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Tino Sehgal/ティノ セーガル @palais de tokyo
パレドトーキョーで2016年10月12日から12月18日まで、ティノ セーガルの個展が開催されています。

パレドトーキョーはめちゃくちゃ広いので、基本的には常に何人かのアーティストの作品が展示されていることが多いのですが、13000㎡ぜーーーんぶ1人のアーティストに使ってもらうという企画を2013年にフィリップ パレノでやりました。今回は3年ぶり2回目のcarte blanche(直訳すると真っ白のカードという意味ですが、フランス語で「なんでもどうぞ、ほんまに好きなことやっていいよ、おまかせで!」という感じの意味です)を託されたのは、1976年イギリス生まれでベルリン在住の現代美術の奇才ティノ セーガル!

こ!れ!は!早く行きたい!早く見たい!それも絶対1人じゃなくて夫と子供達とみんなで行きたい!!と1人で行くのを我慢して、家族全員で来れる週末を指折り数えて待っておりました。

では早速。
ただ、ここからはおもいっきりネタバレですので、まだ見に行ってなくてこれから行くという人は、ぜえーーーーーーったいに読まないで下さい。




さて、ここからは、全部私達が体験したことです。この展覧会の内容は、きっと対話者や質問や会話の流れによって変容するのだと思います。もし私がもう一度行けば、根底のコンセプトは同じでも、全く違う流れを持つ展覧会になるのだと思います。それがこの展覧会の面白いところであるので、見に行った方は「あ、ここがこう違った」などコメントで教えてもらえると嬉しいです。見に行けない方たちは、100人いれば100通りの今展があり、同じ人間が100回行けばそれはそれで100通りの今展を楽しめる、と思って読んでください。


いよいよ!パレドトーキョーの中に足を踏み入れ、チケットを購入。そのあと会場に入るわけですが、特に入り口があるわけでもなく、白と透明のビーズのカーテンを通って、「えーと上から見るのかな、下からかな、どこが会場?」なんて言ってると、知らないお兄さんが話しかけてきた!

「『謎』とは何ですか?」
突然すぎて私も夫も戸惑いまくり、「えーとえーと謎、謎、謎ねえ、、、えーと」と言ってたら、お兄さん何回か同じ質問を繰り返しながら、クネクネ踊り始めた!
とうとう夫がふっつーに「『謎』とは○○のことです」って何やったか忘れてしまったけど、めっちゃ普通なことを言いました。
そしたらお兄さん、クネクネ踊りながら、
「そんなあなたたちは下からどうぞ」

ここで追記しておきたいことは、多分展覧会の構成としては、上から(チケット売り場と同じ階)はじめるのが基本だと思います。ただ、私は全部見終わってから「下から行ってよかったー」と思いました。なぜなら下で見ることが出来る作品は、今までにも見たことがあるようなものばかりで、回顧展的要素が多いこと、そしてあとからわかることですが、従来のアート鑑賞のように受身でいられるからです。上の階観たあと、下の階に放置されてもこれぼんやりしちゃっていろんな思いをぶつけることもできず、急に自分の足元が見えなくなるような感覚に襲われるんじゃないか、と思います。

とまあちょっと横に反れましたが、、、、
ここでは、私達が体験した順番で紹介していきますね。
クネクネ兄ちゃんに言われるがままに下に行くと

ティノ セーガルなんだから当たり前といわれそうですが、なんにもない!なーんにもない!なんにもないほうが圧巻のパレドトーキョー、既にめっちゃかっこいい。
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ドイツ語や英語で急にアツく語りかけられたり、演者さんたちがおもむろに歌ったりしはじめます。

こんなのに囲まれて、娘の口もポッカーーーンと開いていました。

こちらは、夫と娘が真っ暗闇の中で体験する作品(2012年にカッセルで見たThis Variationやと思います)を見てる間に、私はベビーカーに乗った息子と待ってたんですが、演者さんがめっちゃ近くに座ってきて、ものすごい注目を浴びた数分、、、。恥ずかしかったー。
20161114091929520.jpg

あと家族4人で演者さんの作る渦の中にたまたまいちゃって、渦がどんどんどんどん狭まっていって抜けられなくて大変やったけど楽しかったり。


いくつ作品があったのかちょっとわからない(同じ演者さんがいくつかの作品をやっている場合もあるので)のですが、たぶん4,5作品かな。多分全部は見てないです。ちょっと奥まった場所でも作品が演舞中だったりするので、どんどん入っていってください。
一通り終わって、子供たちも会場走り回ったあとは、上へ。

20161114091909962.jpg
結構な列ができてたんですが、並ぶしかない。まあまあ早めに順番が来ます。

列の一番前に来たら、どこからやって来たのか小学校高学年くらい?の女の子が急に話しかけてきた!
女の子「私はジャンヌ。今から私に付いて来てくれますか?」
私達「もちろん。」

会場内に入る。なーんにもない会場。その中をゆっくりジャンヌと一緒に歩きます。
ジャンヌ「『進歩』って何だと思いますか?」
私「『改善』だと思う」
夫「『人類の解放』だと思う」
ジャンヌ「『解放』ってどういう意味ですか?」
などなど、会話が進みます。

ジャンヌは私達に、「『進歩』はよいことかわるいことか」「『進歩』はどの方向に向かうのか」「『進歩』は世界中で同じように進んでいるか」などなど聞いてきます。

会話をしているうちに、我が家はいつもどおりヒートアップして夫婦同士の議論というか言い争いになってしまって、思い出してみたら、ジャンヌごめん!って感じでした。。。こんなとこで謝ってもいまさらやけど。。。。

そうこうしてるうちに、高校生か大学生くらいの男の子が私達に近づいてきて、ジャンヌとバトンタッチ。彼とまた『進歩』について話します。

彼は他に「もし超能力を持てるとしたら、どんな力が欲しい?」と聞いてきました。
私「空を飛びたい」
夫「同時期に何人もの自分が欲しい」
彼「同じ時間軸に何人もの自分がいるとしたら、もうその数人の自分というのはすべて自分ではなくなってしまうんじゃないでしょうか?」などなど、そのあと私は子供の世話しつつ、夫が会話をしていました。

そうこうしてるうちに、40代くらいの女性が私達に近づいてきて、子供を見ながら「ああ、また子供だった頃に戻れたらなあ」ってつぶやきました。夫「どうして?子供はとても自由に見える?」と会話が自然にすすんで、気付いたら先ほどの彼はいなくなっていて、その女性との会話です。ここでも夫と彼女は子供と大人の違いなんかの話をしていて、次に彼女は私に「じゃああなたが人生で一番良いと思う時期はいつ?」と聞いてきたので、「絶対26歳と27歳!」と即答。そのあと、もうこの人と何時間でも話してられるわって思うくらいリラックスして会話をしました。夜に夫とこの作品について話していたら、夫も同じように「あの女性とやったら何時間でも話せそうやった。」「世代が同じくらいやからかな?」「彼女の雰囲気かな?」と夫との会話も弾む!

会話しつつも、次は70代くらいのおばあちゃんにバトンタッチ。
「この作品のタイトルは「This Progress」というの。「この進歩」っていう意味。だから進歩について話したでしょう?あなたたちはまだ子供が小さいのね。どう、子育ては?最近は子育てしにくい世の中かしら?逆かしら?」と子育ての話をしつつ、気付いたらエレベーターに乗ってて、気付いたらおばあちゃんにバイバーイ!なんてして、気付いたら下の階にいました。

普通ならここから下の階の鑑賞が始まるんだろうけど、私達は先ほどさんざん観ていたし、なんだかもう「この進歩」の頭でアドレナリン出まくってて、もう他のものなんて見てられない。急にほったらかしな自由な状態になったのを戸惑いながら、
「ほな、エッフェル塔でも拝んで帰ろか」
となったのでした。

なんか文章にしたら、ぜんっぜん興奮しないですけど、体験中はすっごく自然な感じで静かに興奮していました。でもどこかで、誰かのホームパーティーに行って、初めて会ったんだけどいちおう友人の友人なので知ってる気になってるような人と、たわいのない話をしているような、そんな感じのまったり感と緊張感の間みたいな気分です。

ちなみにこの「This Progress」、2006年の作品だそうです。10年前にこれやったんか!すごいな!

モノはなんにもないけど、人件費すごいやろうから制作費半端ないな!(8歳から82歳までの300人の演者さんが関わってるらしいです。学校がある平日とかどうやって子供パート集めてるんやろう)と、なぜかずーーっと思っていました。

展覧会を見終わったあと、気付いて驚いて感心するのは、すべてのテキストは人間の口から発する形であるということです。一般的に、展覧会の入り口や各作品の近くの壁に貼り付けてあるステートメントや作品解説テキスト、タイトルキャプションなど、とにかく文字という文字がすべて排除されている。でもその「ない」状態があまりにも自然で、全部終わってから、「は!!!キャプションも解説もステートメントもなんにもなかった!うわ!展覧会タイトルさえなかったああああああ!!!」と心の中で叫びまくりました。
あんなにテキストがあったのに、あんなに言葉があったのに、あんなに言葉について、会話について、コミュニケーションについて、人間について、展覧会について、あんなに言葉に頼って言葉について考えたのに、その間の言葉もテキストもすべては誰かの口から出るものだけで、どこかで視覚的に捉えることができるものではなかった。

この展覧会を通して、アート、作品、世代、展覧会、進歩、人間、世界、いろんなことを考えて、展覧会が終わった後も、いろんな人と議論をして、まさに無限の拡がりを持つ展覧会となったわけですけど、私にとって一番衝撃で、セノグラフィーやキュレーションの力を感動に近い感情で感じたのがこの「文字がない」ということでした。

見に行かれた方、あなたにとってはこれはどのような展覧会でしたか?




最後に、入り口をわけるビーズのカーテンも子供たちにとっては最高の遊び場となりました。
あーーー、せっかくポエティックなエントランスなのにーーー!

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11/15 23:34 | 展覧会 | CM:0 | TB:0
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