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Documenta 12 : フリデリツィアヌム美術館/Museum Fridericianum


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ドクメンタ12のことを書くのをすっかりほったらかしにしていました。

さてさて今回はドクメンタ12の中でも毎回メイン会場として使用されているフリデリツィアヌム美術館(Museum Fridericianum)での展示のなかで、私が好きだったものを紹介。

まず会場のエントランス部分にあるJohn McCracken。エントランスなので、みんな素通りしがちだけれど、右と左両面に鏡があって、中心には鏡の張られた長方体。鏡にはエントランスの同じイメージがどこまでも続いていて、まるでラビリンスのよう。それがこの会場からドクメンタ12体験を開始した私の高揚感と緊張感をからかっているようでした。でも「おーし!いくでえー!」とやる気を奮い立たせていざ出陣!

ポール クレーの描いた天使のデッサンコピーに待ち受けられながらも、まずは一つ目の展示室。Lole de Freitasのインスタレーションに包み込まれます。
P1000412L.jpg

なんとこの重量感のある素材でできていながら、ふわりと舞っているような透明感のあるインスタレーション、実は会場の外側にも続いています。あれみたい。あのプールとかにある、長いぐるんぐるんの筒状の滑り台がプールの外まで出てることがありますよね。あれみたいじゃない?
P1000438_1.jpg



その横にはZheng Guoguのろうそくでできた戦闘車。
Zhen Guogu



前回の記事で、やけにフューチャイングされていたと書いたPeter Friedlの作品の中で、私が好きだったものはこちら。
P1000432_1.jpg P1000433_1.jpg

メスのライオンじゃなくてトラが、多分まだ子供だと思うんですが、へびのぬいぐるみで遊んでいるという映像作品。最初見たときは、ライオンじゃなくてトラが蛇をもてあそびまくって食べるという映像だと思いこんでいたんですが、よく見てみると、蛇はぬいぐるみで、ライオンじゃなくてトラはただ子猫のように遊んでいるだけ。でもラライオンじゃなくてトラ=凶暴という私たちの頭に叩き込まれた知識と、きっとうれしくて楽しくて子猫のように気が狂ったように遊んでいるだけなのに、無残に弄んでるんだわ。と思ってしまう偏見が一気に覆された瞬間、「うわ、こわいわー。」という思いが「かわいいなあ。私の猫は今頃どうしてるやろ。」という思いに、切り替わった自分自身に驚きました。


思わずニヤニヤしてしまったのがこちらのパフォーマンスヴィデオ作品。Lin Yilinの「Safety Manoeuvering Across Lin He Road」。アーティスト本人が48個のコンクリートブロックをLin He Roadという大通りの横断歩道の上を左から右へ一ブロックずつ移動させていくというもの。はっきりいってしまえばそれだけのパフォーマンスなんですが、妙に「こういう感覚ってやっぱり大陸の人しか持てないよなー。」って納得してしまいました。なぜかというと、びゅんびゅんトラックや車やバイクの走る大通りを信号が青であろうと赤であろうと関係なく、一定の速度で、それもけだるそーにブロックを動かす。そのブロック移動のけだるさと、その周辺のいらだった喧噪。まったく異なる二つの世界が成り立っている。このコントラストが素晴らしく、なんだか大げさな話になりますが、そこにこそ中国の長い長い歴史を感じるように思ったんです。
P1000418.jpg



こちら展示場の非常に暗い照明をうまく調和して、とても繊細な美しさを見せてくれた、Lili Dujourieの「Gyrus」 「Cecilia」 「Dolores」。一見まるでデッサンのように見えるこの作品は、針金でできたポートレートで、壁に設置されていながら平面と立体の間を行ったり来たりするような体験を私たちに与えてくれます。この記事の一番最初に紹介しているIole de Freitasの作品のように、硬く無機質な材料を利用して、動きのある軽い印象を与える作品作り。しかしその、羽ばたいていくような自由を感じる軽さとは裏腹に、もうそこから逃れられないかのように、針金はきっちり壁に縛り付けられているのです。
liu diugurg



フリデリツィアヌム美術館の前の広場を、ドクメンタ12の開催中、ポピーの真っ赤な花畑で敷き詰めたSanja Ivekovic。フリデリツィアヌム美術館内でも、地味だけれど、私の関心を引いた作品がこちら。「Triangle」。

これらの4枚の写真は1979年5月10日に、アーティストの住む街ザグレブに、大統領がやってきた日のパフォーマンスを残したもので、その日、彼女がアパートのバルコニーにいながらにして行った、3人の人物のコミュニケートの模様。まず一人目は通りをはさんで向こう側の建物の屋根から見物している人(一番上の写真)。二人目は自分のアパートのバルコニーにいる作家自身(真ん中の写真)。そして3人目は彼女のアパートの前の通りを監視している警察官。
このとき、唯一彼女のバルコニーでの行動を見ることができる人物がいたとすれば、それは向かいの建物の屋根にいる人物。ちなみに彼は監視員ででもあるのか、双眼鏡と無線電話を持っていた。また道路にいる警察官も無線電話を持っていた。そのような状況で、アーティストはバルコニーで椅子に座り、ウィスキーをちびちび飲みながら、本を読み、スカートをおろしてマスターベーションをしているような動きをしてみた。すこししたあと、警察官が彼女のアパートのベルを鳴らし、「バルコニーにいる人物と物を移動すること。」と命令した。

このパフォーマンスとその流れを文章と共にたった4枚の写真だけで、まるで目の前に映像が流れているように想像できるんです。素晴らしい構成力。
maria



ここまで記事を書いて、いまふと思ったんですが、ドクメンタ12のテーマだなんだと難しいことは関係なく、フリデリツィアヌム美術館の展示で私の眼を惹いた作品は全て、両極端の二つの感覚を持ちながら、そのふたつが調和してお互いをつぶし合うことなく共生している作品ですね。
素材の硬さと作品の印象が持つ柔らかさ。
逆に素材の持つ可変性と重苦しい主題。
また主題の持つ荘厳さや真面目さと、それを「真剣に」からかう真面目さとそこに見えるリディキュール。
私たち観客のア プリオリと実際に目の前にしているイメージとの差異。
そして自分という存在とそれを取り巻く世界という存在。



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09/29 02:18 | Documenta 12 | CM:2 | TB:0
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