!」と叫んでる女性がいて、振り返ったら、おいおい、マギーマラン本人じゃないですか!

「もうーーありえない!!」と叫びながら、彼女が舞台まで降りてきて、会場の照明がぱーーーっとつけられました。

そこで、やっと「これはおかしい。」と確信した私、横にいた配偶者に「これって舞台の一部じゃないよね。」。配偶者は呆然。「いつからフランスはこんな表現の自由が侵害される国になったんだ、、、。」ってアンタ、一言目がそれかい!と思いながらも、私はひたすら「えーー!ありえへーーん。ありえるん?え、ありえるんか。」とそればっかり一人で繰り返していました。

舞台に上がってマイクもなしに会場に話すマギー マラン。「こんな状態では舞台は続けられません。この公演がどうしても耐えられないという方、全く問題ありません。他の観客野方たちのために、そしてあなたたちのために、出て行っていただく権利はあります。」そんな感じのこと言ってました。そこでもちろんかなりの人が出て行きましたが、面白いのは私の周りで出て行った人たちというのは、舞台を妨害するように笑ったり、わけのわからん拍手をしたり、うるさかった人たちではなく、どちらかというと静かに見ていた人たちだったのです。このあいだも残るつもりの観客の間からは舞台に向けての拍手が鳴り止みませんでした。ぎゃーぎゃーそれまでうるさかった観客たちは、もうすっかり「僕なんにもしてないもーーん」みたいに知らんぷり。

そんなとき、これまた私の配偶者が公演中にずっと皮肉に笑って、すごくうるさかった私たちの後ろのカップルと口論し始めました。あっちゃー。どうしよ。と思いながらも、申し訳ない。私は彼よりもっと文句言いの性格。結局私が、「やばいやばい。このまま行くと本気の喧嘩になるかも。」と自制心が働かなくなるかと思うほど、抗議してしまいました。だって、何?あの人ら言ってることおかしい。こんな自体になったのはもちろん乱入男が一番の原因ではあるけれど、私にとって本当にうざかったのは彼ら。ずーーと後ろでげらげら笑って、ほんで言うことが「でも僕らのせいで公演が中断されたんじゃないしー。」とか、「マギー マランの作品を僕はよく知っているから、彼女の作品には笑う要素がたくさんあって、それを彼女は狙ってやっているんですよ!僕たち観客が作品に反応して何が悪い。」とか。「はああ?あんたたちの笑いは、ドーーーーー考えても皮肉の笑いだったでしょう。だいたいねえ、ここは劇場でみんながお金払ってくるところなんだから、他の人たちに対してもそれなりにリスペクトの気持ちが必要なんですよ。それにあんたたちの笑いなんて、私たちの迷惑になってるだけで、舞台に届いてないですよ。そんなに舞台のダンサーやマギー マランにあんたたちの笑いを見せたかったら。家にカンパニーまるごと呼んで公演してもらったらいいでしょう。それができないなら、静かに見てください。批判は公演のあとになんぼでもやってもらっていいですから。」などなどなど。

それにね、自分たちは「マギーの作品良く知ってるし。」とかわけわからん。その日に私が座っていた席は前から二列目のド真ん前の席でした。パリ市立劇場はチケットが取りにくい劇場で有名です。ということは、前の方の席に座っている人たちって、一年前からチケットを購入している会員ばっかりで、マギーマランの作品だけでなく、この劇場で行われるコンテンポラリーダンスの公演をかなり見ている人たちだと思うのです。そこで「僕はよくわかってるから笑ったんだ。」とか言っても説得力なし。いや、笑うのは全く問題ないんです。面白いとこでは思いっきり笑えばいい。でも彼らの笑いは、公演をものすごく馬鹿にした嫌な笑いだったのです。

パリ市立劇場の観客はものすごく扱いにくいと思う。もちろん私もその一人であると自覚はしています。でもなんというか、この劇場の観客は特別意識というか、なんかそういうのがあって、「よくダンスを見に来る私(僕)のジャッジは絶対。」みたいなところがあって、本当に自分の好き勝手していいかのように、まるで自分の家で作品を見てるような気分になる人がすごく多い。単純に「へーー。こういうのもあるのかー。私は好きじゃなかったけど、新しい発見やな。」みたいな謙虚なとこがない。自分の気に入らなかったら、「サイテー」となるし「なんかあの似非インテリ集団は!」となる。

あーーもう一ヶ月も前のことやのに、なんかイライラしてきました。

はい、ということで、会場が再び静まったとき、公演は続けられたわけですが、舞台上のダンサーの緊張も、そしてもちろん私たち観客の緊張もぷっつり途切れてしまったので、やっぱりそのあとは集中のない高揚感のない公演となってしまいましたとさ。


この作品は他の街でも公演されたことがあったし、この日も初日ではなかったのですが、毎回、観客の反応が暴力的で劇場側もカンパニーも頭を悩ませていたようです。でももちろん公演が中断されたのはこれが初めて。こんなこともう起こってほしくないです。


っていうか、「踊らないダンス」ということでみんなそういう反応したみたいですけど、私が普段見に行くダンス、もーーーっと踊らないダンス、いーーーっぱいあるけどな。そのうえかなりどうしようもない舞台いーーーーっぱいある。


でも、こういうことってあるんですねーー。
良い体験だったと思うことにします。

こちら、その作品のビデオ。



久しぶりの更新がこんなですいません。
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03/09 08:23 | コンテンポラリーダンス | CM:4 | TB:0
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