先週末日本から来た友達と一緒にle Baron/バロンに夜遊びに行きました。そのときに今をときめく現代アーティストユニットであり、バロンの経営者でもあるKolkozの二人を紹介してもらいながら、日本から来たその友人に、「フランスはなんだか最近、デザインだとか音楽だとかイベント仕掛人だとかいろんなことに手を出して、そのうえちゃんと実業家としても成功していて、そのうえそのうえ現代アートの世界でも大成功を収めてる、「この人たち一体いつ寝てるんやろう?」っていうわっかーーーーいアーティストが多くてね。」なんて言いながら、KolkozだとかMathiu MercierだとかLoris Greaudだとかの話をしていたんですが、すっかり大御所を忘れてました!
それはM/M (Paris) !
彼らの小さな小さな展覧会が2008年1月21日から2月18日までポンピドゥーセンターの地下で開催されています。
M/M (Paris)とは、1968年生まれのMathias Augustyniakと、1967年生まれのMichael Amzalagが1992年に結成したユニットで、スタジオM/M (Paris)と言えば、世界に名だたる現代アーティストたちとコラボレーションを繰り返しているグループのこと。有名なので言えば、日本で創られたけれど売れなかったAnn Leeという女の子のキャラクターを購入して、様々なアーティストたちにAnn Leeのイメージを提供して作品作りをしてもらう、というコラボレーションかな。
とにかく、モード関係、アート関係、建築関係、カタログ、本、様々な一言で「カルチャー」と言われる分野すべての印刷物で活躍し、服だとか演劇やオペラの装飾まで手がけ、そのうえモードクリエイターやミュージシャンのアーティスティックディレクターをしちゃったり、映画やヴィデオクリップを作ったり、なんでもします。
ここ数年はパリの現代アートフェアFIACの招待状やポスターの写真がM/M (Paris)ですね。
ポンピドゥーセンターの地上階フロアから地下を眺めるとこんな風景が。
相変わらず派手。
ではこのインスタレーションの中に潜入してみましょう。
まずは安物そうなプラスチックでできたVISIONの文字に出迎えられます。
上の通路を抜けるとこの空間。
現在までにM/M (Paris)がデザインしてきた、カルチャーイベントのポスターが「アートポスター」として、50x65cmのサイズで作り直されました。ポスターと言っても、きちんとした芸術作品です。各ポスターは8枚のエディション、プラス2枚のアーティストプルーフのみ制作されました。
エチエンヌ マルセルにあるおしゃれカフェ、Cafe Etienne Marcelにも飾ってあるAnn Leeを使った有名なポスターもほら。(真ん中の)
「あーこの展覧会行きたかったのに見逃したやつやー!」と私を再び悔しい思いでいっぱいにさせるRirkrit Tiravanijaの個展のポスターも。このポスターを毎日のように見ながら「あれ見に行かな。」って思っていたのに、見逃した自分が情けなくて情けなくて、、、。(奥から二枚目の)
このパレドトーキョーの展覧会のポスターを初めて見たときは、かなりガツンとやられた記憶が鮮明に残っています。「M/M (Paris)や!」とすぐにわかったし。(右の)
まだ私がリヨンで学生をしていた頃、「現代アートって何?』って思って生まれて初めてのインターンシップをしたのが、この2003年のリヨンビエンナーレのときでした。最初の一歩。あの頃はM/M (Paris)とか言われても「はあ??」って感じやった。
M/M (Paris) のサイトのdownload the 2008 poster catalogue hereからpdfで展示されているアートポスターを見ることができますよ。
M/Mが手がけたビョークのクリップ。
この展覧会、無料だし小さいし、ポンピドゥーセンターの横を通ったときには是非立ち寄ってみてください。目がチカチカするけど。
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もう一ヶ月も前の話ですが、書きます。
何ヶ月も遠ざかっていたカルティエ財団に久しぶりに行ってきました。
それというのも、行くつもりでいた新しい展覧会のオープニングに、11月の大型ストライキのため行けなかったからです。そんなわけで、どうしても見ておきたかったLee Bulの展覧会。
と書くと、まるで私が今から Lee Bulの展覧会について書くみたいに思われるかもしれませんが、違います!
カルティエ財団での展覧会はよく、同時期に二人のアーティストの個展が行われます。例えば地上階はゲリー ヒルで、地下階は束芋ってな感じで。2007年11月16日から2008年1月27日まで、地上階でリー ビュル、地下階でロバート アダムスの個展がそれぞれ開催されていました。
Lee Bul 狙いで行ったカルティエ財団でしたが、ロバート アダムスの作品たちの静かな強さにガツンとやられてしまって、行った後何日か、ロバート アダムスのことばっかり考えていました。
ロバート アダムスは1937年生まれのアメリカ人アーティスト。以前は10年ほど大学の英語教師をしていましたが、1967年から写真家として生活を始めます。
彼の主題は主に都市生活とアメリカ西部の風景。人間を被写体におさめることが非常に稀な作品作りを行っていますが、身体としての人間の欠如のかわりに、彼の撮る自然にはいつも人間の手による自然への介入がそこらじゅうに感じ取れます。
そんなロバート アダムスの展覧会。今回はフランスで初の個展であり、150点もの写真作品が展示されていました。これらの作品は1990年から2003年までに撮影された三つのシリーズ、West from the Columbia, Time Passes, Turning Backからアーティスト本人によって選ばれました。
選ばれたこれらの作品たちは、彼の住んでいる太平洋沿岸の家から見て、東と西に位置する風景から成り立っています。展示方法もカルティエ財団の地下の中心を彼の家の位置だとし、東側に森の風景写真、そして西側に太平洋の風景写真が並んでいました。
森林の写真は、森中を撮りつくしたのではないだろうか、と思うほど、その数と森林に与えられた傷の多さに周りを取り囲まれます。

人間の肌に与えられた傷のように、白黒の写真であるにも関わらず、まるでそこに真っ赤にべっとりと流れる血が見えるようで、死のポートレートのようでした。
森林の作品では、垂直方向に長く、気をつけなければ気づかないほどに、幅を他の作品たちよりも切り取ったものが何点か展示されていました。このフォーマットが素晴らしく効果的で、小さな作品であるのに、まるで森が自分の前に立ちはだかるような感覚になります。
太平洋の写真は全体的に波の高い荒れた海を撮影したものが多かったですが、そんな荒れた海の水平線の向こうから指す光がとても美しく暖かく、人間がどうあがいても手に届かないものの存在を感じるようでした。

痛々しい傷ついた森林の写真と、人間を拒絶し続けるような海の写真たち。どれもサイズとしては30cm四方以下の小さな写真たちですが、150点という大量の作品が私たち観客が歩を進めるともに目の前に現れ、これでもか、これでもか、というように私の上に覆いかぶさってくるようでした。それはまるで美術本を見ながらページをめくっていくような感覚。
この展示方法を少し非難するというか、「数が多すぎて、ゆっくり一点一点を見ることなく、ただサーっと歩いて観賞を終えてしまう。」という批評もいくつか目にしましたが、私はその全く逆でした。何度も何度も、ぐるぐるぐるぐるそれぞれの作品を見たいと思わせ、精神に迫ってくる展示方法だったと思います。
人間の開発のひどさ、特にこの森をこのようなやり方で伐採することが本当に私たち人間にとって必要なのかわからない状態で作品を見るので、やるせないような気持ちになりますが、もう一方で、自然の力強さ、そして何か希望のようなものも見える気がしました。
150点の写真作品の他に、別の展示場で、ロバート アダムスが1970年から展覧会と同じように重きを置いて出版し続けている40冊ほどの写真集たちが紹介されていました。それらは展覧会のカタログとしてではなく、写真集自体が既にひとつの芸術作品として成り立つ、という趣向のもと制作されています。
すべての本を手に取ってみることはできないのですが、美術品のように素晴らしく展示された本たちは、彼のアーティスト人生、そして彼の人生そのものを物語っているようで見とれてしまいます。
私は仕事柄か、微妙な様々な高さに置かれたテーブル状のガラスの展示ケースも、上から下から横から、「どうなってるんやろ?」と舐めるように見てしまいました。
今度の誕生日には、ロバート アダムスの写真集が欲しい!と思いました。
本当におすすめですよー!
とりあえずアマゾンで見つけたのはこのへん。なんて軽い気持ちで全部載せようとしたら、ものすごいいっぱいありましたー。そんな気起こすんじゃなかった、、、。まあ、もうやっちゃったので載せますけどね。そのうえ年代順にまでしたし、、、。私そんなに暇なんか?
上の三冊は今回の展覧会の作品も載ってますね。
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先週末はフランスのリールという街まで、わざわざある展覧会を見に行って参りました。
まあ、わざわざなんて言っても、パリーリール間はTGV(フランスの新幹線みたいなの)で1時間しかかからないんですけどね。私としては初リールだったので少し楽しみでしたが、大雨に見舞われて、とてつもなく疲れて帰ってきました。
その目玉の展覧会のことは別のところに書く予定なので置いといて、今回はその目玉の展覧会とあわせて、Lille 3000という毎年リールで行われる現代アートの企画の一環として、今年開催されていたSubodh Gupta の「God Hungry」展を紹介。
Subodh Gupta(スボー グプタ)とは1964年生まれのインド人アーティスト。現代アートの展示でステンレスの鍋が積み上げられているのを観たら、「あ、彼だ。」と思ってほぼ間違いないでしょう。私はたしか2005年のヴェネチアビエンナーレで始めて彼の展示を観て、別に全然好きだとは思わなかったし特別良いとも思わなかったんですが、なんだかイメージだけは頭にこびりついて離れませんでした。それから何度もふと出会っていた彼の作品たち。
今度の出会いは、2007年10月20日から12月30日まで、リールのマリー マドレーヌ教会で行われているこの展示でした。

タイトルの「God Hungry」。展示会場としての教会。そしてこちらに押し寄せてくる波のようなステンレスの料理道具。
世の中で戦争や自然災害などの何か不幸なことが起こると、「神様はお腹が空いているんだよ!」と言うことがあります。Subodh Guptaは、2004年12月に津波が起こった東南アジア出身のアーティストでもあるので、「じゃあそんなら教会で、神様がお腹いっぱいになるまで料理を食べさせてやろう。それも津波の形のね。」ということでしょうか。皮肉というよりも、なんだかそこに切実な思いも感じます。
レードル、牛乳を運ぶつぼ、こし器、バケツ、鍋などが溢れかえるように、教会内の8メートルにも及ぶ、三つのアーチに積まれています。
はっきり言ってしまえば、料理道具を積み上げただけやんって思いがちなんですが、何がすごいってこれらの道具はただ積み重なっているだけ、ということ。すべての道具を固定させるためにはワイヤーも何も使用されていないのです。本当に積み重ねただけ!
すごく触りたくなった。全部壊してしまい衝動と理性との闘いでした。うーーー。
壊してしまいたい、、、。
とここまで書いてメールをチェックしたら、ArtReviewの12月号が届いていました。
その表紙も偶然、スボー グプタ。
タイトルは「スボー グプタはデリーのダミアン ハーストか?」だって。
こんなおじさん。すごいね、本当にはやりの人なんやなーと実感しました。
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2007年10月17日から2008年2月11日まで、ポンピドゥーセンターで開催されている「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ展」(L'Atelier d'Alberto Giacometti Collection de la Fondation Alberto et Annetto Giacometti)を観に行きました。
ある日曜日に行こうとしたら、展覧会場の前に長い列ができていたので、やる気がなくなって断念したんですが、ちょうどいい具合に翌週にLVMH(ルイ・ヴィトン、モエ・エ・シャンドン)財団主催の展覧会&カクテルパーティーというのが、ポンピドゥーセンターが閉館されている火曜日の夜に行われたので、そっちで仕事帰りにゆっくり鑑賞。
元フランス文化大臣のジャック・ラングも来てた様子で、カクテルパーティーの行われたポンピドゥーセンター最上階のジョルジュで見かけましたねー。
LVMH財団の行うカクテルパーティーはいつもおいしいので、それがも目的で行ったのでした。でも私が今までに食べたビュッフェの中では今のとこ2位かな。
アルベルト・ジャコメッティは1901年から1966年まで生きたイタリア人アーティスト。Wikipediaはこちら。
1957年にジャン・ジュネによって書かれた「ジャコメッティのアトリエ」という本から派生した、研究所として、生活の場として、また作品の創造と発展、そして普及の中心とにある場として、ジャコメッティの世界を体現するように存在した彼のアトリエを主題とした展覧会です。
展覧会では彫刻、絵画、ドローイング、装飾美術、版画、文書、また写真や新聞記事などから構成されるアーカイブに及ぶ、約600点以上が展示されています。
会場は18の空間に分けられ、
・ジャコメッティが生まれた1901年から1921年までのスイスでの生活と、1922年から1929年までのパリでの青年時代
・1931年から1966年までのジャコメッティと彼と彼の作品を主題に写真を撮ったフォトグラファーたちとの出会い
・1926年から1966年までのアトリエ
・シュールレアリストとしての経験
・「頭部」とは何か?
・彩色された石膏
・彼のアシスタントであったディエゴと妻のアネット
・矢内原、フラエンケルとキャロリン
・最小から最大まで、
・人間と木、森と囲い
・メダルとスカーフ
・模写と手書き文書
・風景
という、13のテーマに分けられています。
この13のテーマを目の前にして展覧会を振り返ってみると、なんだかおかしい。
展覧会の前半と中盤は、しっかりジャコメッティと作品の発展の様子が手に取るようにわかるのですが、たとえば、急にジャコメッティがデザインしたスカーフが現れたりして、ヴィジターとしては、なんだか展示の流れを中断されたようにも少し感じるのですが、それはそれで、「ジャコメッティのスカーフ」なんて見たこともなかったし、実際その存在さえも知らなかったので、大して「なんやねん、これ。」なんてケンケンせずに、「へー、こんなんもあるんやー。」と楽しく見ることができます。でも、テーマで「メダルとスカーフ」ってあるけど、メダルの展示はひとつもなかったし。
せっかくの回顧展なのに、学術的見解ではいろんな作品が欠けていたし。
まあジャコメッティの相続問題に関しては、フランスアート界のスキャンダルというか、相続人やコレクターやオークションハウスや政治家までをも巻き込んでいろんな権力問題や金銭問題が関係しているので、普段から耳や目にしていたそういう噂や記事を追憶して納得、という感じでしょうか。
そんなことがごちゃごちゃありますが、展覧会を楽しみにきた一ヴィジターとしては、結構楽しめました。
ジャコメッティのキャリア初期に制作された、キュビズムに傾倒する絵画や平たく重量感のある彫刻などからは、私たちが今日「ジャコメッティ」と聞いて思い浮かべる細長い人物像につながる、その平面性や正面性(こんな言葉あるんでしょうか。でもほかの言葉が思い浮かばない。)、また人間の顔や身体を中心にした主題などの一環した研究対象が見えてきます。
「ジャコメッティの彫刻」としてのスタイルが確立されてからも、その平面性の発展が、ディエゴの肖像に見られるように、顔を正面から見た平面性ではなく横からみた平面性へと移行したりするのです。
その平面性と正面性を考慮に入れているのかいないのか、普通なら彫刻はヴィジターがその作品の周りを回って四方八方から鑑賞できるようになっているのに、今回の展覧会ではそんな風に展示されている作品がほぼ皆無。すべての彫刻作品が壁を背に私たちに正面を向いて展示されているのです。私にとっては、この展示方法のおかげでジャコメッティの作品の持つ正面性を実感できたともいえるでしょう。しかしこれも賛否両論。この展示方法がやけに冷たい、なんて批評もあります。
非常に興味深かったのは、作品が「ジャコメッティの彫刻」として発展していくに連れて、それらの作品がアーティスト本人にどんどん似通っていくことでした。
それらの彫刻には、ジャコメッティの指の跡が残っています。針金で作られた土台に少しずつ少しずつジャコメッティの指が石膏をくっつけていく。この作業はあまりにも細かく行われるので、まるで石膏が指で「塗られていく」よう。また、彼の「彫刻」という制作が「ドローイング」の制作とまったく同じ過程であるのも新しい発見でした。ドローイングで、顔の目にあたる部分をぐるんぐるん鉛筆でなぞる。これは、ジャコメッティが彫刻の目にあたる部分を何度も何度もぐるんぐるん彫刻刀で削るときの手の動きとまったく同じなのです。
模写の展示では、デューラーの版画をジャコメッティが模写したものなど、ジャコメッティのドローイングや絵画といえば、輪郭グリグリ眼グリグリですが、それらとは異なる、彼のデッサン力とテクニックに感嘆させられます。
これはグリグリのドローイングです。
ま、いろいろ賛否両論ですが、見ていて損は絶対ない展覧会。
私としては、きちんと距離を保って観るのなら、十分楽しめる展覧会だと思うので、オススメです。
ポンピドゥーセンターでの展覧会カタログがAmazon jpではまだ取り扱われていない様子なので、Yves Bonnefoiのカタログをオススメします。
そしてもちろん、この展覧会の主題となったジャン・ジュネの「ジャコメッティのアトリエ」。
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月曜日に、Grand Halle de La Villetteというパリ19区に位置する多目的施設へで、Betes et Hommes(動物と人間)という展覧会のオープニングがあり、ギャラリーのアーティストも参加しているので、行ってきました。
こちら公式サイトhttp://www.villette.com/manif/manif.aspx?id=1043
この展覧会は3500平米以上もある会場に、多数の天井まで届くテントを多数設置し、「動物と人間の関係が及ぼすそれぞれに対する影響」を見せるというものでした。
現代アーティストとしては、Carole Benzaken, Pascal Bernier, Rebecca Horn, Panamarenko, Alain Séchasなど、また写真家では、Jane Evelyn Atwood, Nick Brandt, Philippe Lopparelli, Alex Majoli、映像作家として、Georges Rey, Muriel Toulemonde, Chris Markerなどが参加しています。
La Villetteという会場での展覧会だということもあり、もとからばりばりの現代アートの展覧会ではなく、一般的家族向け、子供向けの展示も多いとはわかっていましたが、あまりにもひどい低レベルのもので、愕然としました。
子供から大人まで楽しめるように、動物や昆虫、鳥類などに関する様々な教材のようなヴィデオや展示がされており、それらの展示の中に現代アーティストの作品たちがちりばめられているのですが、まず、作品選びがいまいちであるし、中にはなぜこの作品がここにあるの?と理解に苦しむものも多く見受けられました。現代アーティストの動物と人間の関係をテーマに扱った作品は、人間の勝手な支配におかれている動物、という視点で人間を非難しているようなものが多いのに、その真横では、「レジデンス中の動物たち」または「運がよい招待客たち」という名目で、九官鳥、イグアナ、野雁、カラス、カワウソ、ハゲワシなどが煌々と照りつけるネオンの下、狭い場所に収容されています。
まず動物園や動物を使ったサーカスなどが大嫌いな私なので、それを見るだけですでにいやな気分になっていたうえに、上記のような名目で動物園とはまた違うひどい状況に置かれている動物たちを見て、人間の馬鹿さ加減をさらしている展覧会だと思います。
展示自体も人間との関係というよりも、動物に関する展示ばかりで、動物を観察して理解しそれらの知恵を利用する人間、という優位に立った視点での展示ばかりでした。また人間に関する展示はまったくないのですが、展覧会をすべて見終わったあと、逆に人間という動物の行為が浮き彫りにされたように感じます。
それでも面白い作品もありましたけどね。

こんなにひどい展覧会は生まれて初めて見たような気がします。
この展覧会、たしかもう2,3年前から準備が進められていて、何度も何度もギャラリーに作品貸し出しに関してコンタクトがあったんですが、こちらももううんざりするほどのオーガナイズの悪さでした。
そんなに時間をかけてやっと始まった展覧会なので、ある程度期待していたのに、本当に残念です。
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