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もろもろ
ブログをきちんと書かない上に、備忘録までも2ヶ月分怠っている状態ですが、元気にしています(誰も聞いてへんかった?)。

今日はなんとなく思ったことをミクシー風に書いてみようと思います。まあそういうことはこのブログではできるだけ避けているのでそのうち消してしまうかもしれませんが。

この週末にパリで、ある小さな展覧会がありました。それは、私たちUntitledが今年の夏にキュレーションをしたアントワン アギラーの個展「Mediatic Desert」を展覧会まるごと買ってくれた有名なコレクター兼アートディーラーが開催したものでした。私たちのヴェルニサージュにわざわざ来てくれたときも「これをそのままパリに持ってこよう!」と彼は言っていて、それはアーティストのアントワンにとってもとても喜ばしいことで、私たちも自分たちの仕事が認められて非常に嬉しかったのを覚えています。
もちろんこの展覧会がパリで見せられるときには、私たちがキュレーションをするということはないし、大体作品自体をそのディーラーが買い上げているので、あとは持ち主である彼が好きなようにすることができるのは当然です。
ヴェルニサージュがあった金曜日の夜には、ギャラリーでの仕事のあと次のキュレーション活動の打ち合わせがあり、予想した以上にその打ち合わせが長くなってしまったのでヴェルニサージュに寄ることはできず、私たちUntitledは展覧会を見ることなく直接パーティー会場のほうへ行きました。
そのパーティーは上記のアートディーラーと一緒にコレクションを所有しているコレクターのアパルトモンで行われて、私たちが夏に展示したアントワンの作品もいくつかありました。私たちがキュレーションをした夏の展覧会に来てくれた人たち数人ももちろんそのパーティーに招待されていて「ここだけの話、夏のほうが断然良かったよ。どうして変えたんだろうね。」と言う声を何度も聞きました。まあ私たちUntitledは実際にまだ見ていない状態なので何も言えないし、まず何もよくわからない状況でした。
そして翌日に早速見に行ったわけです。アントワン アギラーの展覧会「Mediatic Desert」はマレ地区の元ギャラリーだった小さな空間で行われ、そしてもう一つは「Works on paper / a point of view」と題され、アートディーラーのパリのアパルトモン内で行われました。後者の展覧会は、アントワン自身がキュレーションをしたもので、自分のドローイング作品と、アートディーラーのコレクションから、ソル ル ウィット、ジョナサン モンク、ロバート ロンゴ、ジム ショウなどの自分の作品と関連性のある作品を選び、一緒に展示する、というものでそれぞれの作品も素晴らしいし非常に興味深い展覧会となっていました。前者の「Mediatic Desert」のほうは夏の展覧会で見せた4点のうち、2点が同じコンセプトとアイデアなんだけれどバージョンが違うと言ったらいいのか、少し手の加えられているものがありました。
この二つの展覧会を見た後、すぐに家へ戻り、パリに住んでいる知り合いや友人に「明日visite(日本ではなんていうのかな。ギャラリートーク?)をしますので来てください」という簡単なメールを慌ててだしました。そんなにいきなりのメールだったので結局誰も来ないかな、と思いながらも、日曜日の13時に会場に到着したら友人が数人来てくれていてうれしかったです。アントワンもいたしもちろんそのディーラーもいて、彼らがうまいこと説明してくれてかなり素敵なvisiteになり、みんなも「また今度もこんなんしてー」と言って楽しんでくれたようでした。
でも会場から出て近くのカフェでみんなとおしゃべりをしているときに、私はどうしてもたまらなくなって夏の展覧会を見に来ることができなかった彼らに、「私たちのした夏の展覧会のほうが何倍も良かったよ。それは別に私たちがやったからとか無視しても絶対に絶対にあの展覧会のほうが何倍も良かったと客観的に思う。」と言いました。
そのあと私たちUntitledはアーティストさんのアトリエ訪問が二つ入っていたのでそちらに向かいました。アトリエ訪問が終わってパートナーのレイラと今日の展覧会について少し話すことができました。
あの展覧会は私たちがやったものではない。でも基本的には私たちがやった展覧会をそのまま持って来るということだった。私たちが展覧会のために作ったパンフレットもその場で配られていた。そのうえタイトルもそのままだった。たとえば「2」とかなんかついていればこんな気持ちにならなかったのかもしれない。タイトルはアントワンが付けたものだし、もちろん今回の展覧会もアントワンがしたもので、彼が4点のうち2点の作品のバージョンを変えようと、それは別に私たちには関係がないのかもしれない。でも私たちがしていたら、あのスペースにあれだけの作品は展示しない。あの作品はあんな風に見せない。あの作品に加えられた変化には意見していただろう。窓からの光の入り方も調整すべきだし。表に何も表示がないのはどうなんや。などなどなど。
あれは私たちが手がけたものではない。でもあの展覧会は私たちがやった展覧会をパリに持ってきたものだと紹介される。これはグループ展ではなくアントワンの個展だから、アーティストに全ての目が注がれるだろうし、そして何よりも「若き無名のアーティストを見いだした」上記のディーラーとコレクターが主役になる。そこでアート界の人たちが「この展覧会のキュレーターは誰だ?」と気にかけることはないのかもしれない。私は今回のパリの展覧会で「キュレーターは誰だ?」と誰かが思って、私たちの名前がでてくることになるのはすごく嫌だと思った。だってキュレーションしてないもん。私たちにとって、夏の展覧会と今回の展覧会は全く違うものになっている。
こんなふうに書くとなんだか怒ってるように思われると困るんですが、今回のことはいろいろ考えるきっかけになりました。キュレーションをした展覧会に著作権のようなものって発生するんだろうか。いま私たちが動いているいくつかのプロジェクトの一つに、問題提起を「キュレーションとは何か。キュレーターの位置とは。」というものに設定して、私たちと同世代のキュレーターグループをいくつか招待したものがあるので、今回私たちのなかに巻き起こった感情や思考をより発展させるきっかけにもなって良かったのかもしれません。

プロジェクトのことを考えてると「アーティストが足りん!」と思うのに、アーティストのことを考えてると「プロジェクトが足りん!」と思うのは、これから一生続いて行くのかな。

今更ながらTwitterを始めました。このブログを読んでいる方たちにはごっちゃになってるかもしれませんし、まあブロガーというのはようわからん存在であるべきだと思うので、別に明らかにする必要もないことなのかもしれませんが、私の生活を構成しているのは、家賃を払って食べて行くためのギャラリーでの雇われ人としての仕事、個人の仕事(アートに関する記事執筆、パリギャラリー巡りのガイドや交渉、対フランスのアートに関する相談、などなど)。お金が入ってくる額よりも出ていく額のほうが確実に大きいけれど仕事と呼んでるキュレーターの仕事、それから夫と過ごす時間、自分のための時間、友達と過ごす時間という感じで分けられています。すべては情報のインプットアウトプットの関係においてもちろん縦横無尽につながっているといえばつながっています。どれもなくてはならないものです。Twitterというもので、初めてそういうのごっちゃにすることができたように思います。今までは読み手のことを考えたりして書くことを変えていたけれど、Twitterって本当に人が何を言ってようが完無視もできるし絡みにいくこともできる。人気が出たのがよくわかるような気がしました。それと私の気にいってるのが、ブログやミクシーやフェイスブックに見られるような、中途半端な礼儀正しさが求められないし、わけのわからん「友達」制度みたいなのがないこと。勝手に人のつぶやきを読んで追いかけることもできるし、どうでもよくなったら追いかけるのをやめることもできる。いちいちなんちゃら申請みたいなのもしなくていいし、そういうのを受けて困ってしまうこともない。そのみんなが好き勝手にめちゃくちゃ自分勝手に人のつぶやいていることを見れるってのがすごく楽。お行儀悪いのが前提にあるので、期待を裏切られて困ったり嫌な気分になったりしないのが好きです。

ちなみに牧場やTwitterをしていると夫に「またやってんのー?」とからかわれたり笑われたりするのに、ブログだとほっといてくれるのはなんででしょう?なんか真面目なことに見えるのかな。

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12/15 21:29 | ワタクシゴト | CM:0 | TB:0
ペドロ カブリタ レイス @ リヨンビエンナーレ
「牧場ばっかりやってないでえ、ブログは?ブログ。」といろんなひとに言われるし、実は本当は自分でもなんだか後ろめたい気分がなきにしもあらずなので、ちょっと書きます。
11月に5日間ほどお休みをとることになったので、私のフランスでの故郷であるリヨンに行ってきました。友達に会うため、義家族に会うため(これの比率は少なめ)、そしてリヨンビエンナーレに行くためです。
リヨンビエンナーレの模様はShiftに書く予定なんですが、ビエンナーレの中でも楽しかった展示を一つ紹介。

今年のリヨンビエンナーレは4つの会場で開催されていて、そのうち今年から利用されることになったのがl'Entrepot Bichat/ビシャ倉庫。以前には武器庫、ガレージとして使われた後、80年代から放ったらかしにされていたよう。

アートには興味あるけど自分一人じゃわざわざ見に行かないなーって言う(そういう人って実はすごく多いですよね)、リヨンにもう10年ほど住んでいる日本人の友人と一緒に行ったんですが、これがまた楽しかった。
私は何度も来たことのある地区だったんですが、彼女は初めてだったらしく「ほんとにここなの?こんなとこ女の子二人で歩いててダイジョブなの?」とびびりながらもなんとか到着。リヨンでは治安が良いとは言えるところではないからね。ま、私はリヨンでのほうがパリよりも何度も怖い思いをしたことがありますが、昼間だったので問題なし。

「ここちゃう?ここやろ。あーここやここ。」とおばちゃん二人珍道中。こんなところに使われてない倉庫があったんやーとも思いつつも、いかにも使われてへんそうやな、とも納得。

中に入ってみると、いまだに廃墟のままとも言えそうなだだっぴろい空間にネオン。空間に入った途端、急に無言でデジカメをぱしゃぱしゃしだす日本人のおばちゃん二人。そう!それくらい、言葉も出ないくらい良かったのです!
広い空間にネオンが置いてあるだけ(ここ重要)、というのは写真を見て知っていましたが、実際に自分自身が空間の中に入ってしまうと美しさが断然かわってその「だけ」がいかに計算されているものかだわかって「うーーん。良い!」とうなってしまったのでした。

DSCN3566.jpg DSCN3564.jpg
DSCN3572.jpg DSCN3570.jpg

ペドロ カブリタ レイス/Pedro Cabrita Reisは1966年生まれのポルトガル人アーティスト。
私は彼の作品をいままでにも見たことがあって、いつも「すーーっごい好き」ってわけではないけれど「きれいやなあ」とは思っていましたが、今回はほんまに好きでした。

私にとって今回グンときた理由は三つ。
まずはやっぱりネオン、「ネオンだけ」という、「だけ」の部分。写真ではわかりにくいかと思いますが、ネオンの描く直線が、廃墟と呼べる建物の壁、床、ガラス天井、階段、残された設備などの幾何学的ないくつもの線をなぞり、それらのコンクリートやガラスや鉄の線と、ネオンという光の線によって、それまでは存在しなかった新しい空間がいくつも目の前に浮かび上がってくるんです。
次にはその廃墟っぷり。この建物を再利用するにあたって、まったくなんの手も加えられなかっただろうと想像するくらい。もちろんセキュリティに関してはきちんと管理されているだろうとは思いますが、きっとそれだけだったんじゃないかな、と思います。だってこの建物を活用しようと思っても、やっぱり地面から伸びてきてる中途半端な草や木は排除しようとしたり、地面を覆う落ち葉を掃こうとしたりはすると思うんです。でもぜーーーんぶそのまんま。まさにこの建物が数々の歴史を乗り越えて、いまここにこのまんまの姿であって、そこにペドロ カブリタ レイスがネオンくっつけただけなんだ!という感じがとても素晴らしかった。
最後には地を這う電気コード。さっきまで「ネオンだけ!」なんてわあわあ言ってたのに、なんや結局電気コードもあるんやん。となったらごめんなさい。やっぱりネオンがあればコードが必要ですしね。このコードが目につかないように地面を這っているんですが、すごく良い効果を発揮していました。ネオンと建物による人工的な直線だらけの空間のところどころに、草や木や落ち葉、そしてこのコード。コードは地面を蛇のようにウネウネと曲線を描きながらコンセントとネオンをつないでいて、それが地面の草や落ち葉とうまく相まって素敵なんです。

ま、そんなこんなでしずかーーーにテンション上がっていた私たち二人。最後に友達が「ここのネオンてどこかの一点から見たら「命」とかなってるんでしょ。」と「命」ポーズをしながら言ってくれてすごく笑ってしまったのを思い出します。いつまでも古いネタで笑えるのが海外在住者。でもほんまにそうなってたら素敵すぎる!

リヨンに1月までに行く機械のある人は是非ここに寄ってください、おすすめです!
入る時にチケットを見せようとしたけれど、「あーいいよいいよ。」という感じだったので、多分無料かな?


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12/02 07:07 | 未分類 | CM:2 | TB:0
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