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matmos


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音楽に疎いんです。ってな記事を前回書いたばっかりなんですが、昨日はポンピドゥーセンターへmatmosのコンサートに行ってきました。
アーティストとしての名前はmatmos&the guestsって書かれていて、the guestsは一体誰なんやろう?って思っていたんですが、電子ハープ弾きのお姉ちゃん、Zeena Parkinsでした。

写真を何枚も撮ったのに、家に帰ってくるとメモリーカードがカメラから出ていて、写真はすべて消えていました。ざんねーん!何が起こったんやろう、私の鞄の中で。

matmosとはMartin SchmidtとDrew Danielのロサンジェルスを中心に活動する二人組。ジャンルとしてはエレクトロと、自然な音を変化させて構成、発展させていく現代音楽(私はエレクトロとエクスペリメンタル音楽の融合と思いましたが。それとは違うのか?一緒か?)の間で作品を作ります。ビョークの「ヴェスパタイン」というアルバムでコラボレーションをしてからは、ビョークのツアーメンバーとして欠かせない存在になりました。ビョークの他にはThe Kronos Quartet、Antony、Rose McKereghanなどともコラボレーションを行っています。(私の場合ビョークしか知らない、、、。)今回のヨーロッパコンサートツアーでは、2006年発売のThe Rose Has Teeth In The Mouth Of The Beastというアルバムを掲げてのもののようですね。

はい。こちら公式サイト。http://brainwashed.com/matmos/


で、ですねー。私の感想としては、私の昨日の夜の状態を見ていただけたら良いんですが、それもムリなので書きます。とにかく興奮しまくっていました。

前振りの電子ハープのお姉ちゃんZeena Parkinsのソロは相当長くていまいちだったので、いちいち書きません。
で、それが終わって、結構待たされて、matmosのメンバーが出てきました。
ステージの上ではメンバーは3人だと思っていました。プラスハープのお姉ちゃん。でも説明を読むとマトモスって二人組なんですよね。じゃああの3人目の人は誰やったんやろう?ポンピドゥーセンターの説明にも何も書いてない。

とにかく、kana的メンバー紹介です。(でもどっちがどっちかわからへん。)
一人は、50年代ハリウッド映画にそのまま出演できそうな、仕事は会計士、家族は愛する妻と二人の子供、郊外に果てしなく並ぶ庭付きの似たり寄ったりの一軒家に住んでいる平凡な気の良い男性で、日曜日には家族全員で教会へ行くっていう感じの人。
二人目は、いわゆる現代っ子。あらゆるアンダーグラウンド文化に興味があって、それらの分野に関する知識ならスポンジのように吸収できる。コンピュータもお茶の子さいさい。って感じの人。
そして3人目が、きっとマトモスの正式メンバーではない人だと思います。彼は無口で何に関しても無関心な無職の男性で、あまり笑わないし反応もないって感じの人。
3人の共通点といえば、本当は何を考えているか把握できないところ。

それにしてもこの3人の組み合わせに私はまず感動していました。これは戦略か?ストラテジーとしてこのキャラクターが生み出されたんなら、この人たちはなんて頭が良いんやろう、、、と思っていたんですが、見れば見るほど、彼等が演技をしているようには思えない。もちろんそれぞれのキャラクターをステージ上では強調してはいるだろうけれど、元々のキャラクターもこの私が目の前にしているのと基本的には同じっぽいなあと思いました。でもその「ええどうなん?演技なん?イメージ作りの天才?ほんまにこんな人たちなん?」と私の頭を、ステージに出てきた瞬間に?マークでいっぱいにしてくれた彼等は、その時点で私の心をわしづかみにしているとも言えます。いわゆる「ツカミはok」の状態。すごい。私、やられてる。

まとめから言いますと、私にとっては「アート的に完璧。」でした。そう、「完璧」。こんなこと思ったのは生まれて初めてです。「か、かんぺきや~。」と思ったのです。問題は「音楽的」にはどうかまったくわからないところ。ごめんなさい。

線を引けばその両極端に位置する2点、例えば、創作と破壊、静と動、明と暗、美と醜、無邪気さと残酷さ、そして調和と不調和といったような概念に関して、「もしかしてこれらのふたつは隣り合っていて、混じり合っていて、それでもやっぱり両極端なものとして存在し続ける。」ということを彼等のパフォーマンスで、真っ向向かって提案されたような感覚に陥りました。創作と破壊で言えば、創作があって、そして破壊がくる。でもその破壊はやはりまた別の創作でしかない。しかし破壊でも在り続ける。これは現代アートで非常によく使われる要素のひとつ。

また両極端つながりで言うと、マトモスは様々な最新の音楽機材から日常の雑貨までを使って、音を編み出していくのですが、例えば、グランドピアノを弾く行為とゴム風船を膨らまして口と風船の接触部から音を出してそれをマイクにとるという行為。ここにも両極端のもの、高級品と薄売品を見るのです。このような大量生産によって安く手に入れることのできる工業製品の利用も、現代アートの大切なひとつの要素であります。それをグランドピアノの横で、一音楽器材として高級品と全く同じ価値を与えて使用するというところも、現代的。

会場に入った瞬間に私が目をみはったのは、まだミュージシャンがステージに上がってもいないのに、それだけで成り立ってしまっていた様々な器材の配置のされかたでした。グランドピアノ、ハープ、電子ハープ、太鼓、電子テルミン、様々な大きさのコンピュータ画面、私にはよくわからない数えきれないつまみのついた音楽器材たち、絡み合うコード、、、。「完璧なフルクサスのインスタレーション」だったのです。そこに見た空間の概念はコンサートが始まると、背景の大画面に映される映像によって奥行きを増します。

また非常に素晴らしかったのは、各楽曲の間に「あ、音の調整中なんやな。」と思いながらぼんやり待っていると、なんてことはない、無意識のうちに曲が始まっているのです。ふと気づくと、「あ、新しいのが始まってる?」ときょとんとなってしまう。会場にいる私たちは、始まりがあって終わりがあるという従来の時間の概念をその「きょとん」の瞬間にすっかり失ってしまいます。しかしこれがひっじょーに心地よい。


なんだかんだ書きましたが、とにかくかっこよかった。コンサートを見て「彼等イギリス出身だわ、きっと。」と思った私でした。しかし実際ロスで活動中らしいです。なぜこんな風に思ったかというと、彼等の観客の心をつかむちょっとした「笑い」のセンスが非常にイギリス的だと思ったから。とにかくダサかっこいい。「ダサイ」のと「かっこいい」の間の境界線の上でコンサートを行っているように見えるのに、かたむいて私たちの足がつく方はいつも「かっこいい」方なのです。意味わかりますか?現代アートでいうと、ギルバート&ジョージの世界。たまらん、ダサかっこよさ。


というわけですね、様々な現代的要素を抱えたこの二人組、matmos。
いつもの私なら「ごちゃごちゃしててウザイ。」とか「詰め込み過ぎで疲れる」なんて書きそうですが、とにかく楽しかった。満腹になるわけでもなく、こころから「楽しいからいつまでも聞いていたい!」と思わせるようなコンサートでした。

CDでも同じような楽しい気分になれるのかな?
どれか一枚欲しいな~。(3枚適当に載せてみました。もっといっぱい発売してるみたいです。)
The Rose Has Teeth in the Mouth of a Beast The Rose Has Teeth in the Mouth of a Beast
Matmos (2006/05/09)
Matador
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The Civil War The Civil War
Matmos (2003/09/23)
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A Chance to Cut Is a Chance to Cure A Chance to Cut Is a Chance to Cure
Matmos (2001/03/13)
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09/28 22:58 | ライブとかコンサートとか | CM:2 | TB:0
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