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Alain Fleischer/アラン フレッシャー「Choses lues, choses vues」 @BNF site Richelieu
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フランス国立図書館リシュリューのSalle Labrouste/ラブルースト室が、昨年のソフィー カル「Prenez soin de vous」展に引き続き、1月30日までアラン フレッシャーの展覧会開催と共に公開されている。Salle Labrouste/ラブルースト室というのはその名の通り、アンリ ラブルーストという19世紀の建築家が設計した閲覧室のことで、当時の先端技術が可能にした細く長く伸びるエレガントな鉄柱とガラス張りの丸天井で有名。

私が美術史の学生であったときはこの図書館にもお世話になったけれど、ラブルースト室はずっと工事中かなんかで入れませんでした。でも授業や勉強のためにこの図書館に来る度に、ドア越しにこの閲覧室を眺めたものです。リヨンで学んだ建築史の数多くのモニュメントのうちの一つがこれでしたから、パリに来て、いままで本で見て勉強してきたものの中で今度は勉強するのかーと不思議な気分になったものです。この展覧会が終わればまた新しく改修工事に入るらしく、将来は美術史関連の研究者や学生のための閲覧室になるようです。でもきっと私はここで閲覧するの嫌いだろうと思います。私が学生のときはこちらのSalle Ovale/オバール室が閲覧室(今も多分そうだと思います)だったんですが、もーなんやしんきくさくて暗くて全然楽しくないところでしたねー。美人には三日で飽きるという言葉を思い出しました。


さて、そんなことはどうでもいい。

アラン フレッシャーという作家でありビデアスト/映像作家でもあるアーティストの「Choses lues, choses vues」という展覧会。「Choses lues, choses vues」を日本語に直訳すると「読んだもの、見たもの」。私たちが本を読む時、その読んでいる文章で構成される「読んだもの」はもちろん記憶の中心に存在するけれど、その読むという行為を行っている時に、自分を取り囲む風景は私たちの記憶のなかで「読んだもの」とは切り離せないものになっている、そんな「見たもの」、にも焦点を充てている。はっきり言ってしまえば図書館の閲覧室という場所は研究や学習の場ではあるけれども、実際そこで「読書」をすることは皆無だと言える。そんな、本を読まないSalle de lecture/閲覧室(閲覧室としていますが、このフランス語を直訳すると、読書室)で、「本を読む」ということを見せようとしたときに、アラン フレッシャーはその本を読んでいるときに私たちが五感で感じる空気を重視する。

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音読される文章は批評、小説、童話、エッセイなど様々で、作家もアラゴン、ダニエル アラス、アントワン アルトー、バタイユ、ワルター ベンジャミン、モーリス ブランショ、カミュ、セリーン、シャトーブリアン、コクトー、フローベール、フロイト、グリム、カフカ、ル クレジオ、ミショー、ニーチェ、エドガー アラン ポー、リルケ、サリンジャー、スピノザ、スタンダールなどなど。日本人作家では村上春樹の「羊を巡る冒険」、小川洋子の「博士の愛した数式」、そして清少納言の「枕草子」のフランス語訳があった。

全ての本を読んだことがないにしても、有名な文章は記憶のどこかに潜んでいるもので、それを音読しているビデオの中の人と一緒に体験する。それぞれのビデオは蓋を開閉して閲覧するようになっているので、ビデオの中で起こっていることとその前にいる自分との間の空間、そして本に向かって目を伏せて音読をしている読者たちの本と顔の間の空間がリンクする。彼らはときには有名人であったり、ときには無名の男女であったり、年齢も、声の震えるお年寄りから思春期の子供、または文章を読むことにまだ慣れていない小学生たちまで様々で、皆がフランス語を読むわけだが、なかにはアクセントの強いケベック人や中国人、はたまた地方のアクセントが聞こえてきたりする。有名人で私がわかったのは、フレデリック ミッテラン、オリヴィエ カペラン、ブリュノ ラシン、カトリーヌ ミエ、ロール アドラーくらいかな。

もちろん非常に上手に朗読する人もいれば、たどたどしい人もいる。アクセントが強すぎて何を言ってるのか集中して聞かないとよくわからない人もいる。でもここで上手に読むことは大切なことではない。いかに自分と本という二人だけの世界にはいるのか、そこが本を読んで幸せになれるかどうかの境界線になる。そしてその世界が存在したときに取り囲まれていた風景が90を数えるビデオの中におさめられている。公園の芝生の上、ベンチ、カフェのテラス、自宅の居間、寝室、学校の教室、図書館、通勤電車の中、車を運転しながら、歩きながら。その読書のあいだにふいた風、見えた景色、木々の緑色、さえずる鳥の声、通り過ぎる車の騒音、煙をくゆらす煙草、飲んだコーヒーの味、そんなすべてのものが読書の幸福を形成してくれる。

読書という個人体験とは異なり、文学に対する共同体験であるとも言える、文学作品を扱ったオペラや映画の一部が何分間かに一度、ラブルースト室に大きく映し出されるのも、なかなか面白かった。あの上映がなかったら、くらーいところでひとりひとり思い思いにビデオを眺めるだけで、のっぺりした展示になりそうなところを、展覧会を見に来ているビジターたち全員が何分間かに一度だけ、同じものを見る、というのが展示の良いアクセントにもなっていた。

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アラン フレッシャーは見た目は本当に胡散臭そうなおっちゃんですが、彼が手がける展覧会はいつもすごくセンスがいいし、彼にしかできないごちゃごちゃした静謐を見せてくれるので、好き。今回も、いかにもインテリのための展覧会のように仕上がっているのかな、という私の予想を見事に心地よく裏切ってくれた。有名でなんだか難しそうで、普段読書をしない人たちには敬遠されそうな文学作品を、こんなに身近に感じれるものにして、きっと「この本読んでみたいな。」「あ、こんな読み方なら私もできる。」なんて思わせてくれる読書という幸福体験への素晴らしいエントランス的効果があるこの展覧会。おすすめです。


このサイトから展示されていたビデオのいくつかが見れます。読まれている本の作家名、、タイトル、読んでいる人の名前(有名人のビデオが多くセレクトされてるよう)、読んでいる場所が書かれています。
どうぞ良い読書を!!

こちらは展覧会紹介ビデオ。



2009年10月23日から2010年1月30日まで。

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01/11 17:49 | 展覧会 | CM:0 | TB:0
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