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ヴァンサン ガニヴェ/Vincent Ganivet (カンディダ ヘーファー/Candida Hoferもちょこっと)
書こう書こうと思ってて、ええ、もう何週間たった?二週間くらいかな。
パリもアート新学期を迎えて、9月2週目はヴェルニサージュラッシュ。ここ数年現代アート巡りからすっかり遠のいてる私ですが、ここ数ヶ月パリに滞在されている知り合いに、「かなさん、やっとギャラリー開いてきたから回ろうよ。」ということで、私も重い腰をあげたのでした。
結局は10軒も回らず、カフェでビールばっかり呑んだ土曜の素敵な午後になっただけでしたが。

さて、そんななめたギャラリー巡りでしたが、最後に行ったGalerie Yvon Lambertが良かった。ギャラリー巡りをするまえから、どこよりも「これは見たい!」と思っていたので、見終わった後「さーええもん見せてもろた。帰ろ帰ろ。」「やっぱりYvon Lambert、ちゃんと見せるなあ。お腹いっぱい!」となった、Vincent Ganivetの「Noli Me Tangere」展とCandida Hofer「Erinnern」展。二つの展覧会は同じ展示室で同時開催なので、日本風に言えば二人展となるのかしら。

Candida Hofer/カンディダ ヘーファーは1944年生まれのドイツ人写真家。ベッヒャー派の代表的アーティストなので、現代アート好きなら多分一度は作品を見たことがあると思います。欧米の図書館や美術館や劇場などの比較的「豪奢」だったり「重厚」だったりする建築物の内装を、がっつり真っ正面から撮影した作品で有名。
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しかしこの記事で紹介したいのは、ヴァンサン ガニヴェ/Vincent Ganivet。1976年生まれのフランス人アーティスト。
ヴァンサン ガニヴェがイヴォン ランベール ギャラリーの取り扱い作家になるとわかったときには、同世代の若手たちの羨望の的でしたねー。イヴォン ランベールのような有力ギャラリーに最初から入る(小さな若手ギャラリーの専属になって、そのうちちょっとずつ大きいとこにひろわれて、どんどんギャラリー替えしてキャリアアップ、というのが一般的なアーティストの這い上がり方なので)と、せっかくの才能がつぶされるだのなんだのと周り、特に同世代から妬みとも羨みともとれる非難を受けるアート界ですが、ガニヴェのランベール入りはなぜか皆納得。やっぱり彼の作品いいからな。なんか逆にうれしい。フランス人の若手アーティストが世界的に有名なフランスのギャラリーに入るっていう、普通に思えてなかなかそうはいかないことが、ここでは可能になってるのがうれしい、という感覚かな。

で、今回の一押しはこちらでした。イヴォンランベールのガラス張り天井の展示室を利用しての作品。私が今まで見たことのあるガニヴェはコンクリートブロックの作るカーブがひとつひとつわかれているものばかりだったけど、今回はカーブが上で組み合わされている。これ、難しいだろうなあ、設営。そんなわけで、視線は常に上のほうへ。他の作品では視線は各カーブのラインを追うのに、これは目が上に釘付けでしたねー。いつも使ってるカラフルな荷物運送用の縄や、コンクリートブロックの間を埋める木片をあまり目立たないようにしていたことも、視線が上のカーブ集合部分にいく効果を増長させていたのかもしれません。ルイーズ ブルジョワの巨大蜘蛛のような優しさも併せ持つ作品。
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他には、これ、ウチの台所もアートになるわねー、という彫刻とか。うまく重ねられて均衡を保つ食器の上に水が弧を描く、プチ噴水。まあウチなら噴水が色とりどりになっちゃうけど。
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コンクリートブロックという扱いにくい建築資材を用いながらも、造形美と均衡美を追求するガニヴェの作品。今週末にパリで開催される徹夜の野外現代アートイベントNuit Blancheにも参加するようです。機会がある方は是非、10月1日の夜にBibliothèque historique de la Ville de Parisの中庭へ!

ガニヴェはもうそこらじゅうでコンクリートブロックのカーブ彫刻やってるから、見飽きた感があって、友達のアーティストなんかと「もうそろそろほかの作品出した方がいいんじゃないの」なんて言ってたけど、同じ素材でも少し違う展開を毎回見せてくれるので、前もって斜め目線で準備してる飽きた感が毎回覆される。そんなうれしい作家。

ちなみに私が今までに見たことのあるガニヴェは、
Dynasty展。こちらはパレ ド トーキョー。ちっちゃいですけど、奥にちらり。見えるかな。
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そして同じくDynasty展。パリ市立近代美術館のsalle dufyで。
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この夏に見たのがこれ。えーっとどこだったっけ。たしかparc saint leger。やっぱかっこよかった。
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09/30 00:03 | ギャラリー | CM:2 | TB:0
あなたもリヨンビエンナーレのビデオキュレーターに!
友達からのメールで、そうか、ベネチアも今年だからリヨンビエンナーレも今年か、ということに気づいた。
いくら現代アートに関することにアンテナをはらなくなってしまったと言っても、こんなことをここまで忘れてた自分がなさけなくなるわ。

2011年のリヨンビエンナーレは、Victoria Noorthoornというブエノスアイレス在住のインディペンデント キュレーターの女性によるもので、参加アーティストリストを見ると、いつもフランスで見ることのできるアーティストたちのラインナップとは結構違ってラテンアメリカの作家が多く、なにかおもしろい発見があるかも、と密かに例年以上に期待してます。

さて、そんな今年のリヨンビエンナーレで「これはどうなんやろ、どうしたいんやろ。」と思う公募イベントを見つけた。
ビデオキュレーターになろう!」というもので、youtubeから拾った映像を編集して、最低5分最高15分のビデオにして、あなたのキュレーター観を提案してください、というもの。
協賛対策かな?これしてどうするんだろ。
なんか的を得ないし、個人的に腑に落ちないし、これまた著作権とかどうするんだろ、などとごちゃごちゃ考えてしまいますが、とにかく9月30日までが〆切りで、選ばれたらビエンナーレ中に展示(?)されるようです。興味のあるかたは是非!

このイベント(?)のPRビデオもおばちゃんの私には画像の切り替わりが早すぎて、まったく何も理解できないまま終わりましたが、、、、。



今年のリヨンビエンナーレは他にもいろんな公募をやってるみたいで、Teleramaというフランスの雑誌主催の小説公募とか、Causetteという雑誌主催のコラージュ、ドローイング、グラフィックデザイン系の公募とか、ビエンナーレの無料配布シールを使ってなんらかの写真を撮って送ってっていう公募とか、ビエンナーレの公式ポスターとは別口でポスターを作ってみてっていう公募とか、なんだかいろいろ。

なんなんやろ。協賛探しの一環?
09/07 22:00 | 公募展, アーティスト イン レジデンス | CM:0 | TB:0
Christian Marclay/クリスチャン マークレー 「the Clock」
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さー、9月になったぞー!新学期だー!と、現代アート展のカレンダー調べをするために、まず最初にポンピドゥーセンターのサイトを見たら、なんとなんと週末だけクリスチャン マークレーの「the Clock」が上映されるというではないですか!それも無料で、もっちろん24時間上映で、2回まわしだから土曜の朝11時から月曜の朝11時まで。

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私はマークレーの作品が好きだけど、週末の間に結局2回しか行けなかった。土曜の晩ご飯のあとのお散歩で一回、日曜の朝に行ったプールの帰りに一回。ツイッターで「一時間待ち!」だとかボーブール(ポンピドゥーセンターのこと)の近くのカフェでブランチしてたときに横に座ってた人が「二時間待ち!」だとか言ってたけど、なんだかたまたま私が行ったときは待っても10分くらいだったかな。そんなことよりも、せっかくGalerie Sudの展示室使うんなら、全部使えばいいのに、って思ってしまった。上映用に作られたであろう部屋は多分Galerie Sudの三分の一くらいの面積しか使ってなかったから。こんなに人気で人が入るとボーブールも思ってなかったんでしょうか。

さてさて、本題。クリスチャン マークレーは1955年生まれのアメリカ人アーティスト。現代音楽的というのか、音と映像の作品で有名で、今年のベネチアビエンナーレのアーティスト部門金獅子賞を獲得した売れっ子さんです。そのうえこの「the Clock」の展示での受賞。現在開催中のヨコハマトリエンナーレでも上映されているらしいので、既に観賞済みの方も多いかもしれません。

「the Clock」という作品は、その名の通り、時間というテーマをおもいっきりド直球で真ん中に持ってきて、最後までやりきった作品。この「最後までやりきった」ってとこを私は強調したいし、評価したい。
一日を構成する24時間の毎分ごとを、20世紀を彩る映画やドラマなどの娯楽映像のなかで、時計を映すシーンや時間についての短いセリフ、時や速度を感じさせるようなシーンを切り貼りして、作品のなかにあらわれる時間が、現実に流れる時間と全く同じにしたもの。
こう書くとコンセプトも明確だし、わざわざ観に行かなくてもいいかもーなんて思ってしまう人もいるかもしれない。実際私が一番そんなことを思いがちな人間だし。でもそこはクリスチャン マークレー。コンセプトだけじゃない、観客を飽きさせずに作品を見せる妙を心得てる。
やっぱりなんといっても、編集がうまい!ドアを開けるシーンや電話越しのシーンで二つ三つの映画を交わらせるのはもちろんのこと、あるシーンで誰かがかけた号令を他の数本の映画で速度を表すシーンに続けたり、教会の鐘楼から見下げるシーンと摩天楼のビル街を見上げるシーンをつなげたり、とにかくとにかく、ひたすら私たちに、時代と場所の瞬間移動をしてるような気分をもたらしてくれる。

この24時間の作品を24時間見続ける人はただのアホか暇人だと思うけれど、これを24時間にする、そしてそれを24時間上映することの意味は絶対にある。3000本もの映画が使われているこの作品は、まるでテレビの前でチャンネル替えをしてるような、いつまでもいつまでも見てしまう映像の魅力を持っているし、マークレーの編集力がその受け身のチャンネル替えを飽きさせないものにしてる。夫が「ウチで寝る前とかに数分見たりしたいなあ。DVDとか発売したらいいのに。」なんて言ったけれど、私はそれには反対。なぜなら、「いまもマークレーの「the Clock」は上映中なんだ。」と見に行ってないときにも思うことも作品の一部だと思うから。この作品は、ただそこにあるもの、流れているものとして捉えるべきだと思う。そう、まさに時間そのもののように。それがこの作品が24時間である理由だと思う。

使われているシーンとしては、なんといっても、やっぱりアメリカ映画が多かった。
それとフランス映画も少し。フランス人のアシスタントでもいるんだろうか、マークレーのアトリエには。
in the mood for loveのトニー レオンが会社で煙草を吸いながら残業してるシーンなんかがあったけど、あれはハリウッド映画なんだろか、香港映画なんだろか、香港かな。
日本映画では小津の「東京物語」かなあ、原節子が電車の中で懐中時計の蓋をあけるシーン。原節子のしぐさが美しすぎる。ものすごい数の映画のシーンが数秒ごとに目の前に現れるのに、このシーンの力は本当にすごかった。ぴたっとなにかが変わった。
やっぱりアメリカ人アーティストが作ったってこともあるだろうけど、誘拐やら銀行強盗やら殺人やら浮気やらタイムスリップやら地球救ったりやら、アメリカ映画は時間を気にすることが多いんでしょうね。
あとなぜかソニーの目覚ましラジオが何度も何度もいろんな映画で使われてたことを発見!
私はそこまで映画マニア!というわけではないけれど、計3時間ほど見て、20本くらいは知ってる映画があったから、映画マニアの人は本当におもしろいんじゃないかなあ。「あーあれなんやったっけ!」となる。

最初に上映を観に行ったとき、「お金があればできるだろうから、芸術作品としては魅力を感じない。」という夫。うーん、ナイーブだわ。そういうとこがいつまでたっても夢見る青年風でいいんだけども。と思いながらも、私はそうは思わないので、大議論。私はお金と時間だけじゃ作品ってできないと思う。そしてさきほども書いたけれど、コンセプトに沿って最後までがっつりやり抜く。きっと鑑賞者の私たちは気にならないであろう細かな部分も、マークレーはものすごい厳しさで作品を作り上げてるのを見てて感じる。それがめちゃくちゃ気持ちいいのだ、私としては。メガギャラリーやメガ美術館やメガコレクターなんかの巨大マシンによって成り立つ作品なのは一目瞭然。でもそれでもいい!こんな作品、さいっこーにフランソワ ピノーやらヴィトン財団がほしがるドンピシャやと思う。それがわかりやすすぎて、でもどこまでも魅力的。私はアート市場のバブルぶりを嘆くよりも、なんだかそれがすごく爽快に思えるときがある。

私は京都人でいらちやから、今回のような週末だけの特別上映でこの作品を見ることができて良かったなあって思う。例えばこれが時間と疲労との闘いで回るような国際展なんかに入ってたら、私は「はいはい、コンセプトはこれね。とりあえず5分くらい見て次行こ。」となって、今回のように時代トリップしてるような気分でゆっくり「あー、これなんの映画やったかなー。」なんて楽しめることはなかったかもしれない。夜に観に行ったときはもちろん寝る前のシーンとか、どちらかというとなんだかおどろおどろしいこわーい感じのシーンが多かったけど、お昼過ぎに観に行ったときは思ったより食事のシーンが少なくて、逆に時限爆弾と格闘してるシーンなんかあったり。

しかしそれにしても一番謎なのは、著作権の問題。著作権どうなってるんだろうか。全部払ってるのかな。作品の値段が知りたいわ。

左から、ロンドンのギャラリー ホワイトキューブで「the Clock」が上映されたときのカタログ、現代アートラバーの味方ファイドン社のマークレー カタログ、そしてニューヨークのホイットニー ミュージアムでの個展カタログ。
  




09/07 06:55 | 展覧会 | CM:1 | TB:0
2011年8月備忘録
8月は文化的なことといえば、映画のみ。
だってー、夏のパリは展覧会も舞台公演もなにもかもバカンスなんやもーん。

というわけで、私の予想を裏切り、8月のカルチエラタンの映画館たちは毎日満員御礼です。
8月末なんて、3館とも満員で、わざわざ行ったのに入れなかったことあったもん。
良いことや。

黒澤明特集がかかっていたので、しっかり満喫させてもらった。ついでに図書館で黒澤明に関する本まで借りてきちゃって。ものすごい集中力とテンションで最初から最後までぐいぐい、ブルドーザーみたいに突き進む映画たち。そしてそのメッセージたるや真っすぐすぎてポキンと折れてしまいそう。そしていつも暑すぎる真夏が舞台。かっこよすぎる。三船敏郎が汗かき過ぎでも、三十路の人妻は、あのむっちり感溢れる体にうっとりします。

 

  


リストもどうぞ。
09/03 02:14 | 備忘録 | CM:0 | TB:0
Hussein Chalayan/フセイン チャラヤン 「Recits de Mode」展
アールデコ美術館で開催中のフセイン チャラヤン展に行ってきた。
ここ二年ほど、観るという行為と感覚が自分の中で飽和状態になっていて、現代美術の展覧会に足を運ばなくなってしまってますが、なぜかアールデコでの展覧会には毎回行ってる。映画とかオペラとか、現代美術から心が少し離れてる今でも、文化的生産物には触れていないとなんだか苦しくなる体質の私には、「もの申したり消費したりするほどじゃないけど観るの好き」というディスタンスのモードは心地が良い。

まず最初にはっきり言いますが、ルーブルに隣接するアールデコ美術館のモード館の展示室は本当に居心地の悪い場所です。天井は低いし、展示会場はブースに分かれているようになっている上に、すべてなぜかガラス張り。照明は意地悪されてんのか、嫌がらせか、または省エネ??と皮肉に思うくらい暗い。っていうか見えん!!
そして展示自体は非常にアカデミック。そう、この展示内容のアカデミックっぷりが、どんなに会場が感じ悪くても、私がここの展覧会に足を運ぶ理由。多分モード界に生きるプロの方達には物足りない展示だろうと思うけど、私にはこの教科書的展示が非常に勉強になるし、おもしろい。現代美術の世界では、こういうアカデミックな展示からどんどん離れようという傾向が強いなか、なんだかほっとするのです。鑑賞者にやさしい展覧会。

しかし今回のチャラヤン展、時系列的にチャラヤンの作品やコレクションを展示するのではないんだけど、だからといって特にテーマ別ということもなく、まあ大きくわけて、うーん、展示会場の一階部分が自然とか宗教とか文化風俗とか諸々で、二階部分がテクノロジー?うーん、ちょっと違うかなあ。
という感じではっきりいうと、ごちゃ混ぜ感満載。

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フセイン チャラヤンは1970年生まれのトルコ人ファッションデザイナー。アーティスト的活動もしていて、私は2005年に初めて行ったヴェネチアビエンナーレのトルコ館で見たビデオインスタレーションが素晴らしかったのをよく覚えています。

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今回の展覧会は前評判が非常に良かったので、かなり楽しみにしていたし、実際いろいろと勉強になっておもしろいっちゃあおもしろかったんだけれど、うーん、なんか展覧会を見に来たという感じではなくて、展覧会カタログをめくっている感じがあった。なぜか、というのは、いくつかあるんだけれど、第一にコレクションと作品がごっちゃになっていたところ。私としてはコレクションとアート作品をしっかりわけてほしかった。もちろんチャラヤンというデザイナーでありアーティストである人物のことを考えると、そこに垣根はないんだとかなんだとかいう言い分もわかる。いや、でもほんまに見にくいだけになってるから、というのが本音。

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じゃあ、ごっちゃになってる、プラスα、腑に落ちないことはなんだ、というのを考えた。ファッションショーとかコレクションとかを展示という形に落とす場合、やはりショーを撮影したビデオや写真なんかの抜粋と数体のマネキンになるのが基本だというのはわかる。でも、俗にアートと呼ばれる作品の場合は、その抜粋を見せることは「展示」とは呼ばないと思う。そこが私としては気に入らなかった。アート作品としてのビデオやインスタレーションまでも、ガラス越しでの展示。ビデオ作品もガラス越しでガラスに周りにある展示のライトやマネキンやらが反射して、作品自体を楽しめない。っていうか、ちゃんと見てね、っていう心が感じられない。コレクションもアートもどちらもまったくおなじように、まるで抜粋だけを見せるような展示。それが気に入らなかった。

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一つ絶対的に感じたことは、フセイン チャラヤンのファッションショーを観に行くという体験があるんだろうということ。
私はファッションショーを観に行ったことがないけれど、その楽しみな感じ、はなんとなく想像できる。特にチャラヤンのような、思考が身につけるものになるスペクタクルのようなショーは、きっと観に行く前のわくわく感ったらほんとすごいんだと思う。

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ファッションに素人の私の言うことなので聞き流してもらっていいんだけれど、チャラヤンのデビューから現在までを振り返るこの回顧展で、「結局チャラヤンの「カラー」ってなんなんやろ?」と思った。パッと見て、「はい、これチャラヤン。」って誰でもが言えるようなもの。ファッションデザイナーが持っているべきもの。
それをルーチンと言う人もいるかもしれないけど、現代美術の作家はそれを探し求める。自分の「サイン」。その「サイン」を維持しながら、新しいものを作る(まあ一回売れちゃったら同じことやってる人が大半だけど)。
なんかそれが見つけられなかった。コレクションのテーマも、良く言えば「多種多様で素晴らしい!」んだけど、悪く言えば「なんでも器用にできてしまう人なんやな。」という感じ。もちろんフォルムやカットは素晴らしい、そこには全く問題はないけれど、テクノロジー、ジェンダー、宗教、哲学、環境、紛争、そんなもの全部、なんかうまいことまとめてやったはる、という感が否めなかった。まあ、いつもの私の斜め目線のせいですけど。

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そんなわけで、展覧会としては微妙ですが、チャラヤンの作品の一部をさらっとおさらいするにはおすすめです。

去年に東京都現代美術館でもチャラヤン展が開催されたようで、ちょこっと感想なんかを読むと、それはどちらかというとアート的観点からの展覧会だったように思えます。だからそっちを見たかったかも、なんて。

それよりもなによりもファッションショーを見に行ってみたくなった。


アールデコ美術館のサイトから、チャラヤンの作品画像がいくつか見れます。ここ。

アートが好きだけどそれを価格に換算することに抵抗がない私は、下世話ですけど、これを見て「ほんでこの服いくらやろ。」と思ってしまいます。



今回の展覧会会場でも売ってるフセイン チャラヤンの本と、東京都現代美術館でのチャラヤン展カタログ。


09/02 21:46 | 展覧会 | CM:0 | TB:0
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