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Herman Diephuis 「Paul est mort ?」
土曜日にHerman Diephuisのダンス公演を見に行った。彼の作品を見るのは、「D'apres J.-C」「Julie entre autre」に次いで三つ目。2、3年前に初めて見た「D'apres J.-C」がかなり衝撃的で「Julie entre autre」も面白く、そして今回の「Paul est mort ?」で、私はこのコレグラファーが好きだと思った。

今回の作品は、「イエス キリストより有名」とまで言われるビートルズというイコンをテーマにしたもの。「D'apres J.-C」ではルネッサンス芸術に見られるキリスト像、そして「Julie entre autre」では映画「サウンド オブ ミュージック」の主人公を演じたジュリー アンドリュースという、イコンをモチーフにした作品だった。

ビートルズが演奏中、音楽が聞こえなくなるほど泣き叫び失神するファンたちを模写したダンスから始まり、ビートルズが様々なメディアに残し私たちの記憶、いや現代史の一部にもなっているビートルズのメンバーたちの笑顔やポージングを再構成したダンスに続く。それらは徐々に破壊され疲れを露にしながらも、途中で立ち止まることをゆるされなかったビートルズのように、繰り返される。しかしその身体的精神的バランスが崩れていくのが目に見えていても、音楽はダンサーを煽ぎ続ける。公演の最初にポール以外のもうこの世を去ったメンバーを表しているのであろう(リンゴはまだ生きてるか。忘れてた。)ダンサー三名が自ら舞台中央に組み立てたドラムセットは、同じリズムを刻みながらも、ひとつずつひとつずつ解体され、最後にはドラムを叩く動きだけがダンスのコンビネーションのように残る。それはまるですこしずつはがれていく仮面のようでもあり、時代と社会とメディアとファンと、そんないろんなものが壊してしまったビートルズという天上のアイドルの亡がらのようでもあった。

「D'apres J.-C」「Julie entre autre」そして「Paul est mort ?」と、Herman Diephuisは私たちが簡単に知覚することのできるイコンを用いて、プロパガンダで利用される視覚に訴える反復性とその強さ、またその物哀しさを見せてくれる。しかしそれはただ単にコンセプトやメッセージ性の強い舞台公演というだけに留まらず、ダンスに求められる身体の美しさや技術も充分に発揮され、また笑ってしまうところもある、素晴らしい作品に仕上げられている。

来週ポンピドゥーセンターでのHerman Diephuisの「Ciao Bella」が仕事の都合上見に行けないのが残念。

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01/19 08:39 | コンテンポラリーダンス | CM:0 | TB:0
Soulages/スーラージュ @ ポンピドゥーセンター
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去年の間に二度も行こうとしてポンピドゥーセンターの前まで来てみたけれど、その二度ともストライキ中でセンターが閉まってて見れなかった、曰く付きの「スーラージュ」展。やっと行ってきました。バーゲンが始まった最初の週末は美術館に人が少ない!そのうえ横でやってる「La Subversion des images」展が最終日だったので、ラッキーなことにスーラージュのほうはガラガラでした。

ピエール スーラージュは1919年生まれのフランス人画家。現在存命中のアーティストでは世界で最も有名なフランス人アーティストと言えるのではないだろうか。それは「芸術作品」としてアート界またアートラバーたちにしっかり評価され愛されているという点と、また「商品」として最高値で売買が行われているいるという点においても、「存命中の最も重要なフランス人アーティスト」と言える。それはこの展覧会に展示されている作品のほとんどが、(それも美しいものほど!!)個人蔵であることからも伺えるかもしない。

「黒と光の画家」と呼ばれるスーラージュ。油絵やアクリルなどのキャンバス画を目にすることの多い彼の作品だが、この回顧展では初期のクルミ塗料を用いた紙の作品群から、ガラスにタールで描いた作品なども展示されていて、これらが第二次大戦直後の40年代後半から50年代にかけて制作されたものだということを考慮に入れると、その現代性に感動さえ覚える。回顧展とは言え、スーラージュの近年の作品に重きを置いたという今回の展覧会。70年代までのキャンバスを白く塗ってから黒やその他の茶褐色や群青色を塗り込める作品たちのあと、天井も壁も床も真っ黒な部屋に、三点の真っ黒の作品が浮き上がるように展示されている。この展示室に足を踏み入れた瞬間、いままでの作品たちはこの展覧会にとって、そしてまたスーラージュの60年に渡るキャリアにとっての序章でしかなかったことを、非常な緊張の元に感じる。アーティスト自身が「outrenoir/ウートゥルノワール(「黒を越えて」または「黒の向こう」)」と呼ぶ真っ黒の作品たちが躍動しながら私たちの目に迫る。スーラージュの作品を一度でも実際に目にしたことのある人ならばすぐにわかっていただけるだろうが、黒と言ってもその表情は様々だ。まるでたったいま制作されアトリエから出されてきたように、またはまるで汗をかいているかのように、光り輝く黒。深淵を思わせるような漆黒。キャンバスの縁に塗られた群青色に囲まれ反射する黒。それらはスーラージュ作品の特徴の一つでもあるPolyptique/ポリプティック(多数のキャンバスを組み合わせて一作品を構成する絵画とでも言えばいいでしょうか)のつなぎ目と、油絵の具を削り取る手法によって加えられたキャンバス上の凹凸と共に、絵画作品に彫刻のような三次元性を与える。

この展覧会で最も楽しんでいただきたいのは、展示の音楽性だ。音楽に疎い私がこんなことを言いだすわけだから、もしかしたら「全然違う!」という意見もあるかもしれないが、一歩足を踏み出すごとに、また体や顔の向きをほんの少し変えるごとに、その風景が音楽を聞いているかのようにどんどん変化し続ける。つい最近までパリ市立近代美術館で開催されていたAlbert Oehlenの「Realite abstraite」展でも同じような感覚が私を襲った。時間という軸の上に音楽が成り立つように、私が起こすムーブメントの軸によって風景がかわっていく。この体験というものは全ての展覧会で感じるべきものだと私は思うが、それを起こすのは非常に難しく、キュレーターとアーティストの力がここでわかるとも言える。日本で開催される人気展覧会で、満員電車のように柵に寄りかかって一歩ずつカニ歩きでガラス張りの作品を見て行くのは、本来の意味での「展覧会」ではない。それはまるで草原を散歩しているかのように体験するべきものだと私は思う。その感覚をこのスーラージュ展では大いに楽しむことができる。一点一点の作品のド真ん前に直立して、何時間も絵画と自分の間の空間、そして自分の頭の中の活動を楽しんでもいい。また一歩一歩変化し、一瞬ごとに現れてくる作品たちの林を楽しんでもいい。何度行ってもきっと別の楽しみがここにはあるだろう。




2009年10月14日から2010年3月8日まで。

こんな風に書いてますがね、私最後のほうほんまはちょっとあかんかったんですわ。なんでかって言うとね、スーラージュってほんまにほんまに偉大でしょ。上にも書いたように批評でも作品の値段でも、最高とされるアーティストでしょ。ほんでまた今年90歳やのにばりばりの現役で、腰もまがらんとえらいしゃんとしていっつも黒の服をきれいに着こなして白い髪を後ろになでつけて、するどい視線であいかわらずおじいちゃんやのにめちゃくちゃ男前。作品も展示もなにもかも完璧でね。最後のほう、ほんまのこと言うとかなりしんどくなりました。またオルセーでのアンソール展のこと言うのなんですけど、アンソールみたいな「俺やったるでー」的かわいげもないし、ひとつの迷いも曇りもないようなキャリアと展覧会と作品。もちろんいろいろあったとは思うんですけどね、60年も画家やってきはったわけやし。でもねえ、全て完璧すぎて、全てが傑作すぎて、なんか自分で「これはあんま好きちゃうわ。」と思ったらあかんような気になったりして、一息つけなくて、しんどかったです。多分これで亡くなってはったら多分大丈夫やけど、いままだ現役ってのがその神様、はたまた仙人のような雰囲気を醸し出していてねえ。誰も何も言えない。
おもいっきり打ちのめされました。良い意味で打ちのめされたんじゃなくて悪い意味でね。
なんかたまには失敗してるとこ見せたり、アホなこと言ったりしてほしい。ま、こういうのは作家自身が亡くなってからの研究やキュレーションによって出てくるもんですから、彼ほどの力のある、また完璧なアーティストの存命中には彼のそんな展覧会を見ることはないでしょう。彼がまずそれを許さないだろうしね。いつか亡くならはっても、そのあとは奥さんが仕切ったりするから、まだまだ先ですね。
というわけで、もう少ししたら二回目行ってきます。自分の心の余裕を持って、スーラージュ、上から目線で見たるで!ぐらいの勢いでリベンジしてこようと思います。


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01/12 02:04 | 展覧会 | CM:4 | TB:0
Alain Fleischer/アラン フレッシャー「Choses lues, choses vues」 @BNF site Richelieu
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フランス国立図書館リシュリューのSalle Labrouste/ラブルースト室が、昨年のソフィー カル「Prenez soin de vous」展に引き続き、1月30日までアラン フレッシャーの展覧会開催と共に公開されている。Salle Labrouste/ラブルースト室というのはその名の通り、アンリ ラブルーストという19世紀の建築家が設計した閲覧室のことで、当時の先端技術が可能にした細く長く伸びるエレガントな鉄柱とガラス張りの丸天井で有名。

私が美術史の学生であったときはこの図書館にもお世話になったけれど、ラブルースト室はずっと工事中かなんかで入れませんでした。でも授業や勉強のためにこの図書館に来る度に、ドア越しにこの閲覧室を眺めたものです。リヨンで学んだ建築史の数多くのモニュメントのうちの一つがこれでしたから、パリに来て、いままで本で見て勉強してきたものの中で今度は勉強するのかーと不思議な気分になったものです。この展覧会が終わればまた新しく改修工事に入るらしく、将来は美術史関連の研究者や学生のための閲覧室になるようです。でもきっと私はここで閲覧するの嫌いだろうと思います。私が学生のときはこちらのSalle Ovale/オバール室が閲覧室(今も多分そうだと思います)だったんですが、もーなんやしんきくさくて暗くて全然楽しくないところでしたねー。美人には三日で飽きるという言葉を思い出しました。


さて、そんなことはどうでもいい。

アラン フレッシャーという作家でありビデアスト/映像作家でもあるアーティストの「Choses lues, choses vues」という展覧会。「Choses lues, choses vues」を日本語に直訳すると「読んだもの、見たもの」。私たちが本を読む時、その読んでいる文章で構成される「読んだもの」はもちろん記憶の中心に存在するけれど、その読むという行為を行っている時に、自分を取り囲む風景は私たちの記憶のなかで「読んだもの」とは切り離せないものになっている、そんな「見たもの」、にも焦点を充てている。はっきり言ってしまえば図書館の閲覧室という場所は研究や学習の場ではあるけれども、実際そこで「読書」をすることは皆無だと言える。そんな、本を読まないSalle de lecture/閲覧室(閲覧室としていますが、このフランス語を直訳すると、読書室)で、「本を読む」ということを見せようとしたときに、アラン フレッシャーはその本を読んでいるときに私たちが五感で感じる空気を重視する。

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音読される文章は批評、小説、童話、エッセイなど様々で、作家もアラゴン、ダニエル アラス、アントワン アルトー、バタイユ、ワルター ベンジャミン、モーリス ブランショ、カミュ、セリーン、シャトーブリアン、コクトー、フローベール、フロイト、グリム、カフカ、ル クレジオ、ミショー、ニーチェ、エドガー アラン ポー、リルケ、サリンジャー、スピノザ、スタンダールなどなど。日本人作家では村上春樹の「羊を巡る冒険」、小川洋子の「博士の愛した数式」、そして清少納言の「枕草子」のフランス語訳があった。

全ての本を読んだことがないにしても、有名な文章は記憶のどこかに潜んでいるもので、それを音読しているビデオの中の人と一緒に体験する。それぞれのビデオは蓋を開閉して閲覧するようになっているので、ビデオの中で起こっていることとその前にいる自分との間の空間、そして本に向かって目を伏せて音読をしている読者たちの本と顔の間の空間がリンクする。彼らはときには有名人であったり、ときには無名の男女であったり、年齢も、声の震えるお年寄りから思春期の子供、または文章を読むことにまだ慣れていない小学生たちまで様々で、皆がフランス語を読むわけだが、なかにはアクセントの強いケベック人や中国人、はたまた地方のアクセントが聞こえてきたりする。有名人で私がわかったのは、フレデリック ミッテラン、オリヴィエ カペラン、ブリュノ ラシン、カトリーヌ ミエ、ロール アドラーくらいかな。

もちろん非常に上手に朗読する人もいれば、たどたどしい人もいる。アクセントが強すぎて何を言ってるのか集中して聞かないとよくわからない人もいる。でもここで上手に読むことは大切なことではない。いかに自分と本という二人だけの世界にはいるのか、そこが本を読んで幸せになれるかどうかの境界線になる。そしてその世界が存在したときに取り囲まれていた風景が90を数えるビデオの中におさめられている。公園の芝生の上、ベンチ、カフェのテラス、自宅の居間、寝室、学校の教室、図書館、通勤電車の中、車を運転しながら、歩きながら。その読書のあいだにふいた風、見えた景色、木々の緑色、さえずる鳥の声、通り過ぎる車の騒音、煙をくゆらす煙草、飲んだコーヒーの味、そんなすべてのものが読書の幸福を形成してくれる。

読書という個人体験とは異なり、文学に対する共同体験であるとも言える、文学作品を扱ったオペラや映画の一部が何分間かに一度、ラブルースト室に大きく映し出されるのも、なかなか面白かった。あの上映がなかったら、くらーいところでひとりひとり思い思いにビデオを眺めるだけで、のっぺりした展示になりそうなところを、展覧会を見に来ているビジターたち全員が何分間かに一度だけ、同じものを見る、というのが展示の良いアクセントにもなっていた。

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アラン フレッシャーは見た目は本当に胡散臭そうなおっちゃんですが、彼が手がける展覧会はいつもすごくセンスがいいし、彼にしかできないごちゃごちゃした静謐を見せてくれるので、好き。今回も、いかにもインテリのための展覧会のように仕上がっているのかな、という私の予想を見事に心地よく裏切ってくれた。有名でなんだか難しそうで、普段読書をしない人たちには敬遠されそうな文学作品を、こんなに身近に感じれるものにして、きっと「この本読んでみたいな。」「あ、こんな読み方なら私もできる。」なんて思わせてくれる読書という幸福体験への素晴らしいエントランス的効果があるこの展覧会。おすすめです。


このサイトから展示されていたビデオのいくつかが見れます。読まれている本の作家名、、タイトル、読んでいる人の名前(有名人のビデオが多くセレクトされてるよう)、読んでいる場所が書かれています。
どうぞ良い読書を!!

こちらは展覧会紹介ビデオ。



2009年10月23日から2010年1月30日まで。

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01/11 17:49 | 展覧会 | CM:0 | TB:0
La Subversion des images Surrealisme, Photographie, Film / イメージの転覆 シュールレアリズム、写真、映画 @ ポンピドゥーセンター
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2010年初の展覧会はポンピドゥーセンターでの「La Subversion des images : Surrealisme, Photographie, Film / イメージの転覆 : シュールレアリズム、写真、映画」 展。そうですよー。もちろん今年の抱負も「ブログをいっぱい書くこと」です。毎年この目標を掲げてますが、達成できたことはないですね。でも今年はほんまにがんばる。

この展覧会はタイトルそのまんま。シュールレアリズムと一言でいってもその体系は文学、絵画など様々ですが、そのなかでもシュールレアリズム運動の躍動を最も強く表し、その発展や研究のために必要不可欠であったと言える写真と映像を取り上げた展覧会。

もう来週には終わってしまうから、今日の夜行っとこ。と思って仕事帰りに寄ったんですが、これが予想をはるかに上回る良さで、普段は大きな展覧会でも一時間もかけずにちゃっちゃっちゃーと見てしまう私が、閉館時間までの1時間半までで、半分しか見れませんでした!というわけで、後半は予定を変更して明日の夜、仕事帰りにまた行ってこようと思います。

半分しかまだ見ていないのに何かを書く必要はないかもしれませんが、「明日書けばいいわ。」とか思い出したらもう最後。どんどん怠惰になっていくので今日のうちにすませておきます。

私はシュールレアリズムやダダなどの作品が好きなので、この展覧会を好きだというのもありますが、今回のこの「La Subversion des images Surrealisme, Photographie, Film」展が非常に良いと思う点は、中途半端に途中でちょこっと絵画持ってきたり、文学からの引用を壁に這わせてみたり、ということが一切なく写真と映画のみの展示に終始し、普段は長い説明文のある展覧会が大嫌いな私でも、かなりの数の説明文が非常に的確で非常に興味深く、作品と照らし合わせて観賞することができました。

また、シューリレアリズムと聞いて、誰もが思い浮かべるようなマン レイやハンス ベルメール、ダリ、ブラッサイなどの有名な作家の作品もふんだんに展示しながら、一般には無名とも言えるClaude Cahun/クロード カウン、Raoul Ubac/ラウル ウバック、Jacques-Andre Boiffard/ジャック=アンドレ ボワファール、Maurice Tabard/モーリス タバールなどなど、挙げていくとキリがないシュールレアリズム運動に関わった数多くの作家たちの作品を多く発見できたこともこの展覧会が与えてくれる喜びでした。

シュールレアリズムの写真や映画と言うと、どこまでがいわゆる「作品」と呼べるものでどこからが「アーカイブ」の域に入るのか難しいところですが、写真、コラージュ、映画、出版本等々、約400点が展示されています。この運動が好きだと言っても、私はそのシュールレアリズムというものが美術史や私たちの生活に与えた意味が面白いと思うので、特にこの作品が好きだ!というものを見つけるまでに至らないことが多いのですが、この展覧会で特に私の目をひいたのはピカソのミューズとして有名なドラ マールのフォトコラージュとJean Painleve/ジャン パンルヴェの作品群でした。

最近、私が良かったと思う展覧会は、それぞれのアーティストたちの知識や才能、技術などではなく、生活や性格、好奇心などが展覧会からどんどん沸き上がってくるものが多く、例えばオルセー美術館での「ジェームズ アンソール」展などが挙げられます。そしてそれはもちろん私がシュールレアリズムの作家たちが好きである理由と一致し、またこの展覧会ではその点が充分に見せられていると思います。チェスの碁盤模様、演劇、女性の身体、動物、人間の顔、光と影、などシュールレアリズムの作家が興味を持っていた要素はもちろん、彼らの活動や当時発明されたフォトマトン/証明写真機や、今でも観光地に置いてあるような顔を嵌めることができる看板などに、子供のように魅了されたことなど、作家たちがその時代と人生を謳歌しているのをありありと感じることができる展覧会。

明日見に行く後半は、私が大好きなエクリチュール オートマティックや、誰もが知っている女性の身体を撮った作品など、見所が特に多そう。楽しみーー!



2009年9月23日から2010年1月11日までポンピドゥーセンターにて。

ここからこの展覧会に関するいろんなビデオが見れますよ。


展覧会の予告編。


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01/07 06:58 | 展覧会 | CM:2 | TB:0
あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

このフレーズを言っていいのはいつまででしたかね?
別に新年のご挨拶をわざわざブログでする必要もないし、私が知ってる人はどうせこのブログをあまり見てないだろうからここでよろしくお願いする必要もないんですが、まあね、一応ね。

そんなことよりも!
新年早々心臓がどきどきすることが起こったので、報告です。
前の記事でtwitterを始めましたと書きましたが、今日ぼんやり知らない人がフォローしてる人たちのリストを見て、発見したのです。


ON KAWARA !!!!!!!!!


これほんまにすごくない?まじですごい。見つけた瞬間、え、ほんまに?ほんまのほんまに?私の読み間違い??となって、体中にぞわーーーっと鳥肌がたちまして、涙目になってしまいました。早速フォローのクリックして自分のとこに彼のtweetが反映されたときの感動と言ったらそりゃあもう。自分が現代美術史の一部になったような気がしましたよ。


彼の個展を見たことはないですが、どこかのギャラリーで、またはどこかの展覧会で、彼の作品に出会うと私はいつも心臓がどきどきして、それが触れる展示だったりするときにゃあそらもう手が震えるのです(もちろん手袋はめてね、みなさん)。



なんかtwitterが崇高な世界のように見えてきてしまったからちょっと困る。


新年のご挨拶ではなくて、これが言いたくてこの記事書きました。

今年はなんかいいことありそー!(って本厄なんですけど。お祓い行けないなーと気がかりだったけど、もうなんか祓ってもらった感ありです。)


みなさんもよいお年を。




01/05 06:50 | ワタクシゴト | CM:0 | TB:0
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