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2009年2月7日 パリ市立劇場でのMaguy Marinの「Turba」公演
長いことブログを書いてなかったから、そろそろ何か書かないといけません。
でも書きたいと思うことがない、ないないない。そりゃ大して何も見に行ってないから書きたいこともないわけだ。

ということで思い出したように、2月7日のパリ市立劇場で私が体験したというか、見たことについて書きます。
その日はマギー マランの新作を配偶者と一緒に見に行ったのです。

私にとっての最初のマギー マランの作品は何年か前に見た「シンデレラ」でした。その頃の私はたしかまだひとつかふたつくらいしかコンテンポラリーダンスの公演を見に行ったことがなくて、そんな初心者のとき。ぜんぜんその作品を好きになれなくて、どこをどう見ていいかわからなくて、ただただリヨンオペラ座の最後列の席で、まるでドガの描く絵のような自分の真下に舞台があるという位置から、????を頭の中いっぱいに巡らせて食い入るように見ていたのを思い出します。

いまこれを書いて思い出した、そうだった、あのときもそうだった。
私の隣に二十歳くらいの女の子とその母親がいた。私は何がなんだかわからないし、マギーマランのその作品が良いとも思えないし、どないしましょ、と思いながらも何をどう理解するべきか、ということを必死で考えていた。今から考えれば、彼女たちも、私ときっと同じくらいどうしたらいいかわかってなかっただけだと思うけれど、そこはフランス人、結構な数の人たちが自分たちが理解できないものに出会うとそれについて考えたり理解しようとしたり、受け入れたり、視点を変えたり、そういった努力を一切せずに「あれは似非インテリ茶番だ。」という枠にいれてしまう、ただ、「なぜだ、なぜ私は何も感じないんだ。何が言いたいんだー、ぬぉーーーー!知りたい!」という欲求よりも先に「考えて理解できなかったときにださいし、そうなったら怖いから考える前に投げてしまえ!」となるんですね。だから、ものすごく大きくため息をついたり、「しょうもない。」とつぶやいたり、その母子も二人でこそこそその作品が最低だということを話し始めました
一応ここで言っておきますが、私はものすごい注意魔です。それが知らない人であろうが知ってる人であろうが、どんな年齢のひとであろうが「それはちょっとおかしいんじゃないか。」と思うとすぐ注意してしまう。だまってられない。だからそのときも「静かにしてください。舞台の感想は終わってから話してください。ため息をつくくらいなら、出て行けばいいでしょう。今は見るときですから。」と言ったんでした。「いや、でもしょうもないもんをしょうもないという権利はある。」みたいなことを言い返されて、「その権利を振りかざすのは今じゃなくて公演の後です。今したいなら、外でどうぞ。」と言ったんでした。そうそう。そんなことがあった。もちろんこしょこしょ話をしてるみたいに小さい声でしたが、まあ、注意してる私も他の人からしたらうるさい存在なのかもしれません。


そしてそれからマギーマラン食わず嫌い状態になっていて、結局2008年コンテンポラリーダンス マイベストのなかにはいった、「Umwelt」が、私にとってのマギーマラン二度目の体験でした。もしかしたら他にも見ているかもしれませんが、はっきり覚えているのはこの二つです。
このブログにも書いたように、この作品を見た後は、椅子から立てない、、、、と思うほど、なんなんやろ、あれは。感動ではない。うーん、衝撃?でもない。恐怖に近い何か、と言えるかな?が頭とか全身をぐるぐる駆け回っていたのを思い出します。
あのときは公演中ずっと、轟音を発する強風が舞台を吹き抜けていて周りの人たちからどんどん席を立って出て行く音も気にならなかったんでした。でも公演のあとふと我に返ったら、たくさんの席が空いていて、席にまだついているひとたちでも半分がブーイング、その残りの半分がブラボーと拍手を繰り返していて、公演中に舞台で見せつけられたカオスがそのまんま観客席まで移動してきたかのような錯覚に襲われ、なんか宙に自分一人だけ浮いてしまって、いろんなことをハタからぼんやり見ているような感じでした。


そして今回。どんな公演だったかは、フランス語ではたくさん書かれてるんですが、日本語ではこちらを参照してください。すばらしい。私にはこんなこと逆立ちしても書けません。

私がここで書きたいのはこの作品が良かったとか、そういうことではないんです。
いや、実際すごく良かったんですよ。小道具や衣装の持つ色彩やマチエールの組み合わせ、そして照明の使い方が素晴らしくて、暗闇から浮き上がってくる舞台の一部一部が非常に美しいし、音楽というか音響というかも素晴らしかった。
私は去年の「Umwelt」のときのように、最初から既に座席にはりつけられたようになって、心臓がどくどくどくどく舞台上の熱狂とともどんどん高まるのを感じていたけれど、本当は怖くて怖くてなんだかどうしたらいいかわからなくて叫びたくてしょうがなかった。
でもひとつ、「Umwelt」のときと違って、私の舞台上への集中が途切れたりすることが何度かあった。それは今回の作品では、音響が普通の大きさというか、「Umwelt」のときのような轟音ではなかったので、観客たちによる騒音が気になってしょうがなかった。私には理解できないことだけれど、まあ彼らはわざとやっているのだから、私やその他の観客たちに気になってもらわないとそれらをやってる意味がないのかもしれない。どちらにしても頭の悪い何の教養もない人間たちだと思う。
途中で席を立って出て行く人たち、いや、出て行くだけなら勝手に出て行けばいいし、私も気に入らない舞台なら出て行くことがよくあるけれど、わざと大きな音を立てて椅子から立ち上がったり、会場からでるときにわざとドアをバタン!!と閉めたり。
わざと大きく咳をしたり、大きくため息をついたり、全く関係のないところで皮肉に大声で笑ったり拍手をしたり。
それをして何になる?
それをすることによって、実際はまったく論拠立てて説明することもできないしょうもない批判をしてるつもりなんでしょうか?
そのうえそれで最も大きい被害を被るのは、彼らの隣に座って、静かに作品と必死に対峙している他の観客たちだということが一切わかってない。

私は日本とフランスにしか住んだことがないので、それがお国柄なのか、とかはよくわかりませんが、フランスで暴力的なシーンが多い映画を見ると、そういったシーンでげらげら笑う観客がすごく多いことにいつも驚きます。別にホラー映画ではなくて、うーん、「ヒストリー オブ ヴァイオレンス」とか「ノーカントリー フォー オールドマン」とかそういう系の映画ね。あれはいつもなんでなんやろうと思っていて、あそこでいつも笑っちゃう人は、たかだか画面に映っているだけの映像で現実ではないのに、そのとき目の前で起こっていることが怖くて怖くて仕方ないから、それから逃げるために笑うんだと勝手に思っています。普通に見てられないんでしょう、きっと。で、今回の公演でも「あ!あれと同じ!」と思いました。マギーマランの作品の持つ恐怖感というか、「もうお願い、やめてー!」と叫びだしたくなる緊張感とか、そういうものから逃げたくなったから、みんな笑ったりしてごまかしてるのかなーって。

そんなダンス公演を見るべき正しい環境からかけ離れた状態で、なんとか集中して舞台をみつめていたときでした。

そんなとき、、、、、、観客席から一人の男性が舞台の上に上がって、「僕も公演の一部でーす!」とヒラヒラ踊り始めました。
私は「あ、、、れ?」と思いながらも「ハプニング?これも公演の一部でしょ。」なんて、そんな、だってねえ、考えられますか?現実に観客が舞台によじ上って踊りだすとか、あんたそんなサッカーの試合でもないしねえ。多分大半の観客が私と同じように普通にその光景を「あ、れ?」と思いながら眺めていたと思いますが、「いや、ちょっと待て、これはやっぱりなんかおかしい。」と思ったのは、その乱入男めがけて、怒り狂った男性ダンサー2、3人が「いいかげんにしろーーー!!!」と本気で殴り掛かり、その男が床にばたーーんと倒されたときでした。さすがに舞台の一部でもここまで本気で殴らんやろ、と。一人のダンサーのパンチが気持ちがいいくらいにその乱入男の顔にはいったんですもん。

と、そしたら後ろで「こんな状態じゃ公演は続けられないわ!!!」と叫んでる女性がいて、振り返ったら、おいおい、マギーマラン本人じゃないですか!

「もうーーありえない!!」と叫びながら、彼女が舞台まで降りてきて、会場の照明がぱーーーっとつけられました。

そこで、やっと「これはおかしい。」と確信した私、横にいた配偶者に「これって舞台の一部じゃないよね。」。配偶者は呆然。「いつからフランスはこんな表現の自由が侵害される国になったんだ、、、。」ってアンタ、一言目がそれかい!と思いながらも、私はひたすら「えーー!ありえへーーん。ありえるん?え、ありえるんか。」とそればっかり一人で繰り返していました。

舞台に上がってマイクもなしに会場に話すマギー マラン。「こんな状態では舞台は続けられません。この公演がどうしても耐えられないという方、全く問題ありません。他の観客野方たちのために、そしてあなたたちのために、出て行っていただく権利はあります。」そんな感じのこと言ってました。そこでもちろんかなりの人が出て行きましたが、面白いのは私の周りで出て行った人たちというのは、舞台を妨害するように笑ったり、わけのわからん拍手をしたり、うるさかった人たちではなく、どちらかというと静かに見ていた人たちだったのです。このあいだも残るつもりの観客の間からは舞台に向けての拍手が鳴り止みませんでした。ぎゃーぎゃーそれまでうるさかった観客たちは、もうすっかり「僕なんにもしてないもーーん」みたいに知らんぷり。

そんなとき、これまた私の配偶者が公演中にずっと皮肉に笑って、すごくうるさかった私たちの後ろのカップルと口論し始めました。あっちゃー。どうしよ。と思いながらも、申し訳ない。私は彼よりもっと文句言いの性格。結局私が、「やばいやばい。このまま行くと本気の喧嘩になるかも。」と自制心が働かなくなるかと思うほど、抗議してしまいました。だって、何?あの人ら言ってることおかしい。こんな自体になったのはもちろん乱入男が一番の原因ではあるけれど、私にとって本当にうざかったのは彼ら。ずーーと後ろでげらげら笑って、ほんで言うことが「でも僕らのせいで公演が中断されたんじゃないしー。」とか、「マギー マランの作品を僕はよく知っているから、彼女の作品には笑う要素がたくさんあって、それを彼女は狙ってやっているんですよ!僕たち観客が作品に反応して何が悪い。」とか。「はああ?あんたたちの笑いは、ドーーーーー考えても皮肉の笑いだったでしょう。だいたいねえ、ここは劇場でみんながお金払ってくるところなんだから、他の人たちに対してもそれなりにリスペクトの気持ちが必要なんですよ。それにあんたたちの笑いなんて、私たちの迷惑になってるだけで、舞台に届いてないですよ。そんなに舞台のダンサーやマギー マランにあんたたちの笑いを見せたかったら。家にカンパニーまるごと呼んで公演してもらったらいいでしょう。それができないなら、静かに見てください。批判は公演のあとになんぼでもやってもらっていいですから。」などなどなど。

それにね、自分たちは「マギーの作品良く知ってるし。」とかわけわからん。その日に私が座っていた席は前から二列目のド真ん前の席でした。パリ市立劇場はチケットが取りにくい劇場で有名です。ということは、前の方の席に座っている人たちって、一年前からチケットを購入している会員ばっかりで、マギーマランの作品だけでなく、この劇場で行われるコンテンポラリーダンスの公演をかなり見ている人たちだと思うのです。そこで「僕はよくわかってるから笑ったんだ。」とか言っても説得力なし。いや、笑うのは全く問題ないんです。面白いとこでは思いっきり笑えばいい。でも彼らの笑いは、公演をものすごく馬鹿にした嫌な笑いだったのです。

パリ市立劇場の観客はものすごく扱いにくいと思う。もちろん私もその一人であると自覚はしています。でもなんというか、この劇場の観客は特別意識というか、なんかそういうのがあって、「よくダンスを見に来る私(僕)のジャッジは絶対。」みたいなところがあって、本当に自分の好き勝手していいかのように、まるで自分の家で作品を見てるような気分になる人がすごく多い。単純に「へーー。こういうのもあるのかー。私は好きじゃなかったけど、新しい発見やな。」みたいな謙虚なとこがない。自分の気に入らなかったら、「サイテー」となるし「なんかあの似非インテリ集団は!」となる。

あーーもう一ヶ月も前のことやのに、なんかイライラしてきました。

はい、ということで、会場が再び静まったとき、公演は続けられたわけですが、舞台上のダンサーの緊張も、そしてもちろん私たち観客の緊張もぷっつり途切れてしまったので、やっぱりそのあとは集中のない高揚感のない公演となってしまいましたとさ。


この作品は他の街でも公演されたことがあったし、この日も初日ではなかったのですが、毎回、観客の反応が暴力的で劇場側もカンパニーも頭を悩ませていたようです。でももちろん公演が中断されたのはこれが初めて。こんなこともう起こってほしくないです。


っていうか、「踊らないダンス」ということでみんなそういう反応したみたいですけど、私が普段見に行くダンス、もーーーっと踊らないダンス、いーーーっぱいあるけどな。そのうえかなりどうしようもない舞台いーーーーっぱいある。


でも、こういうことってあるんですねーー。
良い体験だったと思うことにします。

こちら、その作品のビデオ。



久しぶりの更新がこんなですいません。
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03/09 08:23 | コンテンポラリーダンス | CM:4 | TB:0
こんにちは、リンクしていただいてありがとうございます。少し前から拝見させていただいてました。

しかし、ご覧になった日は何ともすごかったようですね。

個人的には、日本のコンテンポラリーダンスの観客の無批判性、というか「海外で評判」と紹介されたものをそのままよくわからないままありがたがる傾向に嫌気を感じる方なので、フランスの観客の意地の悪さは結構好きだったりするのですが、だからといってフランス人観客のセンスが日本に比べてとりわけよいわけではないようですね。この間フランスでいくつか見てきて思い知りました。

僕がみたときは、観客の反応まで含めてひとつの作品と考えることができたのですが、さすがに舞台にまで出てこられるとどうにもならないでしょうね(笑)。日常性と緊張の微妙なバランスが問題なのに、笑いが日常性を暴力的に全体化してしまえば元も子もない気がします。このあたりのところ、マギー・マラン自身はどう考えているのか、聞いてみたいところです。


現代アートは素人なのですが、以前ブログに書かれていたようなギャラリー巡りの企画がまたあるようなら是非参加させてください。今後ともよろしくどうぞ。

arayaさん、はじめまして。
いやーー、すいません。勝手にリンクしてしまって、、、。
でもこの文章を読んだときはすごくうれしくなりました。「ほー、ほんまやほんまや。納得。」と。あとティノ セーガルの作品に関しての文章もすごく面白かったし、他の日常生活におけるフランス人を見ての文章もいつも楽しみに読ませていただいておりました。よくわからないこともいっぱいあるんですが、なんか哲学が身近に思えるというか。先生ってやっぱりすごいんやなー、と。
観客の反応も含めてひとつの作品っていうのは、ティノ セーガルもそうですが、最近のアート作品にもよく見られることですよね、体験型とくくってしまえばそれはそれで素敵じゃなくなってしまうけれど、まあそう言う感じのアート。でもやっぱりそういうのは、自分の頭の中で「あれ?私はいま作品の中にいる?」という妙に心地のいい混乱がありながらも、表現者のことを客観的に見てなんぼっていうのがあるはずだから、今回のはほんとに頂けないというか、レベルの低さというよりも、なんかそれこそ表現の自由の侵害じゃないけど、「これはやっていいけどこれはやったらあかん」というのを勝手にそこにいた観客側が決めてしまったように思えて、ジャッジでもなんでもなくなってしまっていました。残念です。
拍手喝采でいつまでもいつまでも観客が舞台の役者やダンサーを離さないときは、本当にフランスって素敵だなあと思いますが、どこからお金が出てるのか有名な新聞に絶賛記事が載ったりした舞台公演では、本当は「エーー大したことなくない?」と思ってもみんな拍手喝采してたりね。有名どころの公演でよく見られる光景だと思います。ま、その「大したことない」と思うのは私自身なので、それも個人の意見なんですけど。

ブログ密かに楽しみにしてるので、がんがん更新してください!
これからもよろしくお願いします。
すごい公演ねー。あれまぁ。
いやー、どんどんディープになってゆくカナタスからは一度、講義でも受けてみたいわあ。あたいもがんばらなくっちゃ♡まずは現代アート基本のおすすめ図書でもおしえて。日本にいるうちに日本の図書は読みたいわ。もー働き始めたから土日はばったり果ててますが。。。
おーじゅんこちゃん。元気?
こんな経験したくてもできないもんだろうしね、後から考えて、ま、よかったな、と思いました。現代アートのおすすめ本、日本のは何があんのかよくわからんのよ。私が教えてほしいくらいよー!
早くパリ帰っておいでヤー。
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