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今年の目玉 5

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4月18日付けのリベラシオン紙に面白い特集がありました。
選出されたアーティストリストよりも、選出されなかったアーティストリストのほうが興味深いなんて言われている、2006年5月にパリのグランパレで開催される「La force de l'art」展。このブログ上でも既に「今年の目玉」というタイトルで4回取り上げてきました。

今回の新聞記事は、選出されたクリスチャン ボルタンスキー、選出されなかったフィリップ コニエ、そして選出されて初めは出品するとOKしたのにやっぱり取りやめたジェラール フロマンジェーの、3人のアーティストへのインタビューです。





まずは、選出されて参加するクリスチャン ボルタンスキー。
「今現在、個人的な招待をまだ受け取っていない状態です。私はただ単に、友人でもあるBernard Marcade(15人のキュレーターの一人)から頼まれたんです。これはキュレーターの展覧会であって、アーティストの展覧会ではないですね。だから私はこの行事に関しても、そのコンセプトについても、本当の目的も、問題点も、他に参加するアーティストが誰なのかも、何も知らないんですよ。この展覧会はいつものようなものではないし、いいかげんなものですね。
普通はね、大分前から知らされているもんなんです。手紙を受け取ったり、展示場所を見せてもらったりして、全体的なヴィジョンを掴もうとするんですよ。でも今回は、何もない。私が展覧会というものに参加するようになって長いけれども、こんなに情報が少ないのはなかなか珍しいです。そういうのはこんな規模の企画を実現するのには、最上の方法ではないと言えるね。私はもう既に存在する作品で参加するんだけれども、この機会に特別に制作できたら、もっと面白かったのにと思います。

パリがビエンナーレとかトリエンナーレとかのタイプの行事を本当に必要としているのはきちんとわかっているんだけれど、一国だけの発表に限定してしまうのは、適切だとは思わない。私は断然国際的なテーマのある展覧会のほうがいいですね。私が参加を取りやめなかったのは、個人が拒絶したって何の意味もないと思ったからです。それにこれは、フランスに在住する外国人アーティストも参加するから、外国人嫌いの展覧会でもない。でもこの展展覧会は私には関係ないし、できる限り関わりたくないんです。」

きっついですね~。でもボルタンスキーくらいだったらそんな風に思うでしょう。



お次は選出されなかったフィリップ コニエ。
「私はどのキュレーターにも選ばれませんでした。だから画家としては参加しません。まずはじめに、選出されなかったことで、非常に腹が立ちました。なぜなら私は、自分が現在アクティブなフランス人アーティストのひとりであると認識しているからです。

しかし次に、この展覧会の混乱を前にして、参加しないからといって何がかわるわけでもない、どちらかというと、リストに載らないということは良いことかもしれないし、そこで物事が動くわけではないと思ったんです。私にとってより大切なことは、予定に入っているこれからの様々な展覧会のためにきちんと準備していくことです。議論の渦に入ることは大変容易いですが、私は拒否します。なぜならそれはネガティブであるし、私には興味のないことですから。アーティストは精神的にポジティフでいなければいけません。」

そんなこといっちゃって~。かっこつけちゃって~。あんなに騒いでたのどこのだれだったっけ~?


そして最後は選出されて参加するつもりだったのに、やっぱりやめたジェラール 不ロマンジェー。
「何が取りやめを決定させたのですか?」
「アトリエで静かに考えることが必要だったのです。最終的な決定は、内閣総理大臣の大統領選挙への出馬表明でした。何人かのキュレーターに、この展覧会が真の意味でどういったものなのか、持続性があるのか、常設の組織は?指揮は?秘書は?職業的なプロジェクトは?などの質問しました。誰も答えられるキュレーターはいなかったのです。

この全く個人的な決定の別の要因は、また、アーティストの意見を聞かないことです。もちろんXavier Veihanがキュレーター陣の一人であるという例外はわかっています。でもたった一人です。それに、参加アーティストが、この行事が継続されていくものなのか、面白いものなのか、がわかるように、会議くらい開くべきです。」

「あなたはその土台も非難されていますね。」
「国際的に、フランスアートを紹介する場をもうけるというアイデアは良いと思います。しかし、フランス人アーティストたちとフランス在住アーティストたちを見せることで、フランスが国際主義とアートグローバリゼーションの仲間入りをさせてもらえるとは、思いません。本当に、こういったことを討論できる場が欲しかったんです。このような主義はニューヨークのホイットニービエンナーレなんかではうまくいくでしょう。アメリカ人は別の思考を持っています。フランス人だけのコンセプトではうまくいかないと思います。これは盲目的な愛国者が内面に閉じこもりすぎた結果のイニシアティブでしょう。それに、ほとんどの選出された作品は、国立コレクションでこの展覧会のために制作されたものではありません。こういうのはすべて、ヴィルパン(内閣総理大臣)を喜ばせるためだけにですよ。もしもこれがまじめな行事だったら、私は参加を取りやめなかっただろうし、ヴィルパンにも「ブラボー、ありがとう、私たちは何年も前からこういうのを待っていたんです。」と言いますよ。でもそうじゃないんですよ。」

「それは政治的な意思表示ですか?」
「私はいつも政治は私のアート、人生、選択の一部であると認識しています。時代の風潮や、文学や、音楽と同じようにね。政治は私の毎日のひとつのファクターです。政治とその他のものの間に境はないのです。ヴィルパンは提示された様々な企画の中からこの展覧会を選んだんですから、これが「ヴィルパン展覧会」ではないとしましょう。いいですよ。しかし、彼がこれを選択したのだったら、それはやっぱり偶然ではなかったと言えるでしょう。この展覧会は最も派手であるし、メディアでも報道されているし、大統領選挙を何ヶ月後かに控えた現在、きわめて政治的であると言えるでしょう。私たちは直接的な利益を求める政治的紛糾にがんじがらめにされるのです。私はイラク戦争に反対して国連で演説をしたときのドミニク ド ヴィルパンを非常に感嘆しました。しかし、今回はそのときの演説には値しません。アーティストを一晩のダンサーとはき違えるのはやめていただきたい。(最後の一言は微妙ですね。)」

「文化庁大臣がこの行事がトリエンナーレであると宣言したとき、後悔しませんでしたか?」
「私はSt?phanie MoisdonとOlivier Zahmのふたりのキュレーターから選出されていました。この誘いにOKしたとき、私は誇りに思ったし、このふたりの若い美術批評家が、彼等と同じ世代ではない私を選んでくれてうれしかったのです。しかし私は後悔していません。なぜならこの展覧会に出品することは、私にとってネガティブなものになるからです。私の意見を発表できる唯一の方法は、この展覧会に出ないことによって自分自身を危険にさらすことだったのです。大臣の遅すぎるこの発表が何かを変えることはないでしょう。なぜなら、アーティストたちには話が何もなく、ほったらかしにされているからです。今までに、国が私の作品を購入したこともありました。しかし、私は彼等に、私の発言権を売ったことは一度もないのです。私はただ単に、今回の私の拒否がポジティブなものとして受け取られることを願っています。この行事が、無駄な試みに終わることなく、ゆっくり時間をかけて企画運営されていくためにです。しかし、今日までドナドゥー ド ヴァーヴル(文化庁大臣)は私になんらの保証も与えてくれていないのです。」




さてさて、フロマンジェーの意見はなかなかのものですね。
5月2日から設営が始まる、このヴィルパン展覧会、まだまだネタはつきません。

私の彼氏は弁護士なんですが、このあいだ何のきっかけかこの展覧会の話をしたら、「あー、ヴィルパン展覧会のこと?」って反応してきました。アートの世界だけでなく、政治や法律の世界の注目もしっかり集めているようです。

クリック2回お願いしまっす。

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